第一章 出逢い

第2話 メタリックブルーのゴミの山

「あるーひ もりのーなーか」


「くまさーんにー であーあった」


「はなさーく もーりーのーみーちー」


「くまさーんにー 『食べらーれーたー』」


 お馴染みの童謡を血染めの惨劇へと変貌させた替え歌が、ミナギの頭の中でループする。歌い手は、自分を世界の中心だと信じて疑わないありし日の天上天下唯我独尊未就学児童ことミナギだった。制作時間約5秒の自作を歌い終えたのち、自分でキャハハと笑う幼い声がこだまする。


 熊と聞いて誰もが思い浮かべるワードを歌に盛り込んだだけの取るに足らない子どもの戯れだ。記憶から抹消されてもしかたのないこの歌が、「森で喋るオコジョと出会う」と言う不可思議な景色と結び付けられて、記憶の澱から呼び起こされる。


 そういえば、幼きシンガーソングライターのファンとも呼べる存在が、その時は側にいたっけ。


 ミナギはそのちらついた存在に無意識に蓋をした。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 一瞬の錯乱状態から回復し、ミナギは目の前の存在を改めてじっと見つめた。


 ここは確かに森の中だが、出会った相手は熊さんではなくオコジョさんだ。服のような模様をつけ、しかも人の言葉を発するオコジョさんだ。


 あの童謡の熊さんも「お嬢さん、お逃げなさい」と喋っていたが、このオコジョさんは「お嬢様、お時間よろしいでしょうか?」と真逆のことを言ってきた。何がなんだかわからない。


 ミナギが押し黙ったまま両者の間にしばらく沈黙が流れてしまったためか、オコジョは再び口を動かした。


「お嬢様、少しだけ貴女様のお手を借りたいのです」


 混乱した頭、乱れた息、高鳴る心拍、上がる体温。ミナギはこれらを落ち着かせるべくすうっと深呼吸をしてから、ゆっくり言葉を紡ぎ出した。


「了解しました。ご用件はなんでしょう?」


 自分で喋りながら、まるでコールセンターのオペレーターのような口調だと思った。しかし、突然話しかけてきた小動物に対して返答するという経験は、20余年の人生で一度たりともないのだから仕方がない。


「こちらです。ついてきてください」


 そのオコジョは焦っていたのだろうか、ミナギがやっとの思いで投げたボールを、即座に投げ返してきた。


 そして、小さな体は私に背を向け再び四足歩行に戻ると、大した助走もつけずに、ひゅっと走り出した。


「ちょ、ちょっと、ちょっと。もう少しスピードを落として……」


 どこにあるかもわからぬ森。なぜここにいるのかもわからない自分。そして行きずりのオコジョ。何もかも謎だらけだけれど、かくしてミナギは彼(と、呼ぶべきなのだろうか?)についていくことにした。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 道中、かのオコジョは流暢かつ丁寧な言葉遣いでシエルと名乗った。たいそうな名前をもっているものだな、とミナギはぼんやり考えた。


 言われるがまま後をついてきて2時間は経過しただろうか。始めは急ぎ足だった彼も、人間にして大きなバックパックを背負っているミナギに歩調を合わせ、今はもうすっかり2人で歓談を交えながら目的地に進んでいるのだった。


「ごめんなさいね。私も君ぐらいのサイズだったら、同じスピードで走れたんだろうけど」


「気にすることはありません。こちらこそ、先ほどは焦燥のあまり種の違いを考えずに急かしてしまいまして」


 そう言いながらペコリと頭をこちらへ下げる。


 再び前を向いて歩き出したその後ろ姿を見て、なんとも惚れ惚れしていた。頭は綺麗に真っ白で、少しだけくびれた首から下がくっきりと黒くなっている。その境目は、服でいうところの襟のようだ。丸くて小さなシルエットの後頭部と一緒に、隙あらば凝視してしまう。


「ところで、とても基本的なことを聞いてもいいかな。ええと……シエルはどうして言葉を話せるようになったの?」


 言いながら、失礼に聞こえるかもしれないなと思った。相手の言語能力を問い質すような疑問を投げるなんて、コミュニケーションにおける自らの不信感を表明しているようなものだ。こんなことが許されるのは、語学学校或いは留学先の先生と生徒ぐらいだろう。


 ミナギの予想に反して、シエルは不快感を微塵も感じさせずに返答してくる。


「こう見えましてもワタクシ、本の虫なのです。幼少の頃より文字の洪水を浴びた末の所産という訳です」


 どこからともなくエッヘンという擬音が聞こえてきそうなぐらい自信に満ちた声だった。


 質問の意図から微妙にズレた会話となってしまったけれど、ある意味ではそれが答えなのかもしれない。シエルにとっては、自身の言葉は「勉強して話せるようになったもの」なのだろう。対して、ミナギにとって言葉は「人類にのみぞ許されし特権」という認識でいる。両者の間にあるこのズレには、カルチャーギャップという言葉がかっちりはまる。2人とも言葉で通じ合えるからと言って、見ている世界は違うのだ。


 その後も、ミナギとシエルは他愛のない話をしながら歩き続けた。それも時折カルチャーギャップを感じながら。


「ちょっと喉元を撫でさせてくれないかな?」


そわそわした調子でミナギは尋ねてみる。


「この件を終えましたらお礼に存分にどうぞ。いえ、お礼を言うのはワタクシの方かもしれません」


シエルは首を傾げながらも首肯する。


「普段は何食べてるの? ネズミとか?」


今度は食糧事情について質問してみる。


「いいえ、最近は木苺のジャムが病みつきです」


ミナギの質問に一度は嫌そうな顔をしてから、今度は話しながら思い浮かべた好物に目を輝かせる。


「あとでシエルはどこを撫でてほしい?」


とにかく触りたいという欲求が抑えきれずに催促するように聞く。


「お背中のあたりを所望します。最近、仕事で疲れが溜まってまして」


ミナギの欲求には気付きもせず、マッサージと解釈した返答をする。


「あとどれくらいで着きそう?」


ミナギはため息と一緒に言葉を吐く。


「もうそろそろです」


シエルは宥めるように言った。


 目的地への距離が近づいているという事実と交わした言葉の数々が、2人ーーというべきかそれとも1人と1匹と言うべきかーーの間の空気を着実に弛緩させていった。


 元々訳のわからぬまま森からの脱出を目指すことになり、生きるか死ぬかの問題だったのが今や嘘のようだ。異形の存在とはいえ、意思疎通が取れるシエルはミナギにとっての精神的な安らぎとなっている上、この森の住人と思しき彼についていけば最悪食料には困るまい。運が良ければ、人里まで案内してくれるかも知れない。


 そんなことを考えながら小さき案内人の後ろ姿をまじまじと眺めていると、突然目の前を何かが遮った。


「うおっ……蝶?」


 驚いてやや後ろにのけぞった。だが、その際立った特徴のおかげですぐに正体を突き止められた。


 その羽は鮮やかな青色で、ギラリとした金属光沢を放っている。上下に揺らめき、角度を変えると、その動きに呼応してその濃淡と陰影は絶えず階調変化を遂げる。あまりに細やかなグラデーション故、羽ばたいている瞬間をアトランダムに写真に収めたとして、全く同じ色をした写真を揃えることはできないだろう。この羽の持ち主は、地球上最も美しい蝶と称されるモルフォ蝶だ。


 この森では特に役に立たないと思っていた左ポケットの携帯電話を思い出す。撮影でもしようかと思ったけれど、前にいる小さな彼はてくてく歩き続けている。頼まれているのはこちら側とはいえ、目的があって先を急いでいる彼の邪魔はしたくない。写真を取れない代わりにせめて目には焼き付けておくことにして、内なる好奇心を手懐けた。


 とあるモルフォ蝶がゆらゆらと目の前を横切る。一心不乱に何かに向かっているようにも見え、執拗にそれを目線で追っかけてみる。すると、その先には意外なものが落ちていた。


 地球儀だ。下の台座は地べたに接し、そこから伸びた金属のフレームは我らが地球を支えている。まさに学習机の上に置いていそうな地球儀そのものだが、ここは森でそこは土の上だから見るからに場違いだ。モルフォ蝶はその頂点、つまりは北極大陸に降り立って、羽を休めた。


 また別のモルフォ蝶が飛んできて、今度は別の場所に落ちていたビバレッジ商品の缶を模した貯金箱の上にとまった。貨幣経済のお役立ち品たる貯金箱にしても、自然溢れる森にはお役立ちそうにない。


 暫く逡巡してから、ミナギはその身に覚えた違和感を、足を止めることになろうとも、シエルに伝えようと決意した。だが、口を開きかけたその時、偶然にもシエルが機先を制するようにして言葉を発した。


「つきました、ミナギ様。ここが目的地です」


「あ、そうなの」


 そこは広場と呼ぶにふさわしい場所だった。そこだけは樹木が生えておらず、地には乾いた土と短い草だけが広がっている。家一軒を建てられそうな面積の、本来ならなんの変哲もない空き地だ。


 しかし、いくつかの理由からそこは異様な空間としか言いようがなかった。


 一つに、その広場の中央にはゴミの山が築かれている。ミナギの背丈の4、5倍はあろうかという高さまで積み上がっている。


 二つに、そのゴミの山は大半が軽自動車、バス、トラックといったもので占められている。ここは不法投棄の名所なのだろうか、とミナギは思った。


 そしてミナギにとって最も驚きの三つ目。その山全体を先ほど何度も見かけたモルフォ蝶が飛び回っているのだ。それもとても10や20では済まない数だ。目算で数百匹はくだらない。


 特にそのゴミ山の頂点に鎮座しているキャンピングカーらしき物体には夥しい量の蝶がびっしりとまっていた。その車本来の外装はほとんど視認できないほどに覆い尽くされている。


「これってもしかして危ないヤツ?」


ミナギは目を皿にして、ゴミ山を見上げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る