誘拐
それから、男は困ったように笑い、私の背丈に合うよう、屈んで私をじっと見た。
シャンプーもリスンも、コンディショナーも使ったことの無いボサボサの髪。鎖骨は肉に隠れる事ができずくっきりと輪郭がわかる。よれよれで汚れでくすんでいる白いワンピース。
まるでお化けみたいだ。
男は迷っているようだった。
だから私も男の顔を見た。
よく見ると、男の目はどろりと黒く濁っていて、髭は剃られているが肌はまるで太陽の陽の光を浴びることなく、地下で生活していたように白くくすんでいて……なんだかお化けみたいだった。
男は無言で家の中に入っていった。
拒絶されたのかとも思ったが、玄関の扉を閉めないでいてくれたので、私も…今度は泥棒を気付かれないように尾行する刑事みたいに、そろそろと男の後を付いて行った。
「座っ、て。ご飯温めるから。」
「…じゃあ此処に住んでいいってこと!?」
「そ、んな訳無いよ。食、べたら家に帰りなよ。ご飯ならま、たご馳走するから。」
「………。」
その時彼は、彼の昼食だったであろう、ラップに包まれたオムライスを出してくれたのだ。彼はそれをおいしいおいしいと褒め称えて食べる私を、微笑んでじっと見ていた。
餌をやった近所の可愛い野良猫を愛でる様な視線だった。
私はそれをなるべくのろのろと食べた。そうすると、食べ終わる頃には日が暮れだしていた。
「あ〜〜〜。こんな日が暮れてる時に家まで歩くの怖いよ〜!」私が喚く。
「じゃ、あ家まで送っていってあげるよ。」
「でももし野犬や通り魔とかなんか怖い人が暗闇から襲ってきたら亮太さん、退治できるの!?そのひょろひょろな
腕で!それより今日のところはこの家に泊まらせてくれる方がよっぽど安心だよ〜!!」
男は呆れた表情で黙った。
「……親御、さん心配するよ。」
「平気平気!わたしの事なんて気にもしてないし!それに私おかあさんと喧嘩して空き地で2日過ごして帰った事もあったけど、なにも言われなかったもん」
私が嬉しそうにニヤニヤしてそう答えると男は浅いため息をついて、観念した様だった。
夜、男は寝室には入られたくないと、私に布団を持たせて台所で寝てくれと頼まれた。
布団は所々羽が飛び出てはいるが…ふかふかの羽毛布団で、自宅のうっすいブランケットみたいな布団より、何倍も布団!という感じがして最高だった。
「おやすみ。」
男はそう呟いて台所の電気を消して、寝室に去っていった。
暗闇の中、私は眠れずにいた。随分食べていなかったのに、昼にオムライスというカロリー満点なものを食べてしまい、胃が動くようになってしまったのだ。つまり、お腹が空いてきた。胃のあたりから、動物の咆声の様な音がしている。
冷蔵庫を開くと、暗闇に光が灯った。
食品…は食べたらすぐ気付かれるだろう。勝手に食べたら最悪、怒って追い出されるかもしれない。
すると運の良いことに、冷蔵庫の奥の方、賞味期限の切れたバターが、容器に残っていた。
「おはよう…。…?」
台所から男の声が聞こえる。布団にいない私の名前を呼んで探しているみたいだ。机の上のバターの空き容器を手に取る音も聴こえてきた。
「………ここに……トイレにいる……。」
「こ、のバター、さ…。もしかして、食べちゃっ、たの……?」
男が私の入っているトイレの扉の前でそう聞いてきた。
「……………うん。」
顔は見えないが、恐らく呆れ顔を浮かべているだろう。そこで私は、またもや良い事に気がついた。
「あ〜〜。こんなにお腹痛いんじゃ帰れないよ!変える途中で倒れてお墓いきだよ!またとまらなきゃ……。」
沈黙の後、扉の外から深い溜息が聞こえた。
昔、バーの客に「可哀想な野良猫に餌をやってはいけない。」と教わった事がある。餌をやって懐いた猫は、家まで後ろをついてきて、その家の前で待ち、飼い主になるまで近所迷惑になるほど、しつこく鳴き声をあげるからだと言う。
今の私は、まさにその野良猫だろう。
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