精霊としての立場


 屋根上に降り立った瞬間、肌がぞわりと粟立った。

 同時に肌にぴりりとした痺れを感じ、ティアは息を呑む。

 それは共に転移してきたシシィも同じで、への字になっていた口が緊張で引き結ばれていた。

 降り立つ場所を間違えてしまったのだろうか。

 まさかシシィではあるまいに、そんなことはないはずだ。

 ティアは慌てて辺りを見回す。

 点在する煉瓦造りの民家。ティア達が降り立ったのも、その中のひとつだ。

 やはり転移先は間違っていない。なのに――。


『……僕がこの地に着いたときは、ここまで魔力は濃くなかったんだけど』


 おかしい、と。シシィもこの事態を異常だと感じていた。

 魔力がもとより濃い地だとはいえ、それにしても濃すぎる。

 碧の瞳に険が滲み、シシィは遠くへ視線を投じた。

 彼の視線の先。高台から見える屋敷があり、そこから屋根に咲く魔力の華が遠目からも確認できる。

 離れた町中からでも視認できる程に、魔力の華は大きいということだ。

 そして、そのすぐ傍には蕾らしき形態も見える。


『あの華、もう少しで咲きそうに見える、ような……気がするけど』


『……咲きそうに、見えるわね……』


 歯切れのシシィの悪い声に、ティアもまた歯切れ悪く応えた。

 屋敷の方角へとティアが目を向けると、それを見越したのか風が動いた。

 まるで彼女の意図を察したかのように。

 ティアが風に耳を傾けると、硝子にひび割れが入ったような音を拾う。

 琥珀色の瞳が険しくなり、睨むように細められた。


『――あの華、今にも咲くわ』


『え――』


 どうしてわかるのかとシシィが反応する前に、また一輪目と魔力の華が開花した。




 元より漂う魔力が濃かった土地柄ゆえか、魔力の浸透率が高いらしい。

 魔力の華が咲いてからあまり時も経たずして、シシィらが居る町中の魔力濃度は一層高まった。

 険しい顔で辺りを見渡し、シシィは口を苦々しく歪める。


『……僕達精霊に課せられた役目は、人々が暮らせるように漂う魔力を鎮めること……だよね』


 精霊にとっては当たり前のそれを、シシィはあえて確認でもするかのように呟いた。

 その声はどこか不満そうで、気になったティアは思わず反応を返す。


『どうしたの、シシィ。なんか、嫌そうな感じ……?』


『……だって精霊灯なんて造ってるくらいに、ここは精霊が遠い場所なんだよ? 率先してやってあげようなんて、ちょっと思えないじゃん』


 そう言って口を尖らせるシシィは、どこか子供っぽいけれども、ここまで不満そうなのも珍しい気がしてティアは目を瞬かせる。

 が。


『……その前に精霊灯ってなに?』


 聞き慣れない単語を耳にし、意識がそちらへ引っ張られる。

 ああ、そう言えば説明していなかったね。と、シシィが頷いた。


『精霊灯って言うのは――』


 しかし、シシィが説明しようとしたのを風が吹き付けて遮った。

 吹き付けた風は、そのまま暫しティアの周りを飛ぶと、気が済んだのちにまた何処かへと飛び去って行く。

 それを不機嫌な面持ちで見送ったシシィがティアを振り向く。


『……ちあ、今のは? 訊かなくてもなんとなくわかるけど』


『今ね、精霊灯について教えてくれてた』


『だよね。なんか役を取られた気分』


 渋面になる彼に苦笑しつつ、つまりはあれでしょ、とティアは光の粒が飛び交う街灯を指差す。


『魔力を駆使して精霊の浄化作用を模した街灯、のことよね』


『そう。それを最近改良したらしいんだ』


 精霊を使ってね。と。

 冷めた碧の瞳が精霊灯を見やる。

 彼の瞳に冷たさが宿るのを、ティアは初めて見た。

 そして、もう一度ティアも精霊灯へ視線を向ける。

 ティアだって、精霊として思うところはある。

 だからシシィが言うこともわかるのだ。

 現にティア自身も精霊として彼に同意だ。

 けれども、と。琥珀色の瞳が揺れ動く。

 同時に彼女は風から拾ってしまった。

 逃げようとする人の声。人を助けようとする人の声。魔力の濃さに苦しむ人の声。


『シシィが言うこともわかるし、私も同意する。けど、それでも私達は精霊だもの』


 いつの間にか伏せられていた琥珀色が、ゆっくりと隣のシシィを見れば、彼は空を仰ぎ、虚空を見ていた。


『わかってる。僕らは精霊――人の祈りからうまれた存在だ』


 そして、身体を賜ったとき、かの存在から課せられた役目がある。


『――魔力を、鎮めるよ』


 静かに彼は呟いた。




   *




 町中の雑踏を騎士服を着た人らが誘導していた。

 喧騒が広がる中でも混乱に陥らないのは、彼らが的確に誘導をしているおかげか。

 領民の列は町の外へと向かい、その流れも滞ることなく進む。

 魔力の薄い方へと確実に誘導する手際のよさは、きっと各地で浄化作業にも着手したことのある、経験ある騎士隊だからだろう。

 さすがは王都が編成し派遣した騎士隊だ。


『……で、問題はどうするかなんだけど』


 腕を組んだティアは、そんな町中を眼下にしながら唸る。


『浄化するにしても、私とシシィのふたりじゃさすがに範囲が広すぎるし、私達に眷属はまだいないし』


 困ったものだ。そもそもが、圧倒的に頭数が足りない。

 ゔーんと首を捻るティアに、シシィがぽつりとこぼした。


『……あてがないわけでもないんだけど』


『えっ』


 弾かれたように振り向くティアに、シシィが苦笑をもらす。


『笑ってないで教えてよ』


『うん、そうだね。ごめん。もしかしたら、気付いてるのかもしれないけど、母上の――』


 が、ここで誰かの声がシシィの言葉を遮った。


『――ここに居たか、お前たち』


 突とした別の声に、ふたりは瞬時に警戒の視線を走らせる。

 が、降り立った気配が知っているものだと気付けば、すぐにその緊張を解く。

 はあ、と少々重い息をシシィは落とした。


『母上の気配がしたんだもんね。父上だって居るか』


『お久しぶりです、スイレン様』


 こつりと靴音を品よく鳴らして屋根に降り立ったスイレンに、ティアは丁寧な所作で礼をする。


『ティアちゃんとは久しぶりだな。すっかり大きくなって……ああ、畏まらなくていいよ』


 そう言い、スイレンは軽く片手を上げてティアに応える。

 ティアも礼のかたちを解くなり、身体から力が抜けたのを自覚する。

 どうやら少しばかり緊張していたようだ。

 それを見抜いていたのか、ぱちりとスイレンと目が合えば、彼は微笑ましそうに微笑を浮かべる。

 それがなんだか恥ずかしく、慌ててティアはシシィへ話の矛先を向ける。


『シシィは挨拶しなくていいの?』


『僕はここに向かう前に一度父上と会ってるし、それにちょっと今の僕は不貞腐れ中だし……』


『不貞腐れ中って、べつにおじさんとのあれとスイレン様は関係ないんじゃ?』


『あるよ。たぶん』


 え、とティアは軽く琥珀色の瞳を見張ってスイレンを見やった。


『あの時には父上も知ってたんでしょ? それなのに、僕には黙って送り出したりしてさ』


 スイレンの空の瞳が瞬き、シシィを見る。

 ティアの言うおじさんとは、彼女の叔父であるフウガしか思い至らない。

 となれば、あれのことをシシィは言っているのだろう。


『駒の役割も兼ねていたという話か』


 スイレンが顔を伏せる。

 あれは黙っていることしか出来なかった。

 精霊としての位はフウガの方が上なのだ。その彼が否と言えば、スイレンに逆らう術はない。

 だが、それはシシィにとっては関係のないこと。怒るのも仕方ない。

 スイレンだって、それで己の子であるシシィが危険な目にあって、今の状況に陥っているのだって知らなかった。

 表には出さなかったが、シシィの無事の姿を目して、ようやく安堵が出来たくらいなのだから。

 いや、現状を顧みれば、未だ安堵できる状況でもないか。


『……って』


 思考に沈んだスイレンが、シシィの声に顔を上げる。


『父上の立場もわかってるから、何か言おうとは思ってないけどさ。ただ、僕がちょっと複雑な心持ちなだけで、父上は父上の立場で動けばいいと思うよ』


 空の瞳が、今度はぱちくりと瞬いた。


『……それは、俺の心配をしてくれているのか……?』


『心配とか、そーいうんじゃないよ。でも、ちあが仕方ないっていうんだから、僕がわーわー言うわけにもいかないじゃん?』


 そう言うとシシィは肩をすくめて見せ、スイレンはそんな彼を静かに見詰めた。

 彼の声にどこかぬくもりを感じ、スイレンの顔は自然と緩む。

 だから、スイレンが口にしたのは謝の言葉ではなかった。

 ここで謝るのは、シシィに失礼な気がしたから。


『ありがとな、シシィ』


 スイレンが礼を口にすれば、途端にシシィは虚をつかれた顔でスイレンを見やる。

 ぱちくりと碧の瞳が瞬き、そして、次第にむず痒さを覚えた顔に変わっていく。


『……素直にお礼言われると、ちょっと僕も困っちゃうけど』


『だが、俺の立場も顧みてくれたのだろう? なら、それに対する礼は言わせて欲しい』


 きゅっと口を引き結んだシシィは、ふいと顔を逸らす。


『…………わかった。その気持ちは受け取っとく』


『ああ、ありがとう』


 照れているような、怒っているような、そんな複雑そうな彼の横顔を覗き、ティアは笑いを噛み殺した。

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