整体死〜異世界でも沢山モンスターを突くようです〜

琥珀kohaku

異世界召喚

「は〜い! 次は背面になりますので、うつ伏せになってくださ〜い!」



六ヶ月間にもわたる過酷な長い研修期間を終えての、初めての勤務。



うちのマッサージ店は世間からも評判が良く、かなり人気のある店だ。



その理由の一つとして、誰もが満足してもらえるような工夫された接客が上げられる。



一人一人専属の整体師が付き、入店から退店までのスムーズな流れ、身体を触るだけで人間を快楽にまで誘うゴッドハンド。



それを前に、人々は昇天すること以外に抗えない。



気持ちよくなる以外の道を見失ってしまう。



当店の売りの一つだ。



また、マッサージを受ける対象は人間に限らず、犬や猫といった一般的な家庭で飼われているペットも可能だった。



なので、セレブの間では小耳に挟む程度の噂になっていた。



入社したばかりの新人も、六ヶ月にも及ぶ過酷な研修期間を経ただけあって、毎年質のいい新人整体師が揃えられている。



――――そんな非の打ち所のないマッサージ店だった。



「…………うつ伏せになってくださ〜い! 」



研修期間中に何度も言わされた、お決まりの言葉。



勤務初日とはいえ、馴れた言動で特に何かを意識した訳でもなく、たわい無い動作だった。



「――――えっ!? …………どうしてだ!? 」



薄暗い、仄かな甘い香りのする部屋で作業をしていたはずだった。



だが、辺りは一変。



八月の照り付けるような日差しに、草いきれ。



肌がジリジリと焼けていくのを感じた。



《様子がおかしい》



「診療台を前に、客を相手していたはずなんだが……? 」



目の前にあった診療台は無い。



そして、目の前にいたはずの客の姿も見当たらない。



ただ、そこには腰ほどある青々と生い茂る草むらだけだった。



《こ、ここは何処なんだ? 》



「おーい! 誰か〜!! 誰かいませんか〜!?」



いつもならあまり大きな声を出したりはしないが、この時ばかりは辺りに人影も無く、見たことの無い場所にポツん。



と立っているだけだった。



《どうしよう!? これはヤバい! マジでヤバい!! 》



内心焦りを感じてきていた。



気が付けば、本能的な何かが悟ったのか、つい大きな声を上げていた。



*************************



――――御影 綱仁(みかげ つなひと)



一月二十七日生まれ。二十三歳A型。帝京平成大学出身。



小さい頃から両親は共働き。



なので、いつもばぁちゃんに面倒を見てもらっていた。



また、ツナヒトの家庭は世間一般から見ても裕福とは言えない、貧しい生活を送っていた。



泥水をすすって生きるような生活。



だが、ツナヒトには生き甲斐と呼べるものが一つあった。



それは、ばぁちゃんに対してのマッサージだ。



決して社交的とは言えない内気な性格のツナヒト。



でも、体の悪いばぁちゃんにマッサージをしてあげると、いつも笑顔で



「ありがとう」



と、笑顔で喜んでくれる。



そんな笑顔がツナヒトの生き甲斐だった。



しかし、そんなばぁちゃんにも徐々に衰退していき、大学を卒業する頃。



遂に、亡くなってしまった。



生きる意味を失ったツナヒトは、流れるままに身を任せ、今のマッサージ店に入社した。



*************************



そして《今》に至る。



「はぁ、はぁ、本当にここはどこなんだよ!」



焦りの感情が込み上げてくる。



「誰かぁ〜! おぉ〜い!! 」



《何で、誰もいないんだよ!!! 》



ずっと同じ景色の中、不安な気持ちが滲み出てくる。



もう、既に精神的な余裕はなく、服もボロボロだ。



少しずつ怒りが露になっていく胸中。



————悲劇は突如として起きた



「ヴルル————」



「————ワァン! ワァン! 」



「うわぁ〜! なんだよぉ、お前ぇ!? 」



ほんの一瞬の出来事だった。



草むらの中から何者かが突進してきて、激突。



気が付いたら地面に押し倒されていた。



「ワン! ワン!! 」



どんなものでも粉砕してしまいそうな、その鋭い牙が目前まで迫ってきていた。



それはまるで、暴れ狂う犬のようなものだった。



激しい動きに最初は、否が応にも負けまいと踏ん張って全力で抵抗したが、



《あれ? え? どうしてだ!? な、何で力が……入ら…な、い!!?》



大声を出し続けて草むらを進んだせいか、自分で思っている以上に体を動かせず、限界を迎えていた。



全然力を込めることが出来なかった。



刹那、時が止まったのかと錯覚するような、ゆっくりとした流れに意識が支配される。



そこでは先程まで影から顔を出していた、不安感や焦燥感といった感情は失われていた。



清らかな気持ちで心が満たされていく。



《俺は死を覚悟したのか?》



——————否。





それは突如として現れた。



暴れ狂う犬のような生き物に、小さな魔法陣のようなものがいくつも浮き出してきたのだ。



魔法陣の示す場所。



それは————《経穴》ツボだ。



今まで大学で4年間学び続けてきたことだったから、すぐに理解することができた。



そして、ゆっくりと動いているように感じていた時間は、時を取り戻したかのように再び動き出した。



「ここだぁぁー!」



渾身の一撃。



身体のあちこちにあった魔法陣の中でも特に色の濃かった、壇中(胸と胸を繋いだ時、中心にくる部分)を寝たままの状態で思いっきり蹴り上げた。



口が首元まで裂け、大小様々な鋭い歯がびっしり詰まっている獣に対して、効果は絶大だった。



だが、まだ魔法陣はあちこちに見える。



さっきの蹴りが予想以上に効いたのか、狂気に染まった獣は怯んでいる。



その隙に、ツナヒトは近くに落ちていた先の尖った太い木の枝を、無我夢中で拾い上げ力一杯に握る。



「おりゃぁぁー!!」



すかさず、右前脚に一刺し。



だが、それでも倒れる様子は見えず、決定打にはなりえない。



獣特有の《粘り強さ》というものを見せつけられる。



互いに姿勢を立て直し、正面睨み合う。



「はぁ、はぁ、はぁ———— 」



今まで感じたことの無い負荷が筋肉にかかったせいか、脚や太い枝を持っている腕がプルプルと震えだしてきていた。



そして、節々は骨と骨が擦れあって、鈍い音を体内に響かせている。



細胞一つ一つ、体全体が次の攻撃で最後だ、と訴えかけていた。



耳が聞こえなくなるほどに心臓の鼓動が高まり、緊張していく。



「ふぅーはぁ〜、ふぅーはぁ〜 」



心臓の高鳴りを大きな深呼吸で抑えつけるようにして、心を落ち着かせる。



《どっくん、どっくん、どっくん、どっくん 》



息は整ったが、それでも高鳴りは鳴り止まない。



これまでの非現実に右往左往していた。



それもそのはず——————



ツナヒトは突然襲われたのだ。



今までは反射的に体を動かしていた。



だが、頭の中ではまるっきり理解することが出来なかったのだ。



《これまでの出来事を一旦整理しよう》



まず始めに、歯がびっしり詰まった犬のような獣が、草むらから突進してきた。



その後、獣が馬乗りになって鋭い牙を剥き出しにして目前まで迫ってきていた。



そしてツナヒトが壇中を蹴り上げる。



最後に、近くにあった太い枝を獣の右前脚に刺し、今に至る。



********************



改めて出来事を確認した胸中。



多少なりとも冷静になる事が出来た。



そして、それと同時に《生きる》という事に対してケジメをつける事が出来た。



生きるために自分を襲い食らおうとする獣。



ばぁちゃんが亡くなって、生きる意味を失ったはずなのに、獣に殺されたくないと必死になって《生》にしがみつく自分。



そこに生じる矛盾。



結局生きている理由が無くても、生きていたかったのだ。



元いた世界では《生きる》という本当の意味を理解していなかった。



理解しようとしていなかった。



ばぁちゃんを理由に目を背けていた。



だか、今では《生》をハッキリと理解することが出来る。



自分から《生きたい》と心の底から思えるようになった。



この獣とのやり取りで《生》とは何か、少しばかし気づけたような気がした。



改心することが出来たのだ。



そして、自分よりも貪欲なまでに《生》にしがみつく目の前の獣と、本当の意味で今向かい合った。



先程までとは違う、確かな一歩。



一歩、また一歩と強く踏み締めるその足には迷いがなく、しっかり生きる意志を持っていた。



「ダッ………………ダッ…………ダッ……ダッ、ダッ、ダッ 」



獣との距離をいっきに駆け寄る。



狙いはもう既に定まっていた。



《次の一撃で仕留める》



「うぅぉぉぉー!! 」



右手に持っていた太く鋭い枝を握り締め、首元目掛けて全力を注ぎ込む。



枝先が味わったことの無い感触を受ける。



そして見事、首元を突き刺し、貫通。



「あ、あぁぁ………やっと、やっと倒すことが出来た 」



《本当によかった ……》



血しぶきと共に安堵の声が漏れる。



緊張から解放され、思わず体が崩れ落ちた。



仕事柄、ある程度体は鍛えていたがそんな事をものともせず、非日常という疲れが容赦なく襲ってくる。



野性的な考えではあるが、この世界は所詮弱肉強食。



それがルールなのだと思い知らされた。



弱い者は死に、強い者は生きる。



そして今、御影 綱仁は勝ったのだ。



勝者だけが感じられる《生》の実感。



ツナヒトはそれを噛み締めながら、また前へ草むらをかき分けながら進むのだった。









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