《第參話》極意

結果から言ってしまうと、その日ペトラは僕たちの前に姿を現さなかった。



そして、その次の日も。



家が崩れた時から数週間が経ったが、僕らとペトラが顔を合わせることがなかった。



もちろん仕事が始まる前、仕事が終わった後、に捜索活動を行ったが、その影すら掴むことができなかった。



大人にも声をかけ捜索を手伝ってもらおうとしたが、案の定断られた。



日々生きるか死ぬかの狭間でさまよい続けてる人間が大多数なのだ。



「たしか、ジパングの『人』という漢字の成り立ちかなんかで、こういうのがあったな…」



《人という漢字は2人の人が支え合って『人』という字になっている》と。



確かに聞こえはいい。



そう言い伝えられるのも納得だ。



だが、これは多くの人間の心に余裕というものができた時に初めて生まれるものだと、常々そう思いたくなってくる。



人間は常に変化してきた。



それぞれの場面において、自分のいい面を他人に見せて、自分自身を守るために。



また、この様な言い方だと、友人や家族はどうなんだと言われる可能性があるので、釘を刺しておくが、この場合も同様に自分自身を守るためと答えておく。



学校の先生や親、友達等に教えてもらわなくとも、これらの人にいい面。あるいはバランスをとりながら悪い面を見せることで、自分以外の人の中に『自分』というものを確立させて、自分を守るように仕向けたり、とにかく1人にならないようにと、本能的に行動してしまう。



どんな人間も例外なく、これに当てはまる。



一時は誰とも関わりたくなくても、それを一生貫くことはできない。



本能的に誰もが、自分以外の心の中に『自分』を確立したがる。



だが、これらは先程も言ったように、多くの人の心の中に余裕というものがあって行われるものだ。



これら全ての行動を《instinct part2》と仮定すると…



《instinct part1》は簡潔に述べると、自己防衛と言えるだろう。



自分自身の心の中に『自分』を確立出来なければ、周りのことが見えず、《instinct part2》=人助け(この場合でいう人助け)を行うことはないのだ。



これが人間の本質だと思ってしまうのは、俺だけだろうか。



もしや、この考えは真実なのだろうか…



さまざまな考えが頭の中を過ぎる……



「ねぇ、レオ! レオったら!!」




「あぁ、わりぃ。考え込んじまった」



「レオってそういうところあるよね。

もしペトラの事とか何でもいいけどさ、悩んでるんならちゃんと相談してよね。

レオ、たまに何考えてるかわかんない時あるから、僕心配なんだよ!!」



「そうだったのか、それは本当に悪かったな。

今度からはちゃんと相談するよ」



「そう言えば、もう暗くなってきたね

この後どうする?」

「う〜ん。俺は配給行ってから、またペトラ探しに行くかな

カールはどうするんだ?」



「僕?僕はね……レオに着いてくよ!!」



「ありがとな」



そして2人は墨を混ぜたような重苦しい夕焼けを背に配給に向かった。


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