第4話
甲田拓実、通称"拓ちゃん"二十歳。
自傷が激しかった当時、寮の職員が取り組んだ具体的な内容は、最初、次のようなものから始まった。
支援のポイント
統一した支援を図る。
継続して支援する。
報告・連絡・相談を密に図る。
(本人が混乱を起こさない配慮)
場所 ホールと職員と二人になれる寮 の居室(住み慣れた彼の部屋)
時間 午前は、入浴時間帯 午後は、 昼休み後。
支援職員 チーフと他に六名(毎日、最 低一名は勤務)
支援内容
ホールに移動前に紐を預かる。
ホール アスレチック(彼が好きな遊 び。好む遊びなれたものが ポイント)
①寮にあるものを使用して障害物を組 む。
積み木で組んだ橋を渡る→階段の形をしたマットを使って階段の上り下り →ミュージックパッドを順に踏む (ドレミ…)→トランポリン→マット 上で転がる、または、でんぐり返 し
②寮に戻り、紐を彼に渡して居室で職 員と過ごす。
①については、本人の手を取って安全 を図る。
支援の相談・意見について
支援は、本人の気持ちの変化に合わ せる必要があり、対応に当たってい る職員からの相談を、チーフはライ ブに受けられるようにする。そこで 話し合った内容他、支援に関する内 容は、朝会、終礼で報告するととも に連絡ノートに記載して周知を図 る。
初日は、紐を預かると落ち着かない様子を見せて、何をするのか分からずに苛立っていた。紐を返してほしくて泣き顔になった。なだめつつ、私と階下のホールに移動。目の前に組まれたアスレチックを見て、ほどなくきびすを返す。寮に戻ろうとした。無理にアスレチックに誘わずに寮に戻り、居室で職員と過ごした。このとき、紐を渡す。いつも同じ場所で渡すのがポイント。
午後は、職員を変えた。
支援に当たった職員の報告では、ホールに留まることはできるが、アスレチックに誘うと積み木の橋を渡り、数段の低い階段を上り、向こうに下りて越えるまではスムーズにできたものの、ミュージックパッド(Mパッド)の前で座り込んでしまったという。無理をせず、寮に通じる出入り口を指し示すと走ってホールを出たという。
別の日、三日目の報告では、トランポリンまで障害を越えることができた。最後のマットでは、座り込み、職員が近づくと自ら職員の手を取り、手の匂いを嗅ぎ、職員に体をくっつけて甘えてきたという。無理に立たせることはやめ、その間、職員は、話しかけたり、自傷の治療薬を腕に塗ってあげたという。そうして五分ほどして再びマットに誘うと、苛立ちを見せずに、職員が手本を見せた横になって真似?たという。アスレチックは、三回クリアしたという。
足で踏むと音がするMパッド。はたして、ドレミ…と、順に踏んでくれるだろうか?
不安があった。
拓ちゃんに分かりやすくするために、パッドの上にそれぞれ、数字を置いてみた。拓ちゃんが、数字をどうとらえるか。最初の低いドに1。最後の高いドに8。マジックで大きく書いた用紙を張り付けてみた。職員が手本を示し、拓ちゃんを誘導して、数字を指差し、口で数字を発して、ゆっくりと順に踏ませていった。拓ちゃんは、途中でパッドの上に座り込み動かなくなった。そばに寄り添い待つと立ち上がり、誘導に応じてくれた。
そうして、毎日、毎日、同じ日課を繰り返して一週間。
アスレチックでの様子は、四つの障害をクリアする回数は、二回であったり、三回だったりと一定はしていない。途中、座り込んで職員に甘える行為が見られる。職員からこの点を指摘された。
「寮に戻り、居室で過ごす時と同じ状況がホールで見られるが、このまま続けていていいのか、違いを鮮明にする必要はないのか」と。
この点は区別した方が良いのだが、早急に理解させることは、拓ちゃんのストレスを増すことになりかねない。アスレチックのクリアが目的のホールではあるが、寮に戻り、居室に入って渡す紐で、ホールとの違いを鮮明にする。また、居室で過ごす時間長くすることで違いを意識させて行こうという二点で意見がまとまったが、ポイントを紐に置いて職員には話した。
時間は、実態のない、目に見えないもの。実態のある紐は、アスレチックをクリアした後、寮に戻り、居室に入ると渡される、目に見えるものだからだ。
目に見えない時間より、"アスレチックをクリアしたら居室で紐が渡される"のほうが、拓ちゃんは理解を深めてくれやすいはずだ。
自傷行為だが、腕をつねる、引っ掻く行為が減り、手の背で顎を擦る行為が多くみられるようになっていた。自傷行為の場所が変わったことで、職員の不安が高まった。
「このまま続けていて大丈夫ですか?」
私はその不安に、
「このまま続けてください。支援の変更は考えていません」
つまり、急な変化を避けたのだ。支援のあり方を話し合う必要があるとしても、様子を見て少し先でもいいだろうと伝えた。
拓ちゃんの自傷行為は、場所が移ると日に日に激しさを増していくのが常だった。そこで、今の支援を振り返り、考えてみた。拓ちゃんに言葉があり、話してくれたら訊いてあげられるのだが、それが難しい。
推測だが、"飽きる"と仮定してみた。
誰でも、同じことを続けているといつかは飽きるものだ。拓ちゃんも同じではないか。
支援を寮の外にも向けてみた。グラウンドの遊具に誘うことを思い立った。
遊具に誘う時間帯は、室内での支援以外のどの時間帯でも構わないとして、職員の判断に任せて様子を見た。
他にも利用者が居て、拓ちゃんにだけ時間を割くわけにはいかない。職員の業務に支障が起きないようにした。
顎への自傷行為には、右手が顎にいくため、支援の間、移動中は、右手を繋いでもらった。紐は、継続した。
"支援の大きな、急な変化を避け、支援の統一を図り、事を進める"
この柱は変えずに更に支援を推し進めていった。
すると、徐々に拓ちゃんに変化が現れ始めた。
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