第16話 墜落飛行機②

「こっちだ」


 ミナギの袖を引っ張り、ヴァーユは咄嗟に指をさす。その先には、元あった壁掛けモニターを覆っていたスクリーンがあった。


 面積は広く、その端は本来ならば床にすれすれのところまで伸びているはずだった。しかし、何かがスクリーンの下部を膨らませている。


 スクリーン裏は、ふだんは格好の物置スペースになっているらしかった。良い音を鳴らしそうな重厚なスピーカーや空調機といった類の機材がまとめて置かれて、赤い布がかけられている。


 それらの機材に紛れてやり過ごそう、ということらしい。


 猛スピードで迫ってくる正体不明の生物を前に冷静さを損なった脳は、それが隠れ場所として適切かどうかを見定めるよりも前に、ミナギ達の体を突き動かす。


 ミナギとヴァーユはスクリーンをめくり、機材類と壁の間に出来た隙間に隠れる。余っていた布を被りながら、機材の上に顔を出してみるも、スクリーン越しに何かがはっきり見えることはない。ひとまず横からも前からも自分達の存在が見えることはないだろうと思えた。


 だがそれと同時に、外界への視覚がシャットアウトされ、頼れるのは耳だけという状況にミナギは居心地の悪さを覚えていた。


 走ってきた何かは、忍ぶなどということは一切考えていないらしく、うるさい足音を今も鳴らしている。距離が近くほどにそれは大きくなっていった。


 音はエコノミークラスに到達すると鳴り止み、代わりに大きな一息をつく。


「蜂の巣をつついちまったみたいだねぇ。どうするんだい……必死な誰かさんの頼みに付き合ってあげたってのにこのザマ」


「んなこと言ったって今は仕方がねえ、とにかく逃げ切るのが先決だ! 喧嘩は後でいくらでも出来らあ」


 ミナギの予想に反して聞こえてきたのは、2人の話し声だった。


 1人はしっとりとした声色だった。アンニュイな調子ではあるが、はっきり相手を諫めている。


 諌められているもう1人は、甲高くハスキーな声を響かせ、反論している。さっきまでこの場を静寂が支配していたという事実が、もう遠い過去のように思えるほどに、活力溢れる声だった。声質から察するにどちらも女性のようだった。


「追い詰めた」


「コソ泥風情がもう逃げられねーぞ! 覚悟しろ覚悟!」


「す、素直に、投降された方が、よろしいかと……」


 また別の声が参入してくる。1人は落ち着きながらも毅然とした態度で、もう1人は優勢に立ったと見るや調子に乗りながら、最後の1人は物腰柔らかというよりは臆病風を吹かせた様子で、相手を牽制しようとしている。


 どうやら最初の2人組は泥棒で、もう3人はこの墜落飛行機の住人ということらしい。


 息を潜めて、スクリーンの向こう側を透視しようとしても、声の主達の姿は見えない。ミナギは拳を強く握り、胸に当てた。もどかしさと緊迫感の2つを要因として、鼓動は黄色信号を告げている。


「マザーの留守中を狙うとは、良い度胸だ! ……ん、いや逆か? 度胸良くないから狙ったのか?」


 お調子者が泥棒組に対して啖呵を切る。すかさず、落ち着いた声の主が見せつけるようにはっきりとため息を漏らす。


「お前が喋ると話がややこしいことになる。ーーそれはともかく、お前達、ここがどんな場所か知って盗みに入ったのか?」


「んあ? 知るかよ。レアものを食いっぱぐれたから、たまたま見つけて入っただけだ」


 泥棒にしてはやけに活発のいいその声は、どうやら追い詰められているというのに、まるでそんなことを気にしていないらしい。盗人猛々しいを辞書で引いたら、この声の主が例示になっていてもおかしくはない。


「そうか。誤解というのなら仕方ない」


 しかし住人達の中心人物らしきその声は、意外な反応を示す。


「ふむ、ずいぶんと聞き分けがいいねぇ。あたしゃ嫌いじゃないよそういうの。さ、とっととそこを開けて頂戴」


 倦怠感に満ちた声が嬉々として催促する。しかしーー


「ーーとでも言うと思ったか。そんな言い訳をして盗みに入る輩をごまんと見てきた。しかもお前達、その口ぶりと振る舞いからして常習犯だろう。マザーが帰ってくるまでは、おとなしくしてもらおうか。処遇はあの方が決める」


 その言葉を合図に空気という糸が一気に張り詰められたのをミナギは悟った。その糸はきっと、泥棒組が逃げ果せるか、住人達が捕らえるまで切れることはないだろう。不運にもその場に居合わせてしまったミナギ自身も、その緊張をその身に感じていた。


 何とか逃れる方法はないか。そればかりが頭の中でループするが、その苦痛と焦燥は時間感覚をかえって鈍らせる。


 つんつん、と急に肩を指で突かれた際には、それだけに心臓が瞬間的に止まるのではないかと思った。小突いたのは横にいたヴァーユで、何かをミナギに伝えるためのようだった。ミナギはまたも彼の指がさす方を見た。


 するとそこには洋服タンスが置かれていた。縦に長く前開きの扉がついているため、ドレスやコートをそのまま掛けられるようになっている。その扉が今開きっぱなしになっており、内側に取り付けられていた鏡に声の主達が映っていた。


 そこで対峙していた者達の姿は、やはり人ではない。皆いずれもが動物だった。


 大きな黄色いに灰色の毛並みを持つ鳥であるハシビロコウに、黒い体毛を生やした逞しい巨体を誇るゴリラ、全身は灰褐色だが額から鼻にかけて白い筋が通ったハクビシン。この3体が泥棒のペアを囲んでいる構図になっている。


 角に追い詰められ、側からはどう見ても劣勢と映る泥棒の1体は、狼のような姿をしていた。ミナギには見たことのない品種で、名前は思い浮かばない。


 だが、その背中と右の前脚には、一度見たら忘れられそうにない特徴がある。背中から尾の先に至るまで、シマウマのような縞模様が刻まれている。右の前脚は、明かりに照らされてぎらついていることからどうやら金属類で出来ているようで、じっと目を凝らすとそれは義肢だとわかった。


 その狼の背の上に、ミーアキャットがちょこんと座している。いかにも自分の足では動く気はないといった姿勢から、喋らずともあの気怠い声が聞こえてくるようだった。彼女の三角形に並んだ目と口元の黒点が、遠目からでもくっきりと見える。


「はっ! マザーマザーって、オメェらその年になって乳離れもしてねぇのかよ! 言っとくが、乳飲み子に負けるほど俺ぁーー」


「ちょいと待ちな!」


 唐突の一声に、その発信者以外の全員が身を震わせた。発したのは、さっきまで気怠い声で喋り、どちらかと言えば場の空気を弛緩させていたミーアキャットだった。


「人が見得を切ろうって時に、いきなり横槍かよ。テールの姉貴」


 テールと呼ばれたそのミーアキャットは宙に向けて鼻を嗅ぐ仕草をしてから、今度は徐に口を開いた。


「お前さん達、あたし達を捕らえようとするのは盗みに入られた側として至極当然だけどもさ」と、再びアンニュイな調子でテールは語る。「どうもここに忍び込んだコソ泥は他にもいるみたいだよ」


 ミナギの体に電流が走り、屈めていた背中が思わずまっすぐに伸びた。その言葉は明かに、目の前にいる者達だけでなく、第三者に向けて放たれている。そういうニュアンスが含まれていたのだ。


 そして鏡に映っていたテールとミナギの目が合う。


 ミナギは観念しつつも、あることを念頭に置きながら、スクリーンの左端から姿を見せた。両手を挙げながら、また右手には今まで被っていた赤い布の端を握っている。


「おいおいおいおい! 盗みに入られ放題じゃねーか! 今晩の見張り係はキャブだったよな!? あいつ何やってたんだ!?」


「あいつのことだ。大方眠りこけて見逃したんだろう。日中熱心に稽古してたからな。それは後で問い質す。が、今は原因の追求よりも目の前の対処が先だ」


「そうですね……今朝も早起きだったようですし……」


 泥棒を招き入れてしまったことについて目の前の3人は内輪の話をしている。しかし、その奥にいる名の知れぬ狼は、鋭い目つきでミナギを見据えていた。


「あーーーーーーーーーーーーーー!」という耳を劈くような叫びが狼から突如として上がった。


「さっき横槍入れたのはすまなかったけどさぁ、だからって倍にして返すんじゃないよ、シャド。耳がキンキンするだろ」


「そうじゃねえよ! この女だよ!」


 シャドという名の狼は、偶然お宝を探り当てたと言わんばかりに驚愕に満ちた表情で、テールに食ってかかる。


「俺が言ってたレアもののガキと一緒の、ニンゲン!」


「ほぅ……じゃあ結果的に巡り合わせちまったってわけかい」


「おう。だが、肝心のガキはいねぇみてえだ」


 ミナギは泥棒組が話している間、苦笑いを浮かべながら両手を上げ続けていた。彼女らの言葉の詳細な背景はわからないが、まだ隠れているヴァーユと彼女らの「ガキ」という言葉は、危険な等号で結ばれているに違いないと察知した。


 ミナギは、左手を腰に上げるフリをした。そして泥棒にも住人にも見えないように、ヴァーユに向けて手をひらひらと動かした。


 ーー私が気を惹きつけているから早く行って。


 右手に掲げた布がちょうどスクリーンとミナギの間を埋めていて、視覚的には気づかれずに通り抜けられそうになっていた。


「おいおいおいおい! まだいたのかよ!」


 お調子者のハクビシンが声を上げる。気づくとミナギの横にヴァーユが立っていた。


「なんで逃げなかったの?」


 ミナギは反射的にヴァーユに尋ねていた。彼を覆い隠すはずだった毛布は、尚も右手に握られ続けている。


「シャド! 今だ!」


 しかし、室内に響いたのはヴァーユの返答ではなく、テールの合図だった。


 限りなく短い刹那のうちに、シャドはその四足を縮こませ、跳躍の姿勢を取る。瞬きすら大層な時の隔たりになりそうなほどのスピードで、狼の体は跳ね上がった。狼はその影をさっきまで取り囲んでいた3体に投げ、それすらも一瞬のうちに終わらせ彼らの後ろに着地した。


 ミナギは少し離れた場所にいたこと、そして右手に布を握っていたことが幸いした。自分達に照準を合わせて動き出した狼が着地したのと同時に、彼女は布を広げた。


 猪突猛進に迫らんとしていた狼は、自身を減速することも叶わず、広げた布にダイブする。


「ーーわぶっ」


 狙いとは異なる物に飛び込んでしまったという焦りから体を捩らせ、正しい標的を捕捉し直そうと試みる。しかし、ミナギが手放した布は、シャドのマズルを中心に渦を描き、もがけばもがくほどに顔にまとわりつく拘束具めいた様相を呈していた。


「どわわわわわっ! んだよコレェ!」


 シャドが布に悪戦苦闘しているとハシビロコウ達が急いで近寄ってきた。


「観念しろ」


 ハシビロコウが布に絡まった彼女達に触れようとした丁度その時、敵意を察知したのか、シャドは飛び上がり、前方の通路に走った。赤い布を体に巻いたまま。


「ニンゲンの姉ちゃん、なかなかやるじゃねえか。だが、こっちとしても滅多に巡り合えねえレアものに出会えたんだ。ぜってえ諦めねえ!」


 布が首に絡まり口を覆っているせいで、声はこもっていて、せっかくの威勢も腑抜けているように見えた。難を逃れたテールが相方の布を必死に解こうとしているのも、かえって間抜けな演出要員と映る。


 その場に居合わせた全員が呆れ返っていると、シャドは勢いよく飛行機の前方へ駆けて行った。


「……とりあえず」咳払いをしてからハシビロコウが口を開いた。「ニンゲンを2人確保」


 ミナギ達は、その言葉を聞いてようやく、後ろにゴリラが申し訳なさそうに立っていることに気づいた。


「す、すみません……。私達のボスが来るまで捕まっててください……」


 謝られながら身柄を拘束されるなんて、これまでも、果たしてこれからもあるだろうか。そんなことを考えながら、ミナギ達は大人しく捕縛された。

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