己を知ること、それが始まり


「たくよぉー……。フウガの奴も、店の在庫くらい把握しとけってんだよ」


 海街の港からすぐ近く。

 ぼやくジルは両手に袋を抱えながら市場を歩いていた。

 ちょうど昼前時。人々の往来に市場の賑わいは盛りを見せていた。


「とりあえず、買うもんはこれで全部か?」


 人の流れを縫いながら、ジルは器用に懐から紙切れを取り出し確認する。

 買い物表と書かれたそれは、在庫がねぇから買って来い、とフウガが寄越したもの。

 見出しの下には野菜や果物、バターなどの加工品の品目が並ぶ。

 ちなみにだが、買い物よろしくね、の小さな文字は意図的に無視だ。

 その末尾を飾るはーとまーくとやらは、最早ジルの視界に映らない。

 多くはないが、少ないとも言えない品数に、寄越されたジルは呆れたように天井仰いだのも余談である。

 それに、紙切れに走る文字が丸っこくて小さく、思いの外可愛らしい印象を受けるのも、ジルは何となく面白くなかった。

 あの見た目に反して、その筆跡が可愛らしいのがまた何か可愛らしい。

 と。その己の思考にぞわと肌が粟立ち、ジルは思わず身を震わせた。


「うげぇ……」


 苦虫を噛み潰したような顔をし、小さく首を降って気を取り直した時。


「いてっ」


 ちょうど前から歩いて来た男と肩をぶつけてしまう。

 少しよろめいたジルは、咄嗟に両手に抱えていた袋を庇う。

 そのおかげか、中身はこぼれることなく無事だった。

 よかったと安堵したのち、ぶつかった男のことを思い出し、慌てて男へと向き直る。


「あ、あの、すみません。大丈夫ですか?」


 肩を手で抑え、背を向けたままの男へジルは歩み寄る。

 肩を手で抑える程に強くぶつかったかなと訝りながら、ジルが男の様子を窺おうとすれば、その前に男が振り返った。


「あ? 大丈夫ですかって?」


 やけにどすの効いた声だった。

 ああ、変なのに捕まったな。瞬時に悟る。

 ジルは思わず白目を向きたくなってしまう。

 居るんだよなあ。こういう、典型的な絡みをしてくる奴が。


「肩が痛いんだよなぁ。これは折れちまってるなぁ。あーあ、兄ちゃんどうしてくれんだ? なあ?」


 ジルを見下ろす男の瞳がぎらと嫌な光を携える。


「俯いてちゃ、わかんねぇよな、兄ちゃん?」


 ジルの頭に手を置き、さらにその手でぽんぽんと頭を軽く叩いてくるのは相手を萎縮させるためか。

 俯きながら、ジルの瞳は呆れに染まっていた。

 ここまでも典型過ぎて、他に変わり種の言はないのかと呆れかえる。


「おい、兄ちゃん。黙ったままか? それとも、びびっちまったか?」


 嘲笑をはらんだ男の声に、ジルの心は凪いでいく。

 まあどうせ、ジルの見てくれから商船の小間使いとでも思ったのだろう。

 時分もお昼前頃。おまけに両手で抱える袋の中身。

 昼飯の買い出しに商船を降りてきたと勘違いするのもあり得なくない。

 実際似たようなものではあるし。

 いちゃもんをつけて金を巻き上げようという魂胆がばればれだ。

 だが、どうせつっかかって小銭稼ぎをしようとするのならば、獲物を捕える目は養った方がいいと思う。

 どうせ、どいつも同じ反応を返すに決まっている。


「おいっ、兄ちゃん。いい加減、その面上げな?」


 男の声に苛立ちが滲み始める。


「……別に上げてもいいけどさ、びびんなよ?」


「はあ?」


 ジルが顔を上げ、紅の瞳がしかと男を睨む。

 その瞬間。目に見えて男の目が驚愕で見開かれ、それが畏怖に染まるのがわかった。

 ほらな、と。ジルの顔に乾いた笑みがのる。


「……お、おま……え……魔族、なのか……?」


「――へぇ。この瞳の色の意味、あんた知ってんだ」


 物知りじゃん。

 目を細め、にやりと笑ったジルに、男は薄ら寒いものを感じた。

 男の目に紅の瞳が妖しく光って見えたのは幻覚か。

 何事かと遠巻きにジルらの様子を窺っていた周囲がざわとざわつく。

 そのざわつきすら、今のジルにとっては煩わしい。

 ちらと視線を走らせれば、面白いようにざわつきが静まった。


「……ま、魔族が、な、なんで……こんなとこに……。魔族は……魔族の国、に、いるはず……だろ……?」


 紅の瞳が再び男を据えると、ひっと男の喉奥から引きつれた声がもれた。


「……なんだ、そこは知んねぇの?」


 はっと小馬鹿にしたようにジルは鼻を鳴らす。


「まあ、確かにはなからの魔族なら、魔族の国に居るもんだろうけど、俺らみたいなハグレモノは居られねぇんだよねぇ……」


 生まれた時からの魔族ならば、魔族の国に居ても問題はないし、逆に彼らは人の国に居られないのだ。

 人が魔族の国に居られないのと同じで。

 魔族と人とでは保有すオドが違う。

 そして、耐えうるマナの濃さも違う。

 マナが濃い地で人が生きられないように、マナが薄い地で魔族は生きられない。

 これはそれぞれの地に適応してきた身体の構造上での理由だ、というのは誰かの談。

 だから、人と魔族はうまく付き合えているとも言える。

 ならばなぜ、魔族であるジルが人の国に居るのか。

 それは彼のうまれが魔族でないから。

 彼はもともとは野良のねずみだった。

 それがある日、たまたま自然発生したマナ溜まりに遭遇をしてしまい、彼だけが生き残った。

 それは運がいいのか、悪いのか。

 未だに彼は答えを見出だせてはいない。

 親や兄弟は皆、マナに見入れられ、惑わされ、魔物としてその生を終えた。

 なのに、彼だけが魔物と化したのちに、魔族となりて生き延びてしまった。

 その証が彼の瞳の色だ。

 あの紅の色は彼が生まれ持った色ではなく、後天的に発現したものだ。

 魔族へと身体が適応する際に、身体は急激に変化を生じ、負荷を強いれられる。

 その痕が瞳の色であり、ある種の傷痕のようなもの。

 血の色。それが紅の瞳のわけだ。

 ジルを凝視する男の怯えの色が濃くなる。

 そんな男へさらに言葉を重ねようとジルが口を開けば、男は目に見えてひくと息を呑むのがわかった。

 その様が少しだけ愉しげにジルの目に映る。


「俺らみたいのは、マナが濃い地では苦しいだけで――」


「ジルはこの街の居心地がいいから、ここに居るだけだよね」


 と、そこへジルの声に割って入る声がひとつ。

 思わず振り返れば、遠巻きにする人々の間を縫って近付く人影が姿を現す。


「フウガさんが待ちくたびれてたよ。早く帰ろう、ジル」


 親しげに肩を組んで来た、その声の主は。


「……シシィ?」


 であり、彼の突然の割り込み。

 驚きでジルは紅の瞳を瞬かせ、男の怯えの色も幾分か和らいでいた。

 そんな男をシシィは見やると、懐っこそうな笑みを浮かべる。


「僕の連れが何か迷惑かけちゃったかな?」


 にこり。だが、どこか言い表せない圧を男はシシィから感じていた。

 ふるふると勢いよく首を横に振ったのは、もはや反射だ。


「そう。じゃあ、ジル行こっか」


「あ、ああ……」


 シシィに促されるままに、戸惑いを隠せないジルはその場を後にした。




   *




 幅広の石橋に差し掛かった頃に、ようやくシシィはジルを振り返った。


「ジル、さっきみたいなのはあんまり良くないと思うよ?」


 シシィの言葉にジルは紅の瞳を瞬かせ、ぴたと歩みを止めた。


「さっきみたいのって……?」


 問い返す声が尖る。

 ばつが悪い気がし、口までも尖らせてしまったのが、酷く子供っぽく思えてジルは俯いた。


「まるで、鬱憤を晴らしてるみたいだった。あれじゃ、敵を増やすだけだよ?」


 続くシシィの言葉に、袋を抱えるジルの両手にぐっと力が入る。


「…………」


 俯いたままのジルに、シシィは仕方ないかと困ったように小さく笑ったあと、石橋の欄干に肘を付き、下を流れる運河を見下した。

 石橋に彼ら以外に人の姿はなく、運河を流れる水の音だけがその場を満たす。


「なんで、ジルの瞳を見ただけで怖がるんだろうねー」


「……は?」


 シシィの言葉にジルは思わず顔を上げてしまう。


「だってさ、そうでしょ――」


 くるりとジルを振り返った彼は笑っていた。


「ジルの瞳、こんなに綺麗なのに」


「は?」


 ジルの紅の瞳が、今度は胡乱なものを見るようものになった。

 次いで、はっと鼻で笑う。


「何言ってんだ。……これは、血の色だよ」


 親も兄弟も、皆いなくなった。

 その代わりのように、ジルは生き残った。生き残ってしまった。

 まるでその代償のようではないか、この瞳の色は。

 なぜ、同じように苦しんだのに、己だけが生き残ったのか。


「――てことは、ジルの瞳の色は命の色だね」


「はぁ?」


 今度は呆けた声がジルからもれる。


「だってそうでしょ? 血は生き物に通うもので、繋ぐものだもん」


「…………」


「ジルの事情を僕はよく知らないから、これは僕の勝手な独り言みたいなものだけどね」


 気に触ったらごめん、とシシィは苦く笑う。


「だから、ジルの瞳の色を綺麗だなって言ったんだ」


「――――」


 そんなシシィに対し、ジルはどう言葉を紡げばいいのかわからず、ただその場に立ち尽くす。

 さらと流れる、穏やかな水の音だけが残った。


「……そんなこと――」


「ん?」


「そんなこと言ったのは、あんたが初めてだよ」


 そう言ったジルは、どこか戸惑うように笑い、そんな彼をシシィの碧の瞳が見やる。


「もしかしたら案外、誰かに言われたことがあるかもしれないね?」


 欄干にもたれたシシィがジルへ言葉を返す。

 その口調はまるで茶化すような、けれども、それの持つ響きは真剣なもので。


「ジルはさ、自分のことを好きになる事が出来たら、きっと今よりも息がしやすくなると思う」


 続く言葉も、真っ直ぐなもので。


「僕、思うんだよね。好きだから、知りたいって」


 と、にひと笑うシシィに、ジルは呆気にとられて紅の瞳を瞬かせた。

 そして、そんな彼にくるりと背を向けて発した声は。


「……よ、よくそんなこと、恥ずかしげもなく言えんな」


 何だか上ずっていた。

 運河を滑って吹き抜ける風が、どうしてだか頬に集まった熱を冷やし、心地よかった。


「んー、そーかな?」


「そーだよっ!」


 とぼけたようなシシィの声だったけれども、心底とぼけているような響きにも思え、言い返す声が少しだけむきになる。

 と。


「まあ、いいや。じゃあ、僕用事あるから。じゃあねっ!」


 なんて声がするから、慌ててジルが振り返るも、既にそこにシシィの姿はなく。

 紅の瞳が彼を探して彷徨い、やがて石橋を渡り、運河を挟んだ反対へ向かう背を見つける。


「あ、おいっ! シシィっ!」


 欄干を乗り出して叫べば、彼は呑気に振り返って手を振るだけだった。

 それもすぐに通りを曲がってしまい見えなくなる。


「…………」


 しばし彼の消えた通りを見つめ、ジルは重い息を吐き出した。

 シシィらしいと言えばシシィらしいが、もう少しこちらの歩調に合わせてくれてもいいのに。


「……ホント、自分の歩調で歩いてくよなぁ」


 ジルのぼやきは運河の水音に落ちた。

 自然と彼の視線はその流れを追い、ここからでは建物に遮られ見えない海の方を眺めやる。


「……自分を好きになれって、つまりは受け入れろってことか……?」


 生き残り、魔族となってしまった今の自分を――。

 はっ、吐息がもれる。


「誰も知ろうとしない、か……」


 確かにその通りなのかもしれない、と静かに思った。

 風がジルを優しく包むように吹き抜けて行く。

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