第3話 顔の見えない出題者からのナゾ

「さて、どうしたものかな」


 ミナギは目の前の山を見上げながら呟いた。先ほどまで背負っていたバックパックとトレンチコートはシエルに任せてある。今ミナギが身につけているのは、上は深緑色のセーターに下は薄い青のチノパン。足元は白いスニーカーを履いていた。ちとアスレチック向きではないかな、と彼女は胸の内で呟いた。


 シエルの頼みとは、このてっぺんにあるキャンピングカーの扉を開けてほしいというものだった。彼の身軽な運動能力を持ってすれば、あそこへ到達するのは容易だ。しかし、彼のせいぜい30センチ程度の体で人間大の扉を開くとなるとそうはいかない。そこでミナギに白羽の矢が立ったという訳だ。


 これら一連の説明は出会ってからすぐにしてくれていたらしいのだが、ちょうどその時は独りで森を彷徨っていた不安と唐突な喋るオコジョとの出会いによって頭の中が混濁していたらしく、ミナギはこの場この時になって初めて聞いたつもりになっていた。


 だが、それでもこの異常事態に対する説明としては十分とは言えない。あの夥しい量の蝶が集っている様子を指して、「ところでさ、あれはどうなってこうなっているの?」という我ながらおかしな、指示語にまみれた疑問形を口にしてみる。


 シエルはさきほどまでと変わらない、さもありなんといった面持ちでこう答えた。


「蝶達もあの中にある物を探して集まっているのです。それが何かまでは私にもわかりかねるのですが……」


「どうして喋れるのか」と問うた時と同様、またミナギが知りたいこととは微妙にズレた回答。抽象的な質問を投げた自分も悪かったのかもしれないけれど、シエルはシエルでこの蝶やこのゴミの山についてはご承知でしょうとでも言いたげな返し方をする。両者の間にある常識という名の前提が異なってしまっているが故のズレ。まるで生まれ育った文化や価値観の異なる外国人と喋っているような気分にミナギは陥っていた。


 だがそれも蝶の洪水とも言える異様な景色を前にすれば些細なことだ。また、このあてどない遭難者にとっての標となってくれそうな人(オコジョ)の頼み事なのだから、ここで拘って時間を喰っている場合でもない。とにかくわからないことは後でまとめて聞くことにした。


 かくしてミナギは身軽になった体で準備運動を始めた。「いち、に、さん、しーー」と10まで数えて、身体の筋肉をほぐした。シエルは期待でいっぱいの表情で彼女を見守っている。


「では、いってまいります!」


 ミナギは左手を挙げて威勢よく宣言してから、ゴミ山に向かって歩き始めた。


 入念に準備運動をしてみたものの、この山を登ること自体に大した苦労はなかった。まず、最も下の段に置かれている軽自動車のボンネットに手を置き、それを支点にして足を乗せる。それからまた足場になりそうな車を探して丁度いい高さのボンネットを見つけ次第、手を乗せる。


 せいぜい自分の体を引き上げるのに多少の力を使う程度で、他に気をつけることと言えば滑り落ちないよう足下をよく見ておくぐらいだった。


 登っている最中、ミナギはあることに気付く。自分が足場にしているこの車は、どれも持ち主がまだいるのではないかと思える状態だった。中には放棄されても仕方ないと見える古ぼけた車もあったけれど、それさえも多少の修理と車の鍵さえあれば問題なく使えそうだった。


 不法投棄される車と言えば、見た目に大きな損壊があったり、錆や埃がこびりついていたりするイメージがあったが、見る限りそれに合致するものはなかった。ここに来る途中で見かけた捨てられた地球儀にしても、木漏れ日を受けてピカピカ輝くぐらいにはきれいだったな、と思い返す。


 そんな事を考えて4段ほど上がると、残すはキャンピングカーが待ち受ける最上段になった。


 だが、ここにきて問題発生。


 キャンピングカーを支える車はほとんどが大型のバンだ。そのうち1つだけが大きな箱を背負ったトラックで、その荷台と周囲のバンのボンネットに例のキャンピングカーが乗っているという形になっていた。


 バンのボンネット部分は傾斜が激しく、しかも狭い。足場としては危険極まりないだろう。また、車高も軽自動車のそれと比べて高いため、身ひとつで登れそうにない。


「ねー! どうしたらいいと思うー?」


 声を上げて、見守ってくれている小さき相棒にアドバイスを求めた。


「それでしたら裏に回り込んでください。足場になりそうな物があったはずです」


 彼の声は低いけれども、よく響く。その声に従い、ミナギは反対側に移動した。シルバー、ブルー、レッド、ブラック、またブルーと色の異なる車のルーフを次々と踏んで移動すると、まるでカラフルな鍵盤の上を歩いているようだった。


 移動した先には、バイクがあった。正面には丸いライトが取り付けられ、厚みのあるゴムでできたタイヤとスタンドで自立している。シートのすぐ下にはぎらついたV型ツインエンジンが覗いていて、乗り手に刺激的な音と鼓動を届けてくれるに違いない外観だ。


 確かにこれなら足場にうってつけだ。


 ミナギは無性にバイクに跨ってみたい気持ちを抑えながら、グッと力を込めてバイクのシートに足を乗せる。本来座るべき場所に足を乗せるのはいい気はしないが、これが唯一の手段なのだから仕方がない。


 足場と登る先をよく確認しながら、ミナギはバンの上に乗せた手にグッと力を込めて体を浮かせた。途中、金属が軋む音が手先と耳から伝わってきたものの、一時的な反応だったらしく、登り切ると同時に止んだ。


 目の前には大量の蝶が群がっているキャンピングカーがあり、その側面に扉らしきものが付いている。車のサイズは思ったよりも大きく、ちょっとしたバスぐらいはあった。


 これにて一件落着、ミッション達成。


 だが、ここでも再び問題発生。


 扉に手をかけても開く気配がない。引いてもダメなら押してみる。それでもダメなら横にスライドさせてみる。しかし、扉はいずれにしてもびくともしない。扉だけではなく、ドアノブにも鍵がかかっており、二重のセキュリティというわけらしい。扉の音を聞いた蝶達が驚くようにして飛び去っていく。


「ミナギ様、いかがでしょうか?」


「ごめーん! 鍵がかかってるみたい」


 シエルの問いかけに反応すると、またその声に反応するようにして扉付近の蝶が散った。


 その時、取手の横にメモが貼り付けられていることに気づいた。メモには「The keys are in He and Sea.(鍵は彼と海の中にある。)」と書いてあった。「Sea」の文字は二度書きしてあり、線が濃くなっている。


 そのメモの下には、このキャンピングカーと思しき写真が貼り付けてあった。写真の中の車に対して、手書きの矢印が各パーツを指しており、それぞれに1から118までの番号が付けられていた。


 セロハンテープで貼り付けられたメモを外して裏面に目をやると、「Clue: think about “Z”(ヒント:”Z”について考えろ)」とも書いてあった。


 ーーはてさて、これはなんなのだろう。


 ミナギは扉に軽く寄りかかり、頭を捻った。そして例の如く、毛先を人差し指で弄び始めた。流石にここで歩き回るのは危ないと判断したので、それは抑える。


 この森にやってきてから数時間が経ち、すっかり日は傾いていた。オレンジに染まった光がこのゴミ山にも降り注いでいる。大量に舞うモルフォ蝶は、相変わらず妖艶な青い羽をはためかせ、時折夕陽を浴びたその表面に虹を生んでいた。諦めて遠方に去っていく個体もあれば、飽きもせず車に張り付いている個体もある。ミナギが出題者の顔も分からぬ謎解きに耽っている間にも、いまだ周囲の木々の隙間から蝶は引き寄せられてきてもいる。目を閉じていても、シエルがこちらを心配そうに見ているのがわかる。


 そうした情報を全てシャットアウトするように心がけ、何もない暗闇に身を放る想像をした。すると、不思議なもので、その暗闇に浮かんできた「He」「She」という文字、“Z”というヒント、車の写真、それを指す矢印と番号が、遠近法の絵画における消失点に向かうようにしてある1点に集まっていった。そこに浮かび上がったとある物が鍵のありかを示していた。


 ミナギは扉から体を離し、すかさず写真の2番の矢印が示すパーツを確認した。前方のタイヤのリムの部分に鍵がセロハンテープで貼り付けられていた。


 次に14番の矢印が指していた運転席に回った。運転席は鍵が空いており、入ることができた。中にはネズミをモチーフにしたマスコット人形が助手席に置いてあったり、ドリンクホルダーに飲み終えたペットボトルが入っていたりして、つい最近まで誰かが使っていたに違いない雰囲気だった。


 ーーこれは本当に放棄された車なのだろうか?


 ミナギは心底そう思わずにはいられなかった。森の中にこれだけ置かれている車に所有者がいるとも考えづらいけれど、流石に私物を物色するような趣味はない。ミナギはそう呟いて、手っ取り早く14番の場所、運転席のドアポケットに手を入れた。中にはやはり鍵があった。


 ミナギは「大変長らくお待たせしました」と言って手にした2つの鍵をシエルに見せびらかした。


「おお、ありがとうございます! 中を確認頂いてもよろしいでしょうか」


「りょーかい!」と敬礼してから、2つの鍵を順番に差し込んだ。


 唐突に遭遇した喋るオコジョのシエル。彼という話し相手を得て、孤独が紛れたはいいものの、その頼み事とやらに自らが応えられるかどうかはここまで自信がなかった。でも、こうして見事に要求に応えられた。これで心置きなく色々な頼み事や質問をしてやろう。そう思いながら扉を開けた。


 室内は暗闇で埋め尽くされていた。照明は一切ついておらず、遮光カーテンらしき物が閉じているためか、外からの光もほとんど入ってきていない。ミナギは、辛うじて自分の後ろから漏れてくる夕日を頼りに電源のスイッチを探す。


 蝶も後に続いて雪崩れ込むようにして室内に入ってきた。しかもその羽は暗闇の中でも仄かに青く発光したので、ミナギは少し驚いた。モルフォ蝶の羽って光ったっけ?蝶達はミナギの存在に目もくれず、右の方向、つまりは車の後方に広がる暗闇へと向かっていった。


 扉から入ってすぐ左に、木目で縁取られた四角いテーブルが備え付けられていた。その奥と両側にクリーム色のソファがテーブルを囲む形で配置されていた。ミナギは、その上に小さな塊が置かれているのを目にして近づいた。


 それは彼女の予想通り、電灯のリモコンだった。豆電球が光るマークを押すと、部屋が暖かい光に満ち始めた。


 その瞬間、ミナギの背筋が強張った。光が灯ると同時に、人の気配が強まるのを背中で感じたからだ。


 彼女は反射的に振り返り、その正体を目に留めた。


 扉から入ってすぐ右手には壁に沿ってキッチン設備があり、その奥に冷蔵庫がある。そしてその更に奥には寝台が置かれたスペースが見えた。


 そこから怪訝そうな顔をした少年が出てきた。少年の周囲を、沢山のモルフォ蝶が遊泳していた。

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