第8話

 私は今、施設を離れて精神病院でパートで働いている。五年になる。

 看護師やヘルパーの入院患者とのやり取りを見ていると、言葉のやり取りがほとんどだ。

"何度言ったらわかるの?"

 患者は、何度でも、わかるまで訊いてくるんだろうな、ずっとわからないままかもしれない、そう思いながら、看護師の話すのを私は聞いている、見ている。職員は、苛立ち、ついには「いい加減にしなさい!」と、怒鳴り声になる。

 他のやり取りを考えてみたら理解を得られるかも知れないというところに、なぜ気づかないのだろう。

 文章(伝えたいことを簡潔に)で、絵に描いて、実際に物を見せながら、など。私たちも、分からないことを具体的に説明してもらうと助かるはずだ。例えば、知らない町で、行きたいところを地図を使って道順を説明してもらい、更にその地図を持ち歩くなりしたらたどり着けはしないか? 

 言葉だけで説明されるより分かりやすくはないか?説明を聞いているうちに最初に聞いた説明を忘れたりして、もう一度訊いたり、反復したり。 

 脳に支障があれば、余計に言葉の説明は頭に入ってこない。目に見える地図は、具体的で消えない。言葉は、言ったそばから消えていくのだ、跡形もなく。その事に気づけば、やり取りの方法が考えられるはずだ。

 看護師と患者のやり取りを聞いていて、気づくことがまだある。

 退院に向けて、必要な生活支援が図られていない点だ。

 ここがいけない、ここを直すこと。それを話しても、そのためにどうすればいいのか、生活支援が具体的に示されない。後は、患者本人の問題として、どうすればいいかを考えさせる。患者の課題で、具体的な指針が伝えられないまま、話は終わってしまうのだ。自分で答えが出せて、行動に移すことができる患者はほとんどいない。

 私は思うのだが、簡単でも作業など、また、一人一人に合った楽しみが病院内で提供できないものだろうか。作業療法室はあるが、患者が選択できる楽しみが少ない。職員を増やし、患者の選択肢をもっと増やす必要を感じる。

 患者一人一人の一日の自由時間があまりにも多いのだ。中には、本を読んだり、作業療法室を利用する、将棋やオセロを楽しむ患者もいるが、無為に一日を過ごす患者は少なくはない。

 患者を褒めることも必要だ。ないとは言わないが、看護師も、ヘルパーも、現場の職員が患者を褒めることが少ない。注意する声は多く聞けても、褒め言葉がほとんど聞かれない。称賛された方がやる気が起きないだろうか。変化が現れると思っている。どんな薬よりも、一番の薬と思うのだが。

 生活支援員を病院に入れ、治療と生活支援が図れるようにはならないだろうか。

 

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