見合う、それ


『外へ……ですか?』


 そんな話は予想していなかった、と。

 首を傾げるヴィヴィに、スイレンはもう一度頷いた。


『オレもそろそろ、本来のお役目とやらに戻ろーかなと』


『でも、あの子は……』


『うん、そのことでも報告』


 報告。その言葉にわずかな不安をヴィヴィは覚えた。

 あまりあの子に関われていない。

 事情があるとはいえ、それは紛れもない事実。

 常に傍に在り、知っているのは彼の方。

 そこに少しだけの寂しさはある。


『そんな身構えるなってー』


『だって……』


『だいじょーぶ。報告ってゆーのは、シシィがちゃんと馴染んできてるよ、ってことだから』


 スイレンは茶目っ気に片目をつむってみせた。

 けれども、当の彼女からは反応らしいものがない。


『――――』


『ヴィヴィ?』


 呆けていたヴィヴィは、スイレンの呼びかけにはっとし、慌てて言い繕――ろうとして。


『あ、その……ごめんなさい』


 性格ゆえか、口から出た言葉は結局謝罪だった。


『いーよ、別に。安心、したんだろ?』


『……ええ、そうね。安心、したんだと思う。そう――あの子の魂が、ちゃんと』


 ちゃんと――。

 気が抜けたのか、その先は続けれなかった。

 安堵と安心。言葉にするとその二つだ。

 似ているようで、似ていない。

 そんな気持ちがヴィヴィの胸中に広がる。

 安堵。これは精霊王として。

 ずっと気がかりだった。

 あの時、咄嗟に傷を負った魂を自分の中へ抱え込んだ。

 その判断は果たして、良かったのだろうか。正しかったのだろうか。

 安心。これは母として。

 ずっと心配だった。

 また新たに、まっさらな旅を始めようと動き始めたということは。

 それはきっと、負ってしまったそれが癒えてきたということで。

 けれども、本来は大樹に抱かれ癒やすもの。

 それとは違った旅の始まりを始めたあの子は。

 この世に馴染めるのだろうか。

 言い方を変えれば。

 本来とは違うカタチで始めたものは、うまく適合できるのか。と。

 その答えが、あの子――シシィ。

 あの子が元気なのは、つまりはそういうことで。

 そして、スイレンが大丈夫だと言った。

 ならば、あの子はもう大丈夫なのだ。

 と、そこでヴィヴィははたと気づいた。

 ぱちと瑠璃の瞳が瞬き、スイレンを見上げる。


『それで、なのですか?』


 ん、と今度はスイレンが首を傾げた。


『あの子が馴染んできたから、だから、あなたは外に……?』


『ああ。もうシシィのマナも乱れてないし、あとはゆっくりと慣らしていくだけかな。オレがいつも傍に在る必要もないし』


 精霊はマナにて身体を構成されている。

 身体はつまり、魂の器。

 器がなければ、魂はこの世に定着はしない。

 そのマナが不安定だったシシィ。

 だから、それが馴染むようにと傍に在ったスイレン。

 そのマナが安定した今。スイレンが常に傍に在る必要もなくなった。

 あとは自然とシシィが慣れてくるのを待つだけ。

 だから。


『オレも、随分とお役目放棄してたわけだし』


 長らく放棄をしていた。

 だから、戻るとしたら今なのかも、と思う。


『でも、それは――』


 堪らずにヴィヴィが言葉を挟む。

 放棄ではない。それは彼女が一番知っている。

 だって、その役目は本来、母であり、そして精霊王であるヴィヴィが担うはずだった。

 それを、彼女があれだったから。それで。

 だが、そんな彼女の言葉を遮ってスイレンは続ける。


『わかってる。事情を知ってる奴は知ってる。けどな、知らない奴は知らないんだ』


 放棄は語弊があるのかもしれない。

 けれども、長らくその任から離れていたのは事実で。

 だから、何もないのに王の傍に在ると思われていても仕方ないのだ。

 王の傍に在る。それに見合うだけの何かを、今のスイレンは示せていない。

 スイレンの脳裏に浮かぶ姿は、銀の狐。

 まさに彼女はそれを知らない奴に含まれる。

 自然とスイレンの視線が落ちる。


『狐のお嬢さんには、認めてないって言われちゃったしー』


 口調が軽くなる。どこかぶっきらぼうなそれ。

 あれ、もしかして。ちょっと気にしてたのか、オレ。

 少しだけ落ち込んだ気持ちがあることに気付く。


『……パティ、ですね』


 スイレンのそんな気持ちを察して、瑠璃の瞳が伏せられた。

 申し訳なさそうな雰囲気をヴィヴィはまとう。


『……ごめんなさい、スイレン。あの子は、最近見習い過程を終えたばかりで』


『いーよ、ヴィヴィが謝ることじゃない。お役目をしていなかったのは事実だし』


 それに、と。

 スイレンは一度言葉を仕切る。


『詳しくは伏せられているとはいえ、お前が臥せるようになった要因はオレにもある』


『――――』


 ヴィヴィから吐息がこぼれた。


『だから、王を慕ってる奴らからすれば、オレが気に入らないってーのも何となくわかる』


 スイレンの、空の瞳がゆれた。

 いつもは晴れ渡ったような青空の瞳なのに。

 それが今は、雲を連れてきたように曇って見えた。

 苦笑を浮かべるスイレンに、堪らずにヴィヴィは否定の言葉を口にする。


『臥せる要因のその根源は、私が決めた事柄にあります。スイレンのせいでは――』


『でも、シシィを身籠った。それも臥せるようになった要因のひとつだろ?』


 ずばり。

 ヴィヴィは息を詰めた。

 それを言われてしまうと、彼女に反論する言葉は持たない。

 子を成せば、母体である精霊のマナは乱れる。

 身体を構成するマナが乱れるのだ。

 それもそうだろうと、精霊ならば誰もが知っている。

 魂の器が身体なのだ。

 ひとつの器におさまる魂はひとつだけ。

 それを一時的とはいえ、ふたつのそれがひとつの器におさまるのだ。

 母体に負担がかかるのは当たり前だ。

 そして、ヴィヴィの場合。

 その前からずっと抱えており、尚かつ、少しずつ自身の源を分けていた。

 それが臥せりの要因であり、根源だった。


『それは……そう、ですけど』


『なら、オレにもあるよな』


 彼女だけでは子は成せない。

 根源は彼女の決めた事柄だったのかもしれない。

 けれども、それは結局はきっかけでしかない。

 もし、それだけだったのならば。

 ここまで彼女が消耗することもなかったのかもしれない。

 だって、まさか。

 彼女が癒した魂が、そのまま彼女を通じて“シシィ”となるとは流石に思わなかった。

 傷が癒えれば、一度大樹に還るのだろうと彼女も自分も思っていた。

 それが世界の、精霊の巡りだったから。

 だから、これは嬉しい予想外だった。

 たまたま、だったのかもしれない。

 たまたま、彼女と自分がそーいう関係だったから。

 まあ。理由はどうであれ、結局は今だから。


『だから、その分もきっちりお役目とやらに励むよ』


 スイレンの空の瞳が笑った。

 からりと晴れた空のように。


『……スイレン』


『お前が内を護る役目を背負っているのなら、オレはその場所を外から護るだけさ』


 すりと、スイレンがヴィヴィの首元に頭を擦り寄せた。


『一時とはいえ、過去にお前を放ったらかしにしていたこともあるんだ』


 スイレンの言葉に、あの時ですね、とヴィヴィはくすと小さく笑った。

 確かにあの時は寂しかった。

 多くの精霊にとってはそれ程でもない時間。

 けれども、ヴィヴィにとってはとても長い時間だった。

 あの頃には既に、この世界――精霊界から出れぬ身となっていた。

 なのに彼といったら、楽しそうだと外へ遊びに行ったきり帰って来なくて。

 だから、その彼が帰ってきたとき。

 精霊にとってはそれほどでも、ヴィヴィにとっては久々だったから。

 積もりに積もった寂しさで、随分と泣き散らかして、彼に当たって困らせたものだ。

 それも今では笑い話だ。

 あの頃、まだ互いにいろんな意味で幼かった。でも。


『あの頃は、やっぱり寂しかったです』


 少しだけ拗ねた声音で言葉をもらせば。

 うっと言葉を詰まらせた音が聞こえた。

 顔を上げたスイレンが気まずそうに目を逸して。


『だから、こき使えってさ』


 ぼそりと呟く。

 ヴィヴィはそれにふふっと笑って、そうします、とすまし顔で応えた。

 そして。


『……ありがとう、スイレン』


 瑠璃の瞳がくすぐったそうに笑って細められた。

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