税金作戦

 居間の時計が夕飯の時刻を知らせる。


「ただいまー」

 玄関から娘の声が聞こえてくる。


「ユミおかえりなさい。そろそろ晩ごはんにするから、手洗ってきなさい」

「わかってるよ。あーお腹ペコペコ」


 机の上には母が作った料理が並んでいる。

 今日もいつもと変わらない幸せな日々だ。


「いただきます」

 3人で手を合わせて食事への感謝を告げる


 最初に静寂を破ったのは僕だった。


「どうだ?学校の調子は」

「う〜ん・・・」


 娘は何か言いたげな様子だった。


「なんか税金の授業があったんだけど、よくわかんなくて」

「そうか。どこがわからないんだ?」

「だってうちらまだ学生だから、税金って言われてもわかんなくて」


 僕は得意げに話した。

「税金がないと警察やゴミ収集の人や消防士の人が動かないぞ。それに学生なら『消費税』は払ってるじゃないか」

「わかってるわよ! そうじゃなくて……」


 母が横から口を出す。

「学生のうちは税金なんて意識しなくてもいいから身近に感じられないのよね?」


「そう! そうなの!」

「ほらね? お父さんって聞いてもないことを語り出すところあるわよね」


 何も言い返せなかった。


「だから公民の授業もよくわかんなくて……」


 僕は少し考えた。

 今日のハンバーグは肉汁が閉じ込められていて美味しい――じゃない。

 どうやったら税金の説明ができるか――そうだ。


「うちで試してみたらどうだ?」

「どういうこと?」


 母には言いたいことが伝わったようだ。

「いいじゃない。家で税金を作って体験してみるってことよね?」

「そういうこと」


 娘は首を傾げた。


「う〜ん……ちゃんとできるかなぁ」

「大丈夫。分からないことがあったら教えてあげるから」




 こうして、我が家の税金作戦が始まった。

 まずは税金の仕組みについて説明した。


「例えば、ユミがお手伝いをして、僕たちからお小遣いをもらうとする。この時お小遣いから引かれるのが『所得税』。そうだな――今回は5%にしよう。お小遣いの5%は税金になる」


「税金って貯金ってこと?」

「簡単に言うとね。ただ、この税金はみんなのお金だ。使い道はみんなで決めよう」


 母が含み笑いをしながら口を挟む。


「まぁ、家の状況は私が一番わかってるから、私に決定権があると思うけどね」

「……そうだな」

「冗談よ。公平に多数決にしましょう」


 娘の様子を見ると、まだ首を傾げていた。


「税金って、どうやって貯めるの?」

「そうだな。さっきの『所得税』もそうだけど、他にもこんなものがあるよ」


 僕は次々と説明していった。


『消費税』――商品の値段に税金の額が上乗せされる。

『住民税』――その地域に住んでいたら税金を払う。

『固定資産税』――家や土地所有していれば税金を払う。

『酒税』――酒の値段に税金の額が上乗せされる。

など、多岐にわたる。


「例えば、ユミはこの家に住んでるから『住民税』かな」

「え!?」


「あとは、ユミは部屋があるから『固定資産税』かな」

「ちょっとまって!?」


「どうした?」

「『住民税』と『固定資産税』って、ただ住んでるってだけでお金取られるの?」


「そうだよ?」

「そんなの……無理に決まってるじゃん!」


「でも僕もお母さんも払ってるし」


 すると、母は何か思いついたように話し始めた。

「ユミはまだ学生だから所得税だけにしましょう。お手伝いをした分だけ税金が貯まるの。私たちを助けると思ってガンガンお手伝いして、ね」

「うん! わかった」


「お父さんもお手伝いしてくれたらお小遣いあげるから」

「やったー!」


「あと、お父さんはお酒を飲むから酒税もね」

「え!?」


「お酒が高いこと、知ってるわよね?」

「で、でも『酒税』とか『消費税』ってのはお店が払うものであって、お母さんが僕に酒を売りつけないと発生しないんじゃ……」


「ツベコベイワナイ」

「ハイ」


 ユミがある程度免除されるのはわかるが、まさか僕の方にも制限がかかるとは。


「でもどうしましょう。私が払う税金がないわ。何かないかしら」


 僕はしばらく考え、こう提案した。


「母さんは税金の管理者――つまり国だから払う必要ないよ」

「あら、いいの?」


 こうして我が家のルールが決まった。

 ユミと僕はいわゆる国民。

 お手伝いするたびにお小遣いがもらえ、そこから『所得税』が引かれる。

 僕はさらにお酒を飲むたびに『酒税』が課せられる。


 母はいわゆる国。

 税金を払わなくてもよく、貯まった税金の使い道を決める。


「じゃあ、明日からこれでいこう!」




 翌日、僕たちはみんなが集まるダイニングキッチンに税金BOXを設置した。

 みんなが税金の貯まり具合を確認できるから、満足感が得られる。


「ユミー! ご飯の支度手伝ってくれるー?」

「はーい」

「僕は……」

「じゃあ掃除でもしてもらいましょうか」


 僕たちは家事を手伝うようになり、お小遣いを貯めていった。

 税金も順調に貯まっていった。


 夕食の時間になり、貯まった税金BOXを見ながら使い道を話し合った。


「そろそろ税金貯まったし、使ったらどうだ?」

「私は、そうねぇ。この前TVで見たんだけど、『全自動卵割り機』がほしいわぁ」

「いや、絶対いらないだろ! それ!」


「ユミは何がいい?」

「私釣りがしたい!」


 母は目を丸くした。


「釣り? ユミそんな趣味あったの?」

「うん。ちょっとやってみたいなーって」

「へぇー。いいじゃないか。学生の頃は色んな経験をすることが大事だぞ。それに、魚が釣れたら食費も浮くし、みんなで釣りも楽しめるぞ」


「う〜ん、まぁユミがやりたいって言うならいいけど」

「やったあ!」


 こうして、最初の税金は釣り具セットに決まった。


 僕の計算通りだ。

 あらかじめ娘にお金を渡し、釣り具をねだるように仕向けておいた。

 多数決の欠点は、味方が過半数以上いれば思い通りになることだ。


 しかし、最初は僕とユミで釣りを楽しんでいたものの、1ヵ月もするとだんだん釣りに行くのが面倒になり、釣り具は使わなくなっていった。

 結局、今は母が使っている。




 そして、第二回目の税金の使い道を決める時、悲劇は起こった。


「そろそろ税金貯まったし、使ったらどうだ?」

「私は、そうねぇ。この前広告で見たんだけど、『0泊3日大阪グルメ見放題ツアー』に行きたいわ」

「見るだけかよ! そこは食べ放題じゃないのかよ! 騙されてるよそれ! ていうか0泊ってどこに泊まるんだよ!」

「ユミは何がいい?」

「私カメラが欲しい!」


 母は目を丸くした。


「カメラ? ユミそんな趣味あったの?」

「うん。ちょっとやってみたいなーって」

「へぇー。いいじゃないか。今はSNSに投稿できるし、みんなで旅行した時に記念写真も撮れるぞ」


「う〜ん、まぁユミがやりたいって言うならいいけど」

「やったあ!」


 娘は既に僕の手中だ。

 今回も僕の計画通り――のはずだった。


「カメラもいいけど、洗濯も掃除もできる『洗濯掃除機』も欲しいのよねー」

「さっきからなんなの!? その癖の強い商品!?」


「でも……」


 今日はやけに粘ってくるな。どういうことだろうか?


「ほら、物ならいくらでも買えるじゃないか。それに比べて経験は早ければ早いほどいい。ね?」

「この前の釣り具セットだって、途中で飽きてたじゃない?」

「それは……」


 僕は言葉に詰まった。


「ユミはカメラが欲しいのよね?」


「え? う……うん」

「携帯のカメラじゃダメなのかしら?」

「……」


 母に問い詰められた娘はテーブルを見つめ、固まってしまった。

 無理もない。カメラが欲しいのは僕。娘は僕に合わせてるだけなのだから。


 僕は慌ててフォローを出す。


「ほ、ほら。携帯のカメラよりも売ってるカメラの方がカスタマイズが可能で……」

「私はユミに聞いてるんだけど。なんであなたが出てくるの?」


 僕はしまったという表情をした。

 それを見た母は、全てを見透かしたような表情を浮かべた。


「ほらね? どうせあなたがユミに何か吹き込んだんでしょ。ユミも味方は選んだ方がいいわよ?」

「う……うん」


 ユミが白状してしまったので、僕は観念した。

 カメラを諦めていたその時、母の口から衝撃の事実が告げられた。


「それとお父さん。あなたには『脱税』の疑いがあります」

「『脱税』?」


 娘は驚いて母の方を見た。

 母はゆっくり頷き、続けた。


「お父さんは夜、私に内緒でお酒を飲んでるわね?」


 ギクリとした。

 まずい。

 僕の顔から血の気が引いていくのがわかった。


「お酒を飲んだ時は『酒税』がかかるっていうルールなのに、お父さんは納めなかった。」

「え!? そんなのルール違反じゃん!」


「いい? ユミ。『脱税』をしたお父さんは、もはや『犯罪者』よ」

「『犯罪者』……」


 二人は冷めた目でこちらを見つめてくる。

 やめろ! ユミ! お母さん! こっちを見るな!


 娘はさらに追い打ちをかけた。


「そういえば私、お父さんが内緒でお酒飲んでるところ見ちゃったけど、お金渡してきて黙っててくれって言われた」

「ユミ!」


 僕は慌てて止めようとしたが手遅れだった。

 ゆっくりと母の方を振り向くと、温厚な表情とは裏腹に、凄まじい圧力を感じた。


 僕は母の気迫に負け、全身から力が抜けた。

 椅子にもたれかかったその姿は、糸の切れた操り人形のようだった。


 母はため息を一つ付き、こう告げた。


「ユミの勉強にもなっただろうし、もう税金制度はやめにしましょう。これから欲しい物があったらいつも通りどんどん言って。できるだけ応えるようにするから。ね?」


 僕と娘は軽く頷いた。


「さて! お父さんだけ悪者にするのも悪いから、私も白状するわ!」

「「え!?」」


 僕と娘は同時に母の方に目を向けた。


「実は私、税金で色々買わせて貰ったわ。プリンでしょ? 化粧品でしょ? それと……」


 僕は黙っていなかった。


「お母さん! さすがの僕も言わせてもらうよ! 人には厳しいのに、お母さんだって好き勝手やってるじゃないか! 僕だけ悪者にしておいて、自分も不正を働いているなんて冗談じゃない!」


 しかし、母は動じないどころか、開き直っていた。


「いや、残念ながらこれは合法よ」

「税金を私物に使って、どこが合法だ!」


 僕たちは当然、納得がいかなかった。


 母は娘に向かって話しかけた。


「ユミ、よく聞いて。国は国民から税金を集めるけど、使い道は自分たちで決められるの。当然無駄遣いすることもあるわ。本当は許されないことだけど、今の日本ではこれがまかり通っているの。こんな日本を変えられるのは、若いあなたたちの力が必要なの」


「う……うん?」


 ユミにはまだ難しいようだった。

 言ってることは正しいんだけど、どこか理不尽な気がする。


 僕は頭を掻いた。


「あーもう! ムシャクシャする!」

「食事中だからムシャムシャね」

「全然上手くないよ!」


 こうして、我が家の税金戦争は幕を閉じた。




 失敗かのように思えたが、母は新しく釣りの趣味ができ、娘の勉強にもなったと思うので、やってよかったのかなと思う。


 ただ……。


「『犯罪者』。そこのお皿とって」

「『犯罪者』。塾に遅れそうだから送ってー」

「」


僕一人だけは、未だに肩身の狭い思いをしている。

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