神崎ひかげVSナイアガラドラクルオオアナグマ

川谷パルテノン

アニマルハンター、海を越える!

「こっち。こっちだよ!」

 男は爽やかな笑みを浮かべて女を手招いた。

「待ってよ、ねえ待ってったら!」

 女はまんざらでもなさそうに怒ったフリをする。女の名は神崎ひかげ。その名が顕すように陰鬱な毎日を飲酒で押さえつけてきた歴史がある。されど、日陰にもまた差す光あり。ヒカルとの出会いは数週間前に遡る。


 その日もその日とて、自宅手酌で酔いしれて、あれよこれよとくだを巻いていた神崎に一本の電話が入った。神崎が勤める某企業の出入り業者(バイトくん)アルバ・伊藤・ヒカルからだった。ヒカルは日系アメリカ人の血を引く雰囲気イケメンで、神崎もなんやかんやで連絡先を交換していた。そんなアルバ・ヒカルは大胆にも電話の向こうで神崎をデートに誘った。


「初デート……だよね?」

 空港にいた。神崎の胸中は「これ日帰りできんのか?」という不安でいっぱいだった。明日も仕事があるからだ。大丈夫しか言わなくなったヒカルに億抹の不安を覚えながら飛行機は出発した。


 辿り着いたのはヒカルの故郷。アメリカニューヨーク州、それもカナダとの国境付近ナイアガラフォールズ市。片道約一三時間。神崎の出勤時間もまた刻々と迫っていた。ところが機内で出されたビール、これがよくなかった。神崎の中の大体の事象は些末なことと化していた。


 ヒカルは神崎の手を引いて故郷を案内した。神崎もまた久方ぶりの経験に浮き足立つ。そんな浮ついた気分で、跳ねるようにしてやって来たのは滝。教科書でみた。ナイアガラフォールズのそれである。

「ヒカゲサン、御免」

「え? どういう……」

「ヒカゲサンノ噂ハカネガネ」

「いや、だからなんの……」

「トリアエズコレ飲ンデ!」

「ちょまヒカルくん! ゴ、ゴベぁ!」


 神崎がヒカルに謎飲料(バドワイザー)を飲まされているその時だった。


ンンギャアアアアアアィーーーンン!!!!


 滝壺の方から凄まじい咆哮が鳴る。

「ヒカゲサン! 来ルヨ! 奴ガ来ル! 構エテ!」

「ふぇ〜〜?? なんがれすかああ?」


 ナイアガラの滝は幅こそ広いものの全高は比較的低い。とはいえ異質な光景だった。滝を遡って巨大な獣が迫り上がってくる。


ンギャアアアア!!!!


 ナイアガラドラクルオオアナグマ。この地に棲まう頂点捕食者にして、特級害獣指定を受けながら地元ハンターでさえ太刀打ち出来ない猛者中の猛者。

 ベロベロバイザー神崎はその体躯を目にした瞬間に正気を取り戻した。

「いやいやいやいや無理無理無理無理無理無理!!! どうしろと!? ヒカルくん! ヒカルくん!? ……アルバァアアアアア!!」

 すでにヒカルの姿はそこにない。となればナイアガラドラクルオオアナグマの標的は神崎ただ一人だった。凶行によって一帯の生態系を滅ぼしつつある獣は飢えていた。ただのOLでさえ立派な獲物となり得る。神崎は覚悟した。足下に落ちていたビニール袋を拾いあげると、中から缶を一本取り出してプルタブを引いた。刹那ナイアガラドラクルオオアナグマが眼前を覆うようにして大きく飛びかかり、その爪を神崎の方へ翳す。爪先は確実にその首を刎ね飛ばさんとし接近していた。


パシッ


「おい毛むくじゃら」

 獣は困惑した。身体が宙空で停止したままピクリとも動かないのだ。滝を登ったとはいえ重力を知っていた獣はこの状況のありえなさも理解できたし諸々理解出来なかった。ところが次の瞬間、爪を軸にしてあらぬ方向へと全身が振り飛ばされ、陸地に叩きつけられると痛みが体中に迸った。されど百戦錬磨の凶獣は怯むことなく体勢を立て直し獲物のいるはずの向きを捉えた。いない。そう意識したのも束の間、首筋に負荷を感じた。

「せっかく、せっかく、新しく決まって。これからは真面目に……真面目に……チクショウが、遅刻したやろがああああああい!!」

 頭頂部に叩き込まれた拳はそのまま獣の顎まで貫通し、巨体は地に伏した。ナイアガラドラクルオオアナグマ出現から僅か一〇分の出来事であった。しかしながら神崎にとってこの一〇分が天下分け目であった。


「タマちゃああああん!」

「ハイハイよしよし、また探せばいいじゃんね」

 終わった恋、再び失われた職。センチメントを癒すのは酒と友情。相場が決まっている。

「バカヤロォ……」

 スマホ画面に映った、泣き顔の女とボコボコに面を腫らして笑う男。切なさのピースサイン。獣の遺骸の前で撮られた僅かな想い出に浸り、ひかげは友人の胸の中で眠りごちていった。

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神崎ひかげVSナイアガラドラクルオオアナグマ 川谷パルテノン @pefnk

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