第二章「涙、ヒトの価値」
どれくらいの時間が流れていたのだろうか。
実際にはほんの30秒程度だったかもしれない。ただ頭の中で色々な事がぐるぐると回り、俺にはまるでそれが膨大な時間のような気がした。
「……」
「……」
女の子がきょとんとした驚きから、明らかに警戒するような怪訝な表情にシフトしたタイミングで、俺は我に返った。
相変わらず夜空には星が燦然と輝き、鈴虫の鳴き声が心地よく響いている。バス停で見た時と同じ黒のワンピースが風に揺れていた。あの時はベンチに座っていたから気付かなかったが、改めて見ると身長はかなり低く小柄だ。しかし、その佇まいは品があるというか、どこかの金持ちのご令嬢みたいな印象が漂っている。軽くウェーブしたセミロングの黒髪。そして、まるで人形のように大きな瞳は、赤ん坊や小動物などを連想させる愛くるしさがある。
凶悪な宇宙人からなのか、はたまた悪の大魔王からなのか、その何からなのかは見当もつかないが、とにかく健全な男子たるもの彼女の前では謎の守ってあげたくなる病が発動しかねないだろう。恐らくその瞳を潤ませ、上目遣いという合体技を繰り出された日には、世の男達は次々とノックアウトされ、リングの上に屍の山が出来てしまう事間違いなしだ。
ただそんな事以上に、俺が抱くこの感覚は何なのだろうと思う。昨日バス停で見た時も、そして今回も。ただの美少女だけでは終わらない言葉を今回もまた付け加えてしまう。
——どこか儚いと。
まぁ、そんな俺の個人的な見解は一旦置いておくとして。まずはこの気まずい空気を打破しない事には、杏子さんの時と同じく「変な人」の烙印を押されてしまう。
同じ過ちを繰り返してはいけない。黒電話事件でよーく学習したはずだ和希。よし、今回は普通にいこう。普通に、普通に……。
「ど、どうも……」
「……」
あー何でこんな言葉しか出てこないんだ俺は。
「俺、今日からここに来た山岡和希」
「……」
女の子はただただ俺を見つめて口を閉ざしたままだ。次第に早くなっていく心臓の音が、俺の体を突き破らんとばかりにうるさく鳴り響いている。ちょっと待て。変にいい事を言おうとするから緊張してしまうのだ。そうだ、自分が素直に思った事を口にすればいい。とすれば、今この状況で俺が言うべき事はこれしかない。
「えっと……凄かった」
女の子は少し間をあけて、
「……何がですか?」
と言った。
よし、返事をしてくれた。俺は思わず嬉しくなり、口調が弾む。
「ほら、さっき弾いてただろ? バイオリン!」
女の子は何故だか俯いてしまう。
「俺、生演奏なんて聞いた事なかっ——」
その瞬間、俺は言葉を続ける事が出来なくなった。
女の子の表情は今にも泣きそうで、下唇を噛みしめ、何かに怯えるように小さな肩を震わせていた。
「え……」
ちょっと待て、ちょっと待て。どういう事だ、訳がわからない。俺、君が嫌がるような事言った? 頭の中で今の言動に関するリサーチを続けても、全くその原因らしい答えが見つからない。
そして、俺が頭の上に大量の疑問符を浮かべている間に、女の子は逃げ出すように俺の前から去っていった。
「ちょっと待って!」
あっという間に階段を下りていき、バタンと扉の閉まる音が聞こえる。一人、屋根の上に取り残される俺。ふぅとため息を一つ。古びた木の手すりに両腕を乗せて、ぼんやりと目の前の贅沢な景色を味わいながら、考える。考える。考えた結果、
「あーさっぱり訳がわからん!」
俺は思わず頭を掻きむしった。
「わからんが、とにかく第一印象はまたしても最悪だったって事か……」
と、自嘲気味に笑った。どうやら人間のメンタルってやつは、日々の経験により鍛えられていく仕組みになっているらしい。今日だけで一体どのくらいレベルが上がったのだろう。メンタルだけで言えば、もしかするとスライムぐらいは倒せそうな強さにはなっているのかもしれない。
俺はいつの間にか今日起きた事を無意識の内に振り返っていた。いつもの日常とは全く違う、とても濃厚な一日。あまりに濃厚すぎてこれからの一ヶ月間、とても平穏な状態で過ぎ去る事はないだろうと断言出来るには十分すぎる内容だった。まぁ、何も起こらないような退屈な毎日よりはいいのかもしれないけど。そんな事を思いながら、俺はこれから生活していく町の景色をじっと眺めていた。
◆◆◆
翌朝10時。
リビングの集合時間は良心的だったにも関わらず、昨夜の事が気になって、あと環境の変化も多少なりともあって、結果なかなか寝付けなかった。俺は大きなあくびをしながら、目の前に用意されている朝食をぼーっと眺めていた。ご飯、目玉焼き、ウインナー、サラダ、味噌汁。美味そうだが、寝起きのせいでなかなか箸を持つ手が動こうとしない。
「和希、和希、かっずきー!!」
向かいのテーブルから、殺人的な音の塊が高速で飛んできた。心臓が止まりそうだ。
「うわっ、びっくりした! 何だよ!」
「おはよ」
にこっと笑い、片手を上げる夏美。
「あぁ、おはよう……って、普通のテンションで挨拶できないのかお前は!」
「だってー和希が眠そうなんだもん」
「実際、眠いんだから仕方がないだろ」
って言っても、今の一瞬で目が覚醒したけど。
「ふん。時間ギリギリに下りてきて、いい身分だな」
味噌汁をずずずと口に含みながら、左側に座っている康也が嫌味ったらしく言う。
「はぁ? そういう康也はいつ下りて来たんだよ」
「15分前だ」
「早っ! お前、見た目のキャラ守りすぎじゃない?」
「どういう意味だ?」
「典型的な真面目キャラだって事」
「なるほど。まぁ、確かにそうかもしれんが、この二人も10分前には集まっていたぞ」
「まじ……」
「まじ。少しだけど、朝食の準備もしてたんだから」
と話し出す沙織。何とも言えない罪悪感に駆られ、俺は杏子さんに頭を下げる。
「すみません、何も手伝えなくて」
「あー別に気にしなくてもいいのよ、そもそもこれは私の仕事なんだから」
そう言って、京子さんは柔らかい笑顔を見せる。はぁ、何というか肩身が狭い。明日からは絶対に10分前に下りるようにしよう。そう心に決めたタイミングで、俺の右側の席が視界に入る。本来いるはずの人物が、そこにはいない。
子供っぽいのは承知の上だが、何だか無性に反論したくなった。
「……ちょっと待て、だとしたら航はどうなんだよ。俺は時間ギリギリだったけど、航は未だに下りて来てないぞ」
「あいつはいいのよ」
「は?」
沙織が当然のように言った。
「あのギャル男が集合時間よりも早く下りてくるなんて、全く想像出来ないし」
「うん、確かにそうだよねー」
「同感だ」
沙織、夏美、康也はまるで打ち合わせでもしていたのかと思うほど、ぴったりと息が合っていた。なるほど。つまり期待はされてないって事か。たった一日でここまでのイメージを植え付けられてしまうとは恐るべし第一印象。そして、お疲れ航。俺がほんの1ミリだけ航の事を不憫に思っていると、その話題の主は、地球は自分を中心に回っているんだと言わんばかりに平然と登場した。
「うぃーっす……やっべー眠すぎる。…………からの、超うまそー!」
そしてテーブルの上の朝食を見つけ、パブロフの犬もびっくりの条件反射で、あっという間に俺の隣に座る。うん、やはり自由だ。その自由さを見てどこか安心している俺は、いつの間にか感覚が麻痺しつつあるのかもしれない。目の前の朝食に夢中になっている航の様子を見て、にこやかに杏子さんが声をかける。
「航、おはよう」
「杏子さん、おはようございます! 今日も綺麗っすね」
「そんなご飯頬張りながら言われても、あんまり嬉しくないんだけど」
「そっすか?」
笑い声の飛び交う朝食。ほのぼのとした平和な時間。窓からは光が差し込み、外から聞こえる蝉の鳴き声は、いつの間にかカフェで流れている有線のようにさえ感じられて、心地よくもある。今と同じ光景が、これから繰り返されていくのだろう。俺は目玉焼きの白身と黄身を箸で分けながらふと思った。
——このメンバーとなら仲良くなれるかもしれない。
朝食を食べ終え、みんなのくだらない話が一段落ついたところで、杏子さんが何枚かの書類をテーブルの上に置いて話し始めた。
「それじゃあ、今日がみんなの初出勤になる訳だけど、改めてよろしくね」
「杏子さん、その前に仕事の詳細を教えて欲しいんですけど」
「あ、それ私も思ってた。ネットに書いてあった『手伝い』って何なんですか?」
康也と沙織が当然の疑問を投げかける。
「まぁ、そうよね。じゃあ発表します。みんなが気になっている仕事内容、それは……」
その続きを飲み込み、勿体ぶる杏子さん。どこかからまるでドラムロールが鳴っているような空気感だ。
「この町の人たちの『手伝い』をしてもらう事です!」
杏子さんの発表の後、しばらく沈黙が続いた。周りを見渡すとみんな首を傾げ、いまいち理解ができないと言った表情をしている。航に至ってはとっくにキャパシティをオーバーしているのか、今にも機関車のように頭から煙を吹き出しそうだった。俺はとりあえずみんなの気持ちを代弁するべく質問した。
「それってどういう事ですか?」
「簡単に言うと、それぞれの場所にみんなを派遣させてもらうって感じかな」
「派遣?」
「そう。私、この町の自治会に所属してるんだけど、人手不足の相談は全部私が受ける事になってるの。それで色んな人の話を聞いてネットに求人を出したってわけ」
「なるほど。じゃあ、このあおい寮は町の人たちにとっての人材派遣会社でもある訳ですね?」
康也が手で眼鏡をクイッと上げながら言った。
「まぁ、そういう事になるかな。仕事場所には二人一組で行ってもらうから。まず航と沙織は松本煙火工業さんね」
そう言って、杏子さんは航に地図を渡す。
「えんか?」
「花火の事よ。花火師さんのお手伝いをするの」
「おぉ、花火か!すっげー!!」
「杏子さん」
沙織が神妙な面持ちで声をかける。
「何?」
「なんで私がギャル男とペアなんですか?」
「あーやっぱり不満?」
「不満です」
「沙織、航と一緒に働くのはすっごーく嫌だと思うけど我慢して。その分、給料はしっかり払わせてもらうから」
「……わかりました。すっごーく嫌だけどお金の為に頑張ります」
「あのー二人とも、それ本人の前でする話じゃないよね?」
杏子さんは清々しいほどに航をスルーして続ける。
「次は康也と夏美。はい、羽衣神社さん」
「神社ですか? 正直、何を手伝ったらいいか全然わからないんですけど」
康也が地図をまじまじと見つめながらつぶやく。
「まぁまぁ、向こうに行けばちゃんと教えてもらえるから」
「もしかして、もしかして、巫女さんのコスプレ出来るんですか?」
「出来るわよ」
「やったー」
「ちなみに男の子は袴ね」
「は、袴!? それ本気で言ってるんですか!」
康也が鬼気迫る表情で声を荒げ、勢いよく立ち上がる。何か逆鱗に触れてしまったのだろうか? 杏子さんは、まるで腫れ物に触るように康也に尋ねた。
「袴……嫌だった?」
康也はスッと椅子に座り直し一言。
「……最高です」
「最高なのかよ!」
俺はすぐさまツッコミをいれた。このインテリ眼鏡め、紛らわしすぎる。そして康也の趣味が垣間見えた瞬間だった。うん、どうでもいい。ものすごくどうでもいい。
「よろしく! 最後は和希とみおな。篠宮駄菓子店さん」
みおな……ある程度の予想はついていたが俺は一応聞く事にした。
「杏子さん、みおなって?」
「あー昨日、言ってた私の妹……」
杏子さんの妹。名前をみおなと言うらしい。本来、この場所にいるはずの人物。夏美の隣は空席で、昨晩と同じくテーブルの上には一人分の料理が準備されている。もう時間が経って、冷めてしまっているだろう。杏子さんは、少し長めのため息をついて、
「あの子はほんとに……みんなごめんね。ちょっと呼んでくるから」
そう言って杏子さんが立ち上がった瞬間、リビングの扉が開いた。そして、ゆっくりと女の子が入ってくる。
「みおな……」
杏子さんがぼそりとつぶやくのと同時に、全員の視線が一気に女の子へと集中した。間違いない。昨日バス停で見かけ、屋根の上で俺と会った女の子は、やはり杏子さんの妹みおなだった。実際、初対面ではない訳だし、爽やかに挨拶の一つでも投げかけてみたかったが、昨日まともに会話をする事もなく逃げ出されてしまった手前、何となく気まずい。
杏子さんは俺たちに自分の妹を紹介する。
「私の妹の篠宮みおな。部屋は夏美の隣だから、みんな仲良くしてあげて」
夏美も沙織も康也も航も、もちろん俺も。それぞれが新しいメンバーを迎え入れようと、首を縦に振り、柔らかな表情を彼女に向けた。
しかし、同じような反応は返ってこなかった。彼女は誰とも目を合わさず、何も言わず、ただただ視線を落としている。異様な空気がリビングに流れる。一言も口を開かない妹を見かねた杏子さんは、再び声をかける。
「……ほら、そんなところに突っ立ってないで早く朝ごはん食べなさい! もう少ししたら和希と仕事場に行ってもらうんだから——」
「お姉ちゃん」
「何?」
「私ここでは食事しないから」
「え?」
「皆さんも……私には関わらないで下さい」
リビングの空気が一瞬にして張り詰めていった。恐らく本人以外の全員が自分の耳を疑ったに違いない。杏子さんは妹の言葉に驚きながらも、真剣に問い質した。
「あんた何言ってんの?」
彼女は感情を押し殺すように、淡々と話す。
「この寮で会っても、誰もいないと思って無視してください。部屋にも来ないでください。私もそうします。それだけ……言いに来ました」
そう言い残して、彼女は出て行った。
「みおな……ちょっと待ちなさい!」
杏子さんの声がリビングに虚しく響き渡る。あまりにも突然の事で、みんな驚きを隠せずにいた。しばらく沈黙が続く。しかし、誰も口を開こうとしない。最初にその沈黙を破ったのは杏子さんだった。
「……ごめんなさい、なんか空気悪くしちゃったね」
俺たちに気を使って、無理に明るく笑顔を見せる杏子さんがどこか悲しげに見えた。俺は自分自身の考えが甘いと思った。何の根拠もなく、このメンバーとなら仲良くなれるとすっかり思い込んでいた。恐らく杏子さんの妹とも、同じような関係を築けるに違いない。この一ヶ月間、それなりに楽しい思い出を作れるに違いない。そう思い込んでいた。
しかし、それは俺の勝手な願望だ。みんながみんな俺と同じ考えだとは限らない。実際に杏子さんの妹は違ったのだから。彼女は確かに言った。「私に関わらないで」と。それは俺たちへの明らかな拒絶以外の何ものでもない。
俺たちが一様に押し黙っている中で、杏子さんはテーブルに置かれた妹の分の料理を一人無言で片付けていた。
◆◆◆
俺はその後、自分の仕事先である篠宮駄菓子店にいつの間にか到着していた。この「いつの間にか」という表現は、決して間違いではない。それこそ自分が一瞬にしてワープしたのかと思うほど、体感としては本当にいつの間にかだった。寮の近くからバスに乗りここまで来たのだが、その間の記憶がほとんどない。自分でも怖いくらいに、考え事に集中していたらしい。
その考え事の内容はというと、杏子さんの妹の事なのだが。そもそも俺には不思議で仕方がなかった。どうしてあんな態度を取るのだろうか? アイドル級の可愛い顔をしているのに、それ以外の言動と行動でマイナスポイントを叩き出しすぎている。勿体ない。実に勿体ない。……とまぁ、俺の超個人的すぎる苛立ちも何割か含まれつつ、やはりいくら考えても、俺にはその理由がわからなかった。
篠宮駄菓子店の入り口には、風鈴がぶら下がっていて、その心地の良いカランカランという音が、脳内の奥深くにまで潜り込んでいた自分を、徐々に現実世界へと引き戻してくれる。
結果的に俺は一人だった。本来なら、杏子さんの妹……みおなと一緒に働く事になっていたらしいのだが、それも今のこの状況ではどうなるのかわからない。もしかしたら、ひょっこり現れるかもしれないし、そうじゃないかもしれない。まぁ、そんな事を考えていても仕方がないか。とにかく俺にとっては、初めてのバイトだ。気合いを入れて、今出来る事をしよう。そう自分を鼓舞して、俺は店の前から声をかけた。
「すいませーん!」
「はいはい」
扉が開き、中からおばあさんが出てくる。おばあさん……おばあさん……おばあさん!?
「おにぎりのおばあさん!?」
「カツカレーのにいちゃんかい!?」
食べ物の名称で呼び合う二人。客観的に見ると物凄く愉快な光景だなと思いつつ、俺は知っている人と再び出会えたという喜びで思わず高揚した。そして咄嗟に感謝の言葉が口から漏れる。
「昨日はありがとうございました。おにぎり美味かったです」
「そうかい。そりゃ良かった」
「篠宮駄菓子店っておばあさんのお店だったんですね」
「あぁ、そうさ。もうこの場所で40年以上はやっとるかのぅ」
「40年!? 凄いですね。てか、まさかこの町の人だとは思いませんでした。昨日はこの駅で降りてなかったし」
「アタシは出歩くのが趣味でね。一人で電車に乗って色々散歩するのが好きなんじゃ」
「へぇ」
「だから、そんな時に店番をしてくれる人が欲しくてのぅ、それで杏ちゃんに相談させてもらった」
「杏ちゃん?」
「兄ちゃんも知っとるじゃろう。あおい寮の杏ちゃん」
「あぁ、杏子さんの事ですか!」
ばあさんがあまりにも当たり前にそう呼ぶので、一瞬誰の事だかわからなかった。
「杏ちゃんもいつの間にかしっかりした大人になって、アタシは嬉しいねぇ。あんなに小さかったのに」
続けて柔らかな笑顔でそう言った。その口調があまりにも愛情深く訊こえ、どこか他人の事を言ってるように思えなかった。
「あの失礼ですけど、おばあさんと杏子さんってどういう関係なんですか?」
「ん? アタシの孫さね」
「あ、そうなんですか!?」
衝撃の事実だった。杏子さんのおばあさん!? という事は、当たり前だがみおなにとってのおばあさんでもある。まじか……何というか世間は狭い。
「篠宮駄菓子店。名字が一緒じゃろう?」
「あ、確かに」
こんな簡単なヒントに気が付かないくらい、俺は脳内の世界に居続けていたらしい。駄目だ、駄目だ。一旦、みおなの事は忘れて、目の前に集中しよう。
「にいちゃん、今日から手伝ってくれるんじゃね?」
「あ、はい! しっかりと働かせてもらいます」
「じゃあ、早速やってもらいたい事があるんじゃが……」
「はい」
俺は咄嗟に身構えた。初めての仕事。一体、どんな事を任されるのだろう。
「アタシの話相手になってくれんかのぅ」
「え?」
ばあさんは昨日と同じように、満面の笑顔を向けてそう言った。そして踵を返して、
「とりあえず中にお入り」
「えっと、仕事は?」
「しばらくはここにおるんじゃろう? 仕事はゆっくり覚えてくれたらええ。ほら、冷たい麦茶でもお飲み」
「あ……はい」
何だろう、この肩透かし感。気合いを入れた俺の気持ちはどこへやら。店の中には居間があり、結局俺はばあさんと話をして過ごす事となった。高校生と老人の会話。ゆったりとした時間。楽しそうに話をするばあさんだが、その話の内容はというと大半が杏子さんやみおなの事。要するに孫自慢だった。俺はただただその話を聞いていた。本当に可愛くて可愛くて仕方がないらしい。こんなにも家族から愛される事を、俺はどこかで羨ましく感じていた。
◆◆◆
今日の終わりを告げるように太陽は西へと傾き、町をオレンジ色に染めていた。
俺は初仕事だというのに全く疲れず、全く頭も使わず、それどころかばあさんから冷たい飲み物と和菓子をご馳走になり、心身共にとてもリラックスしている。これで給料を貰ってもいいのだろうか、という後ろめたい気持ちをぶらさげながら家路につくと野郎二人が寛いでいた。
いや、ここ俺の部屋なんだけどさ。てか康也までいるし。航にはたまに来てもいいと言ったが、部屋の住人がいないのに勝手に寛ぐのはどうかと思う。俺が多少なりとも苛立って航に小言を言うと「だって、クーラー効かなくてさー」と大義名分を振りかざしてきた。とりあえず航は無視して、康也にも「小説を書かないでいいのか?」と聞いたところ「気分転換も時には必要だ」と一言。「いや、自分の部屋でやれよ」と俺が言った時にはすでに遅く、康也は持っていた小説の文字をじっと追って土偶人形のように固まっていた。俺と航はしばらくしょうもない会話を繰り広げていたのだが、話のテーマが『今日の仕事』に移ろうとしたタイミングで、康也は小説をパタンと閉じた。どうやら、ちゃんと音は聞こえているらしい。
「ちょっとまじで聞いて! ぶっちゃけ、仕事の感想を担当直輸入で言うと」
「単刀直入な」
航の話が大規模な貿易のような展開になりかけていたので、すぐさま康也が訂正する。
「わ、わかってるよ!」
「いや、絶対わかってなかっただろ? なぁ、康也」
「あぁ」
「そんな事より! とにかく、そこの親方が最悪なんだって!」
つまりはただの愚痴だった。
何でも松本煙火工業の親方は、まず仕事を自分がやって「見て覚えろ」とだけ言い、決して丁寧には教えてくれず、そのくせ何をやっても怒鳴り声が飛んでくるらしい。今日は花火の殻に紙を貼り重ねていく『玉貼り』という工程をやったそうなのだが、最初から最後まで怒られ続け、遂には花火ではなく航自身が爆発しそうだったとの事。うん、その原理はさっぱりわからないが、ただ航の話的にその親方は、職人気質でかなり厳しい人のようだった。なかなか大変そうだ。俺の甘々な環境とはえらい違いだなぁと思いつつ、航に素朴な疑問を投げかけた。
「てか、沙織はどうだったんだ?」
「どうって?」
「いや、航みたいに怒られてなかったのか?」
「……何も言われてなかった」
「単に航が嫌われているか、仕事が出来なさすぎるか、二つに一つだな」
とだけ呟き、康也は小説の世界へと旅立っていく。そして、再び土偶人形へと姿を変えた。
「いや、そんな事ないってーちょっ、康也聞いてる!?」
そんな馬鹿な会話をして俺たちは笑い、ただただ夕食までの時間を潰していた。
◆◆◆
航と康也が自分の部屋に帰っていった後、俺は一階にあるトイレで用を足し、部屋に戻ろうとしているところで杏子さんと鉢合わせした。
「あ、和希。おかえりなさい」
「ただいま」
「今、ちょっといい?」
「あ、はい」
俺は杏子さんに引き連れられリビングへと入っていった。
夕飯の準備がされているらしく、いい香りが漂っている。俺はすっかり自分の定位置になっている真ん中の椅子に座った。杏子さんは冷蔵庫からビールを取り出し、向かいの席に座る。缶のプルタブが開かれ、同時にプシューっという音が聞こえる。杏子さんはビールを一口ぐびっと含みながら、
「くーっ、やっぱこれよねー」
と言った。そう言えば、俺も昨日コーラを飲んでいた。客観的に見るとこんな感じだったのかもしれない。少しへこむ。
「まるで、おっさんですね」
「失礼ね。綺麗なお姉さんって言ってもらえる?」
「だから、それ自分で言います?」
杏子さんはふふっと笑い、肩肘をついて俺の顔を覗き込んだ。
「で、どう初仕事は?」
「あー何ていうか」
「何? なんか嫌な事でもあったの?」
「嫌な事がなさすぎて困ってます」
「何それ? 贅沢な悩みね」
確かに自分でもそうだと思う。贅沢な悩みだ。
「ばあさんとしゃべって、和菓子食べて、寛いでっていう一日でした」
「なるほど。おばあちゃん、ああいう性格だからね。あ、わかってると思うけど、和希が仕事をしないで寛いでる間は給料発生しないからね」
「え、そうなんですか!?」
「冗談よ」
またかよ。いい加減、俺もこのパターンを学習しなくては。
「あの、いい大人が高校生をからかわないでください」
「大人だってたまにはからかいたくなる時もあるのよ」
「それどういう理屈ですか」
俺と杏子さんの笑い声に、ひぐらしのカナカナという鳴き声が混ざっていく。杏子さんは柔らかな表情から、スッと真剣な表情になり、まっすぐに俺を見つめて、
「和希、色々迷惑かけるかもしれないけど、みおなの事よろしくね」
不意に言われた杏子さんの言葉が、とても重たく感じた。
「あぁ……そう言われても、俺どうしたらいいかわからないんですけど」
俺は素直に思う事を言った。
「まぁ、そうよね。あの子さ、音楽の世界ではちょっとした有名人なの」
「……もしかしてバイオリン?」
俺の口からそんな言葉が返ってくると思わなかったのだろう。杏子さんは少し驚いた表情で、
「知ってるの?」
「昨日、たまたま屋根の上で弾いてて……でも、なんか様子がおかしかったっていうか」
「そう……弾いてたんだ」
そう言って、杏子さんは俯きしばらく視線をテーブルの上に彷徨わせていた。
「杏子さん?」
俺の声を聞いて、杏子さんは顔を上げる。ふふっと笑い、そしてゆっくりとした口調で話し始めた。
「あの子、音楽科のある学校に通ってるんだけど、一ヶ月前に大きなコンクールがあってさ。クラスのみんなでかなりの時間を費やして練習してきたみたい。みおなはそのクラスでもやっぱり実力があって、バイオリンのソロを任される事になったの」
「凄いですね」
「私は一人暮らしをしてたから、なかなかあの子と会う機会もなくてね。久しぶりに電話がかかってきたと思ったらその話を聞かされて。ずっと実力があって評価され続けていたけど、その時は今までで一番嬉しそうだった。仕事休んででも見にきてーって言われたのよ」
杏子さん自身も嬉しかったのだろう。話している口調が弾んでいた。
「けど、その後おじいちゃんが急に亡くなったの」
「……」
家族の死。俺はまだ経験してないが、想像しただけでもそれが相当辛い事だと思える。
「お葬式がこの町で行われた時、あの子ずっと泣いててさ。あたし以上におじいちゃんっ子だったから、本当にショックだったんだと思う。それでも関係なく時間は過ぎていく。一週間後にコンクールの本番はやってきた。あたしは信頼してないわけじゃないけど、妹の事が少し心配になった。そして本番当日。約千人の観客が集まり、いよいよ演奏が始まった。そして、曲の途中であの子のバイオリンソロになったんだけど……」
俺は黙って杏子さんの話の続きを待った。
「あの子は……みおなはステージの上で何も出来なかった」
「え?」
杏子さんはその様子が脳内で再現されているのだろうか、瞳を潤ませながら言った。
「ただただその場で震えてた。観客がざわついても、他の生徒が声をかけても、あの子のバイオリンからは全く音が響かなかった。みんなもう一度、曲を立て直そうとしたんだけど、エースだったみおなの様子を見て動揺したんだと思う。結局、演奏は中断された。コンクール史上、前代未聞の事だった……」
「……」
「その後の詳しい事は、私もよく知らない。……これは勝手な想像だけど、他の生徒とみおなの間には大きな溝が出来てしまったんだと思う。それから明るくて誰にでも優しかったみおなは変わってしまった。家族の私たちに対しても、同級生に対しても、とにかく人と関わる事を極端に避けるようになったの」
俺はじっと杏子さんの話を聞き続けていた。
「私はおじいちゃんがずっと寮長をしていたこの場所を引き継ぐ事にした。その時の仕事はあんまり上手くいってなかったし、こっちに来てまた一から始めようと思ったの。私はそれで何とかなった。でも、あの子は違う。今でもずっと苦しみ続けてる。詳しい話は全然してくれないけど、あたしにはそれがわかるの。だから、何かのきっかけになればと思って、おばあちゃんの店のバイトを頼んだ。……ここに連れてくるだけでも本当に苦労したんだから」
そう言って、杏子さんは冗談っぽく笑った。俺は話を聞いているうちに、表情が強張っていたのだろうか。杏子さんは俺に気を使って、
「あ、ごめんなさい。昨日来てくれたばっかの君にこんな事言って」
「いいえ。話してくれてありがとうございます」
自然とそんな言葉が出ていた。ありがとうございます……か。
「……ったく高校生のくせに、何大人っぽい事言ってんのよ」
「え? 俺、何で貶されるんですか?」
「褒めてんのよ」
「いや、そういう風には聞こえなかったんですけど」
杏子さんは柔らかく微笑むと再び、真剣な面持ちで俺を真っ直ぐ見つめた。
「……和希」
「はい」
「これは寮長としてじゃなくて、あの子の姉としてのお願いなんだけど訊いてくれる?」
俺は無言で頷いた。
「友達になってあげて」
「友達?」
「どうすればあの子の心の傷が癒されるのかはわからない。けど、やっぱり色んな人と関わって欲しいって思うから」
「わかりました」
今の話を聞いて、みおなの事はある程度理解できた。それと同時に引っかかっていた疑問も少しずつ解消された。ただ自分に何が出来るかとか、そんな事はよくわからない。友達になってあげてと言われても、なろうと思って簡単になれるものでもない。相手が拒絶をすれば、それは友達でも何でもないのだから。杏子さんは包み隠さず話をしてくれたが、俺なんかがそんな大きなものを背負っていいのだろうか? 正直、不安な事だらけだ。けど、俺は確かに「わかりました」と口にしていた。多分、何とかしたい。協力したい。そう思ったのは本心なんだと思う。それにこのままみおなだけが仲間外れになるのも嫌だ。同じあおい寮の仲間として、同じように過ごしていきたい。そうする為にはどうしたものかと色々考えを巡らしていると、リビングの扉が勢いよく開いた。
「杏子さん、ごめんなさい……」
「あー何が駄目だったのかなー」
沙織と夏美が浮かない表情で、リビングに入ってくる。
「二人ともどうしたの?」
と、杏子さん。
「二人でみおなの部屋の前から声かけてたんですけど、全然返事が帰ってこなくて」
「沙織ちゃん、沙織ちゃん、もうこれは最終手段しかないよね」
「最終手段って、あんた何する気なの?」
「ドアを蹴破って侵入しよう!!」
「ちょっと、そんな事したら杏子さんに殺されるわよ!」
「殺される……あーそれは嫌だー」
よくわからない漫才を見せられているような気がしたが、これはこれでこの二人の関係は成り立っているのかもしれない。意外に相性はいいのかも。
「夏美、沙織、それから和希!」
杏子さんが声を張り上げて、俺たちの名前を呼んだ。
「「「はい!!!」」」
まるで軍隊の鬼教官に呼ばれたように、俺たちは背筋を正しビシッと返事をした。説教が始まる……俺たちはそう予感していたのだが、
「みんな……ありがとね」
杏子さんの口から出てきたのは、叱咤ではなく感謝の言葉だった。俺たちは目を合わせ、それぞれにこくりと頷いた。
「あーでも何で出てきてくれないんだろう? みおなちゃん、私たちの事嫌ってるのかな?」
「そんな事ないわよ。まともに会話もしてないんだし」
「うん、そうだよね」
そうだ。別に嫌われている訳じゃない。昨日の一件があった俺はともかく、他の誰かが嫌われる理由などあるはずがない。喧嘩もしてなければ、沙織が言うようにまともに会話すらしてないのだ。ただ理由もなく避けられている。なぜ、そんな事をされるのかはさっき杏子さんが話してくれたみおなの過去によるものなのかもしれない。「友達になってあげて」か。ただみおなにいたっては、どう接していけばいいか全くわからないのが正直なところだ。この先、どうなっていくのだろう。
それぞれの思いが交差する中で、今日の夕飯にもやはりみおなは姿を見せなかった。
◆◆◆
それからあっという間に一週間が過ぎ、八月に突入。盛夏の季節。
夏の役者達も演出方法をそれぞれに試行錯誤していた。
太陽は「お願いだから手加減して!」という懇願の声には一切聞く耳を持たず、今まで以上の光と熱気を放つというドSっぷりを発揮し、セミ達は新たに加わった新メンバーとともに様々なバリエーションの鳴き声で思いを叫び続け、緩やかな風は海から託された潮の匂いを律儀に運ぶという伝統を頑なに守り続け、職人魂を見せつける。
一方、人間代表の俺はさすがに全く働かずに給料を貰うのはどうかと思うので、積極的にばあさんから駄菓子屋での仕事を教えてもらっていた。まぁ、主な仕事内容としては商品整理や賞味期限の確認、在庫の管理、あとは接客。自分がお客とやり取りをするなんてのも初めてで、最初は不安もあったが、いざやってみると以外と悪くない。それにやって来る客は、近所の人が多く親しみやすかった。主婦や老人、あとは学校帰りの小学生など。次第に顔も覚えられるようになってくると、やりがいのようなものも芽生えてくる。俺がある程度、仕事を覚えられるようになってきたので、ばあさんも趣味の散歩に出かけるようになり、代わりに店番を任される事もしばしば。仕事って意外と楽しいのかもしれない。まぁ、俺の場合、この環境だからかもしれないが。
あおい寮のメンバーはというと、航は相変わらずだ。松本煙火工業で毎日怒られ、時には反抗し、さらに怒られるという日々が繰り返されているらしい。沙織は航とは違う事を任されているらしく、仕事場の掃除や、整理、食事の準備など。そして、やはり怒られる事はないらしい。俺が思うに、航の場合は直接花火作りに関わっているからこそ、厳しく指導されるのかもしれない。それだけ手を抜く事が許されない、シビアな世界なのだろう。最近では、あいつの愚痴を聞くのも慣れたものだ。普段いじってはいるが、実際のところ頑張って欲しいと思う。
康也と夏美はなんだかんだ順調に仕事をしているらしい。特に二人ともコスプレをしながら働く事が出来るという面では、お互い考えが一致しているらしく、そのおかげでモチベーションを保ち続けているようだ。康也からも「和希、袴はいいぞ」と袴業者のまわしもののように熱弁をされる事がある。残念ながら俺にはその良さがいまいちわからないので、聞き流すようにしているのだが。
時間が経つごとにみんな仲良くなっていった。男子も女子も、お互いの事を話し、仕事の事を話し、時に笑い、時に喧嘩をしながら、自然に距離を縮めていった。楽しい。こいつらと一緒にいるのが楽しい。俺は素直にそう思った。大げさでも何でもなく、良い関係性だなと思う。
——ただ一人を除いては。
みおなは今でも駄菓子屋には来なかった。あおい寮の中でたまに見かける事はあっても、すぐにどこかへ行ってしまう。声をかけるタイミングがあっても無視だ。この状態が変わらずに続いていたので、それぞれの悩みの種になっているのは悲しい現実である。
俺も考え続けた。杏子さんから頼られたという事ももちろんあるが、単純にこの状況が嫌だった。何とかしたい。どうにか流れを変える事は出来ないだろうか? 色々と考え、ふと疑問が浮かぶ。みおなはあおい寮で一切食事をしない。
実は宇宙人だったとか、幽霊だったとか、そんな超絶的な展開でもない限り俺と同じ人間である事は間違いない。とすれば、当たり前だが腹が減るに決まっている。全く食事をしないなんて不可能だ。どこかで食事をとっている……そうか、何でそんな当たり前の事に気がつかなかったのだろう。
◆◆◆
翌日、バイトに行く前に、俺は杏子さんに今日の夕飯はいらないと伝えた。
「何? 和希まで反抗期なの?」とからかわれたが「そんな事ないです、ちょっと試したい事があるんで」と言った。そう、試したい事があるのだ。
バイトが終わり、俺はあおい寮へ戻るバス停には向かわず、別の方角へと歩みを進めた。10分ほど歩いて見えてきたのは定食屋だった。俺はちょっとした情報収集をしていた。ばあさんにこの周辺で食事をするならどこがいいかと聞いたところ、この場所を勧められた。「はんなり亭」と書かれた看板を見つめ、俺は扉を開けて中へと入っていった。
腹の虫をくすぐるようないい香りと、いらっしゃーいという快活な声が俺を迎えてくれる。店の受付には絵に描いたようないかつい顔のおっちゃんが立っていた。はんなりという言葉とは一億光年ほど遠い見た目だ。
「兄ちゃん、一人かい? 席ならどこでも空いてるよ」
俺は店の中を一通り見渡した。テーブル席が二つとカウンター席の小さな店だった。お客は誰もいないらしい。
「あ、えっと……」
俺が言い淀んでいると、怪訝そうな表情を向けて、
「なんだい、冷やかしかい」
と言われた。
「そうじゃなくて。食事はしたいんですけど、今じゃないっていうか」
「ん?」
「ちょっと聞きたいんですけど、この店に常連のお客さんっています?」
「失礼な事言っちゃいけねぇよ。うちは信頼と実績の店だぜ。常連さんばかりさ」
おっちゃんは胸を張り、誇らしげにそう答えた。
「その割にガラガラなんだよな……」
俺はぼそっと呟く。
「あん? なんか言ったか?」
やばい、殺される。咄嗟に命の危険を感じた。
「いや、何でも! てか、常連さんで俺くらいの年代の女の子とか来てません?」
「あぁ、そういえば小柄で可愛らしい子なら、最近よく来てくれてるな」
まじか。その印象だとみおなの可能性が高い。俺は続けて質問した。
「何時ごろに来るかわかります?」
おじさんの表情が急に険しくなり、カウンターから身を乗り出し、じっと俺の顔を見つめた。
「……失礼だけど、兄ちゃんはあの子とどういう関係なんだ? さすがに常連さんの情報をそう簡単には教えられねぇよ」
威圧感が凄い。思わず身震いしてしまう。しかし、せっかく見つけた手がかりだ。こんなところで引き下がる訳にはいかない。
「俺は……その子の彼氏です!!」
勢いで言ってしまった。
「……」
「……」
「ほぅ」
「実はちょっと喧嘩してしまって、仲直りしようと思ってるんですけど……」
我ながらなんて事を言ってるんだと思う。嘘だとばれたら俺は一体どうなるのだろうか。三枚におろされるかもしれない。全身の血が引いていく気がした。
「はっはっはー」
さっきまで黙って腕を組んでいたおっちゃんが急に笑いだした。そして俺の肩をバンバンと叩く。痛い。うるさい。
「なるほど、なるほどなー! 男と女には色々あるってもんだ。そういう事なら協力しよう」
なんだかよくわからんが協力してくれるらしい。
「その子ならいつも18時ぐらいに来るよ」
18時。あと一時間か。よし……覚悟を決めよう。俺はバスに乗って帰るという選択肢を除外した。
「じゃあ、待ってます」
と答えた。
「おぅ。それまで席、使いな」
「え、良いんですか?」
「どうせ、誰も客いないんだ」
そう言って、おっちゃんはにかっと笑った。
「ありがとうございます」
見た目に反して、かなりのいい人だった。ありがたい。俺はカウンターの一番端で待たせてもらう事にした。
◆◆◆
18時5分。
スマホをいじりながら時間を潰していると、店の扉がガラガラと開いた。緊張の一瞬。そして意識を集中して、視線を送る。
「よぅ、いらっしゃい。今日はどうする?」
「グレートブリテン漢魂ハッスル定食で」
「あいよ」
「なんつー名前だよ!!」
二人の視線が一気に俺に集まる。やば。咄嗟にツッコんでしまった。あおい寮に変な奴が多いせいか、いつの間にか条件反射でツッコんでしまう体質になっていたらしい。
「あん? 兄ちゃん、文句を言うのは実際に定食を食ってからにしな」
「あ、はい。すみません」
素直に謝る。そして、俺はその謎の定食を注文した人物をもう一度確認した。
みおなだ。
しかし、その様子はというと明らかにおかしい。俺がここにいる事を不審がっている。おそらく帰ろうかどうか迷っている最中なのだろう。しかし、入り口前で立ち往生をしているみおなを不思議に思ったのか、おっちゃんは声をかけた。
「おぃ、何してんだ? 早く座りな?」
「……あ、はい」
ナイスおっちゃん、俺は心の中で感謝する。みおなはとぼとぼとやってきて、ちらっと一瞬俺を見つめる。俺から一番離れたカウンター席に座ろうとした瞬間、
「あ……あー悪いな。今、ここは予約席なんだよ!」
「そうですか。いつも予約席なんかないのに……」
「え!? まぁ、なんつーか今日はたまたま予約が入ってるのでござりまする! ほらほら、こっちの席なら24時間空いてるぜよ!」
「……キャラおかしくなってません?」
「普通だっちゃ☆」
そう言って、おっちゃんは俺から一つ離れた席にみおなを促した。何かおかしいと首を傾げながらも、みおなはしぶしぶその席に座った。
おっちゃんが俺にアイコンタクトを送ってくる。そして、片目を閉じようとするがピクピクと痙攣したような動きを繰り返している。ウインクのつもりらしい。全く出来ていないし、とにかくキモイし、さっきの芝居は下手くそすぎる、という三拍子が揃っていた。ツッコミどころが多すぎて何から手を付ければいいのか見当もつかないが、おっちゃんの気持ちを汲んであえて触れない事にしよう。触らぬ神に祟りなし。
そして、俺とみおなはカウンターの奥にある厨房あたりを眺めていた。
お互い無言である。気まずい……。俺が今やっている事は、一歩間違うとストーカーのような行為なのかもしれない。しかし、状況が状況なだけに致し方ないだろう。俺は無理矢理に自分の行動を正当化した。
さぁ、和希。ここからが正念場だ!
……と、意気込んではみたものの、俺は何を話せばいいのか全く思いつかなかった。元々みおなには話し辛い雰囲気がある上に、杏子さんから過去を聞いたのもあってさらに拍車がかかる。言葉が出てこない。嫌な汗が背中を伝う。頭の中が真っ白になる。
まずいまずい!! こんなところで……こんなところであきらめる訳にはいかない!!
「緊急事態発生! 緊急事態発生!」
その瞬間、脳内でけたたましくサイレンが鳴り響く。
すぐさま俺の分身であり、様々な役割を担う脳内官僚達が慌ただしく……いや、寝起きなのかあくびをしながらダラダラと集結。緊急会議を始める。しかし、オンとオフの切り替えは実に素晴らしく、コンマ一秒で話し合いは終了。多数決の結果、生命維持装置ならぬ『想像ボタン』を押すべきだという判決が下されていた。俺は迷わずその指示に従う。
ポチ。
……大人びたJAZZYなBGMとともに脳内劇場が幕を開けた。
俺は目の前にあったお冷を手に持ち、ワイングラスのように傾け口に含む。いい水だ。アルプスの大地を感じられる。
「みおな」
「何?」
「何か俺に言いたい事があるんじゃないのか?」
「それは……」
「言ってごらん」
そう言って、俺は前髪を掻き上げる。しかし、俺は超短髪なので掻き上げるほどの前髪はない。右手が虚しく空を切った。
「私がずっと避けていた理由……それは和希が原因なの」
「俺が原因?」
「私はずっと和希と話したかった……話したかったけど、話せなかった」
「どうして?」
「それは…………好きだから」
「そうか。じゃあ、これからずっと話せばいい」
「え?」
「失った時間は二人で取り戻していけばいい。そうだろ?」
「……うん」
「おい!」
「和希……大好き」
「俺もお前の事が……」
「おい、聞いてんのか!?」
バンッ
「痛ってー!!」
俺は強制的に現実世界へと連れ戻された。ここまでの所要時間1分。余韻もへったくれもなく、その代りに頭には痛みがじんじんと残っている。
「普通お客殴ります? しかも、お盆で!」
「あん? 兄ちゃんが鼻の下伸ばして固まってるから、死んだのかと思ったんだよ。そんな事よりほら」
目の前に料理が用意されていた。
「何ぼーっとしてんだよ。グレートブリテン漢魂ハッスル定食」
「いや、俺頼んでないんですけど」
「彼女と同じもん食えば、ちょっとは仲直りのきっかけになんだろ?」
そう言って、厨房へと戻っていった。おっちゃんなりの気遣いらしい。まぁ、この状況が仲直りといえばそうなのかもしれないが。てか、すごいなこの定食。見たところ、普通のチキン南蛮定食のようだが、その量がなかなかにハッスルしている。本当にこれを毎日みおなが食べてるのかと疑問に思いながらも、視線を横に向けると、パクパクと小さな口に食材を詰め込んでいた。意外と大食いなのかもしれない。その割にあの小柄な体型って……わからないものだ。まぁ、いいか。とにかく俺もせっかくだし、食べる事にしよう。果たしてこの大層な名前の定食、味の方はいかに…………美味い!
俺が一日分の食事を摂取したような満腹感で一息ついていると、店内のテレビでは高校野球の番組が流れていた。
みおなはじっとその画面を眺めている。
「野球、好きなのか?」
「……」
やはり話してもらえない。まぁ、あれだけ何度も声をかけても無視され続けていたんだ。当然っちゃ当然か。俺は溜息をつき、どうしたものかと頭を悩ませる。
「……ルールはあんまりわかりません」
「え?」
「でも、同年代が頑張ってる姿を見ていると凄いなって思います」
「そっか」
「はい」
結局、この時の会話はこれだけだった。
しかし、無視ではなく会話をしてくれた事は俺にとって大きな進歩だった。何かが変わるかもしれない。そう予感させるくらいの手応えのようなものを確かに感じた。
帰り際、おっちゃんから「頑張れよ」と言われたので俺は「はい」と答えた。この様子からして、完全に俺を彼氏だと思い込んでいるらしい。本当の事を言ったら言ったでややこしくなる気もしたので、しばらくそのままにしておこう。
すまん、おっちゃん。
◆◆◆
定食屋を出て、俺はみおなの隣を歩いていた。帰りのバスはもうないので、歩いて帰るしかない。初めてこの町に来た記憶を辿ると大体あおい寮まで最低30分はかかる。みおなはいつもこの定食屋で食事をし、こうやって歩いてあおい寮に帰っているのだろう。辺りはすっかり真っ暗になっていた。
初めて歩く道。いつの間にか海沿いに出ていた。少し低めの防波堤がずっと続いている。夜の海がうっすらと広がり、波の音が少し物悲しく聞こえた。
この一週間、あおい寮の全員がみおなの事を気にかけていた。みおなは寮にいない事が多く、見つけるのも一苦労なのだが、あの康也ですら、偶然にもみおなを見つけると声をかけていた。まんまとスルーされている姿を見て、俺と航は笑っていた。俺も何度も声をかけに言ったが結果は同じだった。でも今はその状況とは違う。逃げる事もなく俺の隣を歩いている。もう諦めてしまったのだろうか? 理由はわからないが、俺はみおなの様子を伺いながらも明るく声をかけた。
「あの定食、美味かったな」
「……はい」
「名前はふざけてたけど」
「私も最初はびっくりしました」
「どうしてあの定食注文しようって思ったんだ?」
「あぁ……あの名前でどんな料理が出てくるのか興味が湧いて」
「なるほど。確かにその気持ちはわかる。しかも、美味かったし」
「はい」
「でも、一つだけ納得がいかない事があるんだよな」
「納得いかない事?」
「うん。あの料理を、あんないかついおっちゃんが作ってるってのが、想像できない」
俺がそう言うと、みおなは控えめにふふっと笑った。俺は目を疑っているようだった。確かに笑った。みおなと出会って、初めてその笑顔を見た。あぁ、笑うんだと驚き、そしてその笑顔が素直に可愛いと思った。この子はやはり思い詰めているような表情より、笑っている方がいい。みおなは自分自身の行動が意外だったのだろうか。まるでその行為が禁じられている事のように慌てて抑制し、また元の表情に戻ってしまった。
「……あれで意外と優しかったりするんです」
なるほどな。それは何となくわかるような気がする。
「へぇ、そうなんだ。例えば?」
「例えばですか?」
「うん」
「えっと、コロッケおまけしてくれたり」
「あの、おっちゃんが?」
「はい」
「考えられないな。俺はお盆で殴られるっていうサービスを受けたけど。もしかして……あれもおまけ?」
「違うと思います」
「だよな」
自分でも驚いていた。俺は今、みおなと普通に他愛もない会話をしている。今まで当たり前の事が、当たり前じゃなかった。でも、それも少しずつ変わっているのかもしれない。俺は帰り際のおっちゃんの「頑張れよ」の一言を思い出し、自分自身を奮い立たせる。勇気を出せ。少しずつ、踏み込むんだ。
「どうして、俺たちを避けてるんだ?」
「……」
みおなは歩みを止めた。俺も自然と立ち止まる。周りの空気が変わった気がした。柔らかくなりつつあった、みおなの表情が一気に強張る。
「みんな、君の事を心配してる」
みおなは俯きながら、か細い声で、
「……心配して欲しいなんて、頼んでません」
「そうかもしれないけど、同じあおい寮にいるんだし」
「最初に言いましたよね。私に関わらないでくださいって」
「あぁ、確かに言ったよ。けど、俺にはやっぱりよくわからない。何で君がそんな事を言うのか」
「……意味がないからです」
「え?」
「私と関わっても何の意味もありません」
「いや、そんな事——」
「そんな事あります。私には価値がないんです。何もかもからっぽです」
「……」
「だから私は……生きてちゃいけないのかもしれません」
「は?」
「もういっそ存在そのものが消えてなくなればって思います……」
そんな言葉をみおなは微笑して言った。
「何言ってんだよ」
「え?」
「存在そのものが消えて無くなるって、それってつまり死にたいって事なのか?」
「……そうです」
「何でそんな事になるんだよ」
「その方が多分……幸せだから」
俺は耳を疑った。自分の体が震えているのがわかる。
「は? 幸せ? 死んで自分がいなくなる事が幸せだって言うのか?」
「はい」
「いい加減にしろよ……そんなのが幸せな訳ないだろ!」
「私にとっては幸せなんです」
「どこが幸せだよ!」
「……」
俺は声を荒げていた。そんな幸せを決して認めてはいけないと本能が言っていた。だから、俺は言葉を続ける。
「……これは言うつもりじゃなかったけど、杏子さんからコンクールの話を聞いた」
「え?」
「今でも君はその時の傷を背負ってるって」
「……」
「例えそうだったとしても、死んで幸せになるなんて、ただ現実から逃げてるだけだろ」
「そうですね、逃げてるだけです」
「だったら——」
「でも、あなたに私の何がわかるんですか?」
俺は何も言えなかった。俺にはわからない。みおなの事がわかるのは、みおな自身だ、でも……。
「他の人からすればコンクールの出来事なんて、たかがそんな事って思うかもしれません。でも、私にはとても大きな事なんです!」
「……」
「迷惑かけて、信頼を失って、周りの視線が怖くなって、居場所を失って、友達を失って……」
「みおな……」
「誰からも必要とされなくなって、そんな自分自身の事がどんどん嫌いになって! 考えれば考えるほど生きている意味もわからなくなって! それが本当に辛くて、苦しくて……」
みおなの心からの声を聞いているような気がした。とても痛くて、思わず耳を塞いでしまいたい。けど、これはちゃんと聞かなくてはいけない事だと思った。
「……」
「私は……私と関わった人を傷つけてしまいます! そんなのもう嫌なんです!」
「……」
「……」
一気に自分の思いをぶちまけたのだろう。杏子さんにもちゃんと言ってないとなると、今のが自分の思いを初めて誰かに言った瞬間なのかもしれない。みおなは冷静に戻り、慌てて俺に、
「あ……ごめんなさい」
と言った。
「いや、俺の方こそ言いすぎた」
「……私も皆さんも夏が終わればまた元の生活に戻る事になります。あおい寮にいるのは今だけ。だから、皆さんは皆さんで楽しんで下さい」
「そっか……」
「……」
「……」
そして、しばらく沈黙が続いた。
俺はずっと考え続けていた。みおなにはみおなの思いがある。それは紛れもない事実だ。でも、それは俺にだって同じじゃないのか? 俺にも俺の思いがある。だから、どんな形になってもいい。それを相手に伝える事が大切だ。
「君の言いたい事はよくわかった」
俺があまりにも明るく返事をしたので、みおなは意外そうな表情で俺を見た。
「わかったんですか?」
「あぁ。つまり、君と関わると傷ついてしまうって事だろ?」
「はい」
「……それでもいいよ」
「え?」
「だって、誰かと関わるってそういうもんだろ?」
「……」
「君と友達になりたい」
自然とそういう言葉が出ていた。自分でも驚いていた。杏子さんに頼まれたから? 違う。これは俺の本心だ。この子ともっと関わりたいと俺自身が思った。
「俺は君と友達になりたいって思ってる。だから、迷惑だって思われるかもしれないけど、俺は君に関わり続けるよ」
俺の言葉を聞き終わると、みおなは俯き、かすれそうな声で言った。
「やめてください……」
「……」
「私には……友達なんて必要ありません」
「本当に?」
「はい」
「……そうは思えないんだけどな」
「え?」
「じゃあ何で君は今、そんなに泣いてんだよ?」
「……」
——みおなは大きな瞳からぽろぽろと涙を流していた。
この子を苦しめているものは一体なんなのだろうか? それは本人にしかわからない事なのかもしれない。他人の俺がどうこう言う権利なんてない。けど、苦しんでいるなら手を差し伸べたいと思う。力になってやりたいと思う。それはもしかすると偽善って言われるかもしれない。けど、そんな事はどうでもいい。周りがどうかなんて関係ない。俺がただそうしたいだけなんだ。
その後、俺たちは何も言わずにあおい寮まで帰った。みおなはそそくさと自分の部屋に帰っていったが、俺はというとリビングで質問攻めにあうというトップイベントが待ち構えていた。それもそうか夕飯も食べずに、どこかをほっつき歩いてると思ったら、あのみおなと一緒に帰ってくるんだから。みんなからの質問攻めに耐え続けている俺を見て、杏子さんはどこか安心したような表情をしていた。
◆◆◆
翌日。
一体どんな科学変化が起きたのか、さっぱり理解が出来なかったが、いつもと違う日常が待っていた事は明らかだった。
俺はばあさんから店番を任せられていて、入り口にお客の影が見えたのでいつものように声をかけた。
「いらっしゃ……」
言葉が途中で止まる。
そこにはみおなが立っていた。
まじか……予想外すぎて頭がついていかない。こんな展開、夢にも思っていなかった。ましてや昨日、あんな事があったばかりだ。それなのに一体、どうしたというのだろう。そんな事を考えている俺に向けられた言葉は、さらに意外なものだった。
「あの……今まですみませんでした」
「え?」
「えっと、全然お店に来なくて」
「あぁ、別にいいよ」
「私にも教えてくれませんか?」
「教えるって?」
「仕事です」
とてもみおなの言葉のように思えなかった。謝る? 仕事を教えて欲しい? その能動的な行動はどこから来るものなのだろう。しかし、難しく考えなくても単純にいい方向に向かっている事は確かだ。だから、俺はこう言った。
「いいよ。ただし条件がある」
「条件ですか?」
「あぁ」
「何をすれば……」
そう言って、みおなは身構える。
「これから俺たちとタメ口で話す事」
「え……」
俺は笑ってそう答えた。
「とある歴史上の人物の言葉なんだけど、人との会話は堅苦しいよりもフランクな方がいいって」
「そんな話、聞いた事ないです」
「谷川航の有名な言葉だ。知らないか?」
「知りません」
「そっか……で、どうする?」
みおなはしばらく間を空けて、こくりと頷いた。拒否されるとも思ったが納得してくれたらしい。
「よし、じゃあまずは商品の配置を説明するから」
そう言って、俺は店の中に戻った。しかし、みおながついてこない。まだ入り口の前で突っ立っている。俺は不思議に思い、
「おーい、入ってこいよ!」
と声をかける。
俺の声を聞いて、とぼとぼとみおなが入ってきた。しかし、ずっと俯いたままだ。
「どうした?」
「あの……」
「ん?」
「えっと……」
ふーっと長めに息を吐き出した後、意を決したように、みおなはゆっくりと顔を上げた。
俺を真っ直ぐに見つめる。そして、
「ありがとう」
と、向日葵のような眩しい笑顔で言った。
ひゅるりと潮風が通り過ぎ、みおなの髪をなびかせていく。
止まっていた何かが動き出したかのように、風鈴もカランカランと音を響かせていた。
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