私の在り方


 始めから、そう言ってくれてたのにね。




   ◇   ◆   ◇




 ティアが目を開けると、そこに広がるのは闇ばかりだった。

 目を瞑るよりも深い闇色。


「――誰かいないの……?」


 咄嗟に問いかけてしまうくらいに広がる闇。

 が、その声にはっとする。思わず手を口元に持っていく。

 紡ぐ言葉がヒトが扱う言葉だった。

 あ。吐息がこぼれる。

 自身の成りが何かわかった。あの小鳥の姿ではない。

 意識を手放す前に意思に反して姿が変わった、あの姿だ。

 脳裏に過るのは、意識を手放す寸前に垣間見た少女の姿と、この身を抱き留めてくれた腕の主。

 きゅっと自身の腕をもう片方の手で掴んだ。

 あのぬくもりが彼と似ている気がした。

 気がしただけで、彼とは違うぬくもりだとわかっている。

 つまりは。


「……あれは、シシィのパパ……?」


 とすれば、垣間見えたあの少女は。

 そういえば、あの瑠璃の瞳には見覚えがあるような気もする。

 と言っても、まみえたことなど数える程しかないけれども。


「……でもやっぱり、精霊王さまよね……」


 ぽとりと言葉を落とした時、ぴちょんと水音を聞き留めた。


「?」


 不思議に思い周りを見渡そうと足を踏み出せば、ぴちょんぴちゃんとまたもや水音がする。

 ティアはすぐに気付いた。

 自身が動く度に水音が響き、そこから波紋が広がっているのだ。

 見下ろすと、闇が水面のように揺蕩っていた。

 そこに映るのは己の顔。それを見るのが嫌で足で踏みつけた。

 が、一時いっとき波紋で掻き消えるも、落ち着きを取り戻せば再度映すそれに。

 ティアは顔を歪めた。

 闇の水面に映った少女も同じように顔を歪める。


「――っ! 真似しないでっ!」


 叫び、再度踏みつける。

 今度は力に任せて足を振り下ろして。

 ばしゃんっと激しい水音。乱れる闇の水面。

 だが、それも時が経てば凪いで再び映し出す。


「――っ」


 もう見たくない。

 視界に入れないように顔を背けた。

 ぐっと握った手には爪が食い込み、じわりと痛みがにじむ。

 ほるりと手を解いて見下ろせば、食い込んだ箇所が薄っすらと赤くなっていた。

 痛みは本物だ。どくどくと脈打つように微かな痛みが残る。

 ここは一体どこなのか。

 きゅっと再度、手を握った。刹那。

 ふいに視界の端で何かがひらめく。

 弾かれたように顔を上げて。


「……ぁ」


 小さく吐息をもらした。

 前方から、とたたと軽やかな足運びでこちらへ駆けてくる影が見えた。

 小さかったそれは、やがて大きくなり、姿をまとう。

 影だったそれは、小さな男の子だった。

 年の頃は六つ程に見える幼子。

 ココア色の髪を楽しげに揺らし、深い森の色の瞳はきらきらときらめく。

 ティアの中で何かが弾けた。

 あの子は“あの子”だ。そう、“あの子”の名は――。


「――せお、どあ……」


 無意識下でティアは両手を広げた。

 その子を迎え入れるように。

 だが、幼子はそんな彼女の横をすり抜けていく。


「――――!」


 ティアの琥珀色の瞳が大きく震え、がばと勢いよく後ろを振り返る。

 そして、愕然と目を見開いた。

 はっ、短な呼気。

 幼子が小さな腕を一生懸命に伸ばし、抱っこしてとせがむ。

 それを男女の影は苦笑して、女の方が幼子を抱き上げた。

 ともすれば、その幼子はとろけるような顔で破顔する。

 きゃっきゃっと楽しげな声が聞こえてきそうな風景に、ティアはぎりと手を握りしめた。

 男女の影だと思っていたものが姿をまとう。

 あれは。


「……“ルイ”のお養母かあさんとお養父とうさん」


 そして。


「……セオドアの――テディのお母さんとお父さん」


 “ルイ”は目の前の男女から愛情をたくさんもらった。

 けれども、やはり自分らの血を継ぐ子ともなれば。

 その端々で、“ルイ”に向けているものとは違う顔を向けてしまっても仕方ない。

 それはわかっていた。だから、“ルイ”もセオドアを大切にした。

 そうすれば、両親との繋がりを保ち続けられると思ったから。

 十近くも歳の離れた姉弟だったけれども、セオドアも“ルイ”を慕ってくれたから、それがとても愛しかったのも本当だ。

 “ルイ”は孤児だった。

 そんな彼女を引き取ったのが両親で。

 “ルイ”が六つの時の話であり、その数年後に両親はセオドアを授かることになる。

 変わらずに両親は“ルイ”を愛してくれたし、セオドアも姉として“ルイ”を慕ってくれた。

 それでも、孤児だったという過去が“ルイ”に暗い影を落とす。

 そして“ルイ”の最期は――。

 と、そこでふいに、柔らかなものを伴ったぬくもりが頬に触れた。


「……ふふっ」


 そのくすぐったさに、心地よさに目を細める。

 滲む視界。目尻に熱いものが溜まる。

 そうだ、と。影が姿をまとった。

 心に暗い影が落ちた時、いつも彼女は、くるりと包み込むようなぬくもりをくれた。


「くすぐったいよ、シオ……」


 ティアが手を伸ばせば、肩に乗ったシオはその手に頭、首と擦り付けてくる。

 にゃーん、と甘い声。

 シオの尾先が揺れる度、ティアの髪を乱して行く。

 それに仕方ないなあと息をもらしながら、ティアは目を細めた。

 シオは“ルイ”が拾った三毛猫だ。

 それは両親と出会う少し前で。

 “ルイ”とシオはいつも一緒だった。

 それを知った両親は、一緒にシオも迎えてくれたのだ。

 しばらくシオを撫で回していたティアだったが、ふとその動きを止めた。

 何かを感じ取ったのか、シオもティアの肩から飛び降りる。


「あ……シオ……」


 咄嗟にティアは彼女の名を口にしたが、当の彼女はティアに背を向けると、てけてけと歩いて行ってしまう。

 すがるように咄嗟に足を踏み出すと、ぴちょんと水音がして波紋が広がった。

 が。

 彼女を追いかけることは、ティアには出来なかった。

 にゃーん。まるで誰かを呼ぶ声。

 その声に振り返ったのは幼子で。

 満面の笑みを向けた彼は、シオに寄り添われながら歩き始めた。

 その行き先を見ようと目を向けたが、あまりの眩しさに、ティアは見ることが出来なかった。

 だが、ティアにもわかることがあった。


「……そう。シオは、あの子の、テディの傍に居てくれるのね……」


 ――“ルイ”との最期の約束を、守ってくれるのか


 半ば、押し付けてしまったカタチなのに。

 つっとティアの頬を涙が滑る。

 いつの間にか、幼子と猫の姿は見えなくなっていた。

 そしてまた、闇が広がるばかりの空間に戻るも、ティアはその一点を見据えたままだった。

 眩しく見ることの出来なかった、その先。

 最期のあの時。“ルイ”はあの子のことをシオへお願いをしていた。

 あれはきっと、その続きの道だ。

 それを“ルイ”は知らない――。


「……!」


 ふいに背を押され、堪らずにたたらを踏む。

 ぴちょん、ぴちゃん、ぴちょん。

 幾つか波紋が広がった。

 背を押したのは誰かと訝れば、ティアの横を誰かが歩いて行った。

 その気配に微かに瞠目し、弾かれたように顔を上げて。

 そして、琥珀色の瞳が大きくゆれた。


「――……“ルイ”……?」


 震える声で、ティアは目の前の彼女の名を口にする。

 くるりと振り返り頷いた彼女は、ティアと変わりのない顔をしていた。

 異なるのは髪と瞳の色と、左目の縦一文字の痕だろうか。

 その彼女が――否、“ルイ”が少しだけ申し訳なさそうに笑う。


「――ごめんなさい。あなたを苦しめるつもりはなかったの……」


 意味が掴めなく、小さく首を傾げた。


「私はただ、テディと……約束を押し付けてしまったシオの、あの先が知りたいだけだったの」


 はっと息を呑んだのは誰か。


「……あの子は、あの子達は元気にしているかな、無事なのかなって……それがただ、知りたかっただけなの」


 だから。だから、と。

 揺れる声音で“ルイ”は続けた。


「……だから、あなたが背負うものじゃない。あなたはティア、ティアよ。それを忘れないで、見失わないで――」


 “ルイ”が苦く笑う。


「勝手なことを言ってるのはわかってる。私が強く願ってしまったから、本来の廻りから外れてしまった……」


 口を引き結んだ彼女の、その唇が微かに震えているのに、ティアはそこで気付く。

 彼女の想いは痛い程に伝わってくる。

 だって、彼女と自分は同じそれを持った存在だから。

 彼女の言う通り、勝手なことを、とも思う。

 けれども、その勝手があったから、こうしてティアは在るのだ。

 そして、こうとも思うのだ。


「……確かに、これは私が背負うものではないわ」


 ティアの言葉に、俯きかけていた“ルイ”がゆっくりと顔を上げる。


「でもね。だからなのかしら……私は思うのよ」


「…………」


「“ルイ”の想いを受け取った精霊――それがティアの在り方だって」


「え……」


「悩むことなんて、ちっともなかったのよ。私は《ルイティア》」


 何をこんなにうじうじと考えていたのだろう。

 何だか突然、自分がものすごく馬鹿だったみたいに思えてくるのだから不思議だ。

 笑いさえ込み上げてくる。

 いや、実際そうだったのだろう。


「…………始めから、そう言ってくれてたのに」


 ぼそりと呟いたつもりが、“ルイ”の耳にはきちんと届いているようだった。


「――そうみたい」


「何が?」


「ほら」


 と、くすりと笑った“ルイ”が、手を持ち上げて、ティアの後ろを指し示す。

 不思議に思いながら、ティアはその指された方へと振り向いて。


「――――っ」


 琥珀色の瞳を見開いた。


『ちあ――っ!』


 こちらへ駆けて来る影。

 否。白の毛並みを乱しながら駆けて来るのは、影ではない。


『……シシィ』


 白の毛並みの、子狼の姿を持つ精霊。

 琥珀色の瞳に薄く膜が張って、揺蕩う。

 瞬けば、厚みの増す膜は零れ落ちそうだ。

 闇がほるりとほつれ始める。

 白に塗り替えられるように、はらはらと。

 それはまるで、朝焼けのよう。

 白というよりかは、暁にも似たそれだ。

 はらはらと。はらはらと。ほつれて行く。

 そして、辺りは眩しく日が差し込むように。

 堪らずティアはぎゅっと目を閉じた。

 それからゆるりと、ゆっくり思惟がとけて行く。

 輪郭が端からゆると崩れるように。


 ――じゃあね


 その声を最後に、あたたかな心地のままに落ちていった。




   ◇   ◆   ◇




 ――ちあ


 その音が、ティアの道しるべ。在り方。

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