第四部
第七章 精霊、交わる道行
精霊が遠い町
湿気もあまり含まない土地柄。
蹄を打ち鳴らしながら荷馬車を引く馬が、その歩を進める度に砂塵が舞う。
幾つかの馬車が連なり、乾いた土ばかりの地を進んでいく。
流れる景色は乾いた茶ばかりで、忘れた頃に僅かばかりの下草が点在する。
時折そよぐ、か弱い微風にはためく荷馬車の幌の音を耳にしながら、御者は黙々と馬の手綱を握っていた。
静寂の間を埋めるように、からからと回る車輪の音に混ざり、金具の錆びれた音が響く。
鳥籠を模した、少しばかり洒落た籠の中を光の粒が舞う。
精霊灯――精霊を模して造られたゆえ、そう呼ばれるそれは、ここらの地を渡る商いには欠かせない代物だ。
この地域はマナが濃く、国からも危険地帯という勧告が出されている程。
しかし、そんな過酷な地でも暮らす人々が居るのだから、こうして定期的に商いが呼ばれる。
そこでかつての領主が編み出したのが精霊灯だ。
魔力を込め生成された光の粒を籠に封することで、精霊が通ることで出来る道の再現に成功した。
それ以降、他地域から出入りするものは領境で精霊灯を託され、マナの濃い地でも、比較的安全に通過出来るようになった。
その精霊灯が荷馬車の揺れに合わせて揺れる。
それからややし、御者が手綱を操り馬の速度を緩め始める。
遠目に外壁が見え始めた。あれはこの領唯一の都でもある領都だ。
微風が吹き抜け、砂塵を乾いた空へと舞い上げた。
無事に関所をくぐり抜けた商いらは、石畳の敷き詰めれた円形広場に荷を下ろし始めていた。
領都の周辺は乾いた土ばかりだが、意外なところで領都の整備は施されており、領都内では精霊灯がなくとも行動が出来る。
だが、豊かな土地とは言えぬゆえに、領都というよりも領町といった方がしっくりとくる、少しだけ寂しさを感じさせる都だ。
けれども、決して豊かとは言えぬか地だからだろう。ここで暮らす人々は結束力が強く、あたたかい。
だから、商いらも苦だろうと徒だろうと足を運ぶのだ。
しかし、近頃はここまで辿り着くのに、前ほどの苦は感じていないような気がしていた。
他地域からこの領都への道のり。
精霊灯があるから通れるその道中は、精霊灯があるといえど、やはりマナの濃さに影響され、息苦しさなどの不調はどうしても感じてしまうものだ。
なのに、近頃はそれが軽減されている気がしていた。
精霊灯が改良されたのかもしれない。
それは商いらにとっては有り難いことだ。
荷を下ろし、天幕を広げ、商品を陳列すれば、広場は市場に様変わりする。
家々から領民がまだかまだかと集まりだし、商いらのらっしゃいの声を合図に、広場は活気に包まれ始めた。
馬車から吊るされたままの精霊灯が、微風に小さく揺れ、物悲しく金具が鳴く。
*
『……ふーん、精霊灯ねぇー……』
広場の端。遠目から活気に包まれた市場を、胡乱な目付きで眺めやる白狼の姿があった。
認識阻害が働いているために、領民は白狼の横を過ぎてもその存在に気付かない。
また一人、白狼の横を過ぎて市場へと駆け込んでいった。
『このマナの濃い地で、どうやって人が暮らしているのかなと思ったら――』
酷く冷めた碧の瞳が、領都の町並みを睥睨する。
町中に点在する街灯らしきもの。
その中で踊る光の粒は、大層人の目を楽しませるものだろう。
領民の会話を耳にするに、あれも精霊灯と呼ばれるものらしい。
白狼は爪を立て、石畳を掻く。
ぎぎと耳障りな音で幾本の線が出来た。
『そりゃ、こんな精霊灯がこれだけあれば、この町くらいの範囲なら濃度を鎮めることも出来るよね』
はっと鼻で嗤う。
『……僕、ここまで不快な気分になったの初めてだよ』
白狼――シシィが睨む先。
街灯に模された精霊灯の下、活気に包まれた広場では、人々が笑い合いながら品物を囲んで盛り上がっている。
それに嫌悪の眼差しで見やり、シシィは顔を背けた。
すっくと立ち上がると、その場を静かに離れた。
通りを練り歩く人々と幾度もすれ違う。
まあ、それもそうだろう。すれ違う人々を冷めた目で追い、それから、シシィは街灯型の精霊灯を見上げた。
中で踊る光の粒は、あまりに精巧でまるで本物と見紛う程。否――。
『……確かに、昔は魔力で模された精霊模型だったみたいだけど』
シシィの横をまた人が通った。
「領主様の代が変わられてから、一段とこの領都は暮らしやすくなったよな」
「そうだよね。精霊灯も改良されて、見た目もキレイだし、何より効果が抜群になった気がするよ」
「気がするじゃなくて、そうなんだよ。うんと外への移動が楽になったって、商人たちも言ってたし」
「先代であるお父上の後を継ぐことになって、最初はお若いしどうだろうって不安だったけど、ロンド様は立派な領主様だよ」
「違いないな」
そんな会話をしながら広場へと向かう背を見送りながら、シシィは軽蔑するような目をしていた。
『本当に気分が悪い。何も知らないんだね、ここの人たちは。少なくとも、今の町に在る精霊灯は模型じゃない――精霊だ』
温度のない声で呟く。
精霊と模型の区別がつかない程に、ここの人々は精霊との距離が遠くなってしまったのか。
鎖された地。なるほど、言い得て妙だな。
薄く嗤ったシシィは、この場にはもう居たくはなく、さっさと転移するのだった。
言動や何から、普段の自分らしくない自覚はあった。
だからだろうか。シシィはすっかり忘れていた。
自分が転移術とやらを不得手としていることに。
*
とりあえずは人気のないところへ行きたいと思った。
町中は気分を悪くするものが多すぎる。
そして、現状では何も出来ない自分に歯がゆさを抱く。
ここで精霊の自分が事を荒立てれば、水面下で動いているらしいフウガ達の思惑を駄目にしてしまうかもしれない。
だから、精霊として勝手なことは出来ない、と言い訳じみたことを考えるも、実際は、今の自分の力では敵わないことを悟ってしまったから。
だからとりあえず、人気のないところでこれからのことを考えたかった。
自分がこの地に行商に紛れて入り込んだのは、他でもない彼女を探すため。
彼女の存在ははっきりとではないが感知は出来ている。
それはあそこ。この地が一望出来る高台に建てられた、屋敷。
立派そうなあそこにはどうやって入り込もうかな。
そんなことをぼんやりと考えながら転移をしたから、たぶん、転移先に足場がなかったのだ。
『――あ』
転移先に足場がなく、すぐに襲われた浮遊感にシシィは思い出した。
『……僕、転移術へたくそだった』
悟ったような表情を浮かべたあとは、彼の予想通りだった。
ばっしゃーんっ。盛大な水飛沫が上がった。
思ったより深くはなかった小川から下草の生える陸へと這い上り、水の滴る身体をぶるぶると震わすことで水を切ると、シシィはひとりごちた。
『……へたくそ過ぎるぞ、僕。練習はしてるはずなのに』
思わず碧の瞳が据わる。
『また、ルゥに笑われるなぁ』
体毛に残った湿り気をマナの動きで飛ばし、遠目に見える屋敷を見やった。
『それでも、ルゥに笑ってもらうために行くんだ』
きっと彼女は、笑うよりも呆れるのだろうなと容易に想像ができ、シシィは自然と顔を綻ばせた。
父であるスイレンからは、ティアは風に呼ばれてこの地に来たと聞いた。
けれども、どうしてだろうか。
嫌な胸騒ぎが先程から収まらない。
早く行けと何かがシシィの中で訴えている。
だが、どうやってあの屋敷に入り込めばいいのか。
あんな立派そうな屋敷、警備とやらもしっかりしてそうで、何より――。
『……精霊灯から感じた精霊の波長は、たぶん、直感ではあるけど、父上けら聞いた老狼の精霊のものかもしれない』
だとしたら。
『――僕なんて、足元にも及ばない』
あれはおそらく、スイレンでも厳しい気がする。
それがより、シシィの中の不安を増長させる。
そんな揺れる碧の瞳で、彼は空を振り仰ぐ。
『ばななが何かを掴んでくれてればいいけど』
風の動く気配はない。
何よりもこの地は風の気配が希薄だ。あまり期待は出来ないのかもしれない。
シシィが転移したこの場も町中よりマナの気配が濃く、気配感知がしにくいのもまた、不安要素のひとつだ。
無策でこの地に訪れた者の台詞ではないだろうが、無策で屋敷に入り込むのは危険だろう。
ここでばななの報を待つ方がいいだろう。
とすっ、と控えめに群生する下草に座り込んだ。
『……はあ』
意味もなく、大仰なため息がもれた。
そんな時だった。
「おばば……さま……?」
幼い声が背後からした。
シシィは慌てて振り返る。
気付かなかった。油断していたのか、マナが濃いせいか。
彼が振り返った先、幼子――女の子が不思議そうに首を傾げていた。
「ううん、おばばさまじゃない。おばばさまよりもちいさいし……でも、もしかして……せいれいさま……?」
「僕のこと、精霊ってわかるの?」
シシィもまた、意外そうな表情を浮かべて首を傾げた。
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