最終章

第61話 聖戦の行方

 神殿の最上部は四角く広く、左右に突き出た台座があり、それぞれに聖人のサイくんと聖女のラクシアさんが立っていた。どういう原理なのかさっぱり分からないけれど、神殿の階段を一歩登ったら、ここにいたのだ。


 やがて二人が歌い始める。子供特有のソプラノと、しっとりとしたアルトが混ざりあい、柔らかで美しい旋律を奏でた。私とカイくんは最上部の中心で、向かい合って立っている。

 黒髪に赤い瞳、黒い鎧を纏い、漆黒の剣を構える少年。まだ幼さの残る顔立ちだけど、初めて夢で見た時よりもずっと背も伸びて、男らしくなった。

 押さえきれないほどの、歓喜が爆発する。目の前の魔王と戦える喜び。私も剣を抜いて構えた。対称的な白銀の剣。こいつに選ばれてから、全てが始まった。


 そして今、私たちの最後の戦いが始まる。



 動いたのは同時だ。互いに踏み込み、剣と剣が合わさる。中央で激しい鍔迫り合いが始まった。先に強化魔法はかけている。普通の床ならあの踏み込みで壊れるはずだけど、流石は魔王と勇者が戦う舞台。傷もつかない。

 黒い刃の向こうには、カイくんの赤く燃える瞳。白銀の刃に映るは私の爛々と光る翠の瞳。


 モンスターが現れるまで、戦いの儀式は進めなければならない。けれど。


 鍔迫り合いの果てが訪れる。踏み込みと同じく、同時に離れた。互いに素早く引きつけた剣を攻撃に転じる。激しい斬り合いの応酬となった。首を、眉間を、心臓を、急所を狙った互いの剣が、互いの肌を裂き、髪を切り、弾き、火花を散らす。ギリギリの攻防。

 互いの殺気と息遣いを感じ、それが血を沸騰させ、思考を焼き切る。神殿というこの場所が、聖人と聖女の歌が、命のやり取りが、理性を飲み込み、冷静さを蒸発させる。


「光よ! 貫け!」

「包み込め! 闇!」


 巨大な光の槍と漆黒の闇がぶつかる。轟音。相殺されて消失する。


 かわし、かわされ、斬り込み、斬り込まれ、踏み込み、踏み込まれる。放ち放たれた魔法が、大気を振るわせて相殺し合う。命を賭けた美しくも危険な舞踏。神へ捧げる剣舞。戦いの中で新たに魔力が練り上げる。


「悲しみに終止符を!」


 カイくんの一部の血管が赤い花を咲かせた。限界を超えたブーストだ。


「希望を現実に!」


 全ての感覚が鋭敏になり、世界の動きがゆっくりになる。視界が赤く染まり鼻血がつう、と流れた。こちらも限界を超えたブースト。長くはもたない。もたせるつもりもない。限界など知るか。全てはこの時の為にあった。命を燃やせ。魂を込めろ。


「おおおおおおおっ!」


 カイくんの燃える赤い瞳が、剣の一撃が、悲しみを、憎しみを、嘆きを、不安を、絶望を終わらせんと叫ぶ。


「あああああああっ!」


 私は視線に、剣に、希望を、喜びを、幸せを、優しさを、願いを実現させんと吠える。

 拮抗する力と力、想いと想い、命と命。白熱し、加速する二人の戦いと光の聖女と闇の聖人が歌う神の歌が神を呼ぶ。


 聖女の体が光に包まれ、やがて光は上へ集まる。光は細くたおやかな指を描き、しなやかな腕を形のよい豊満な胸を、括れた腰に長い足を形作っていく。長い睫毛に縁取られた大きな瞳が開き、光の女神セイルーンが降臨した。

 聖人の体が闇に包まれ、やがて闇は上へ凝る。闇は長く大きな手を描き、逞しい腕を広い胸板を、がっしりとした体に長く強靭な足を形作っていく。深く一筋も光を通さない瞳が開き、闇の男神デュロスが降臨した。

 二対の神は互いの手を取り微笑むと、螺旋を描く二色の光の柱になって天に昇った。昇った光は一度見えなくなり、天上で溶け合い、灰色の光となって再度地上に降り注いだ。


 私の頭にも目にも意識にも、その光景は全く入っていなかった。胸中を占めるのは狂おしい程の歓喜。赤く染まった視界に映るのは、限界を超えて沸騰する脳が、無理な渦動に悲鳴を上げる体が求めるのは、ただ一つ。目の前の魔王に剣を突き立てる事。


「……っ、兄さん!」

『兄さんを殺さないで』『死んじゃ嫌だよ』


 そのか細い声は、剣撃の合間の僅かな静寂に響いた。神が離れたことで意識が戻り、五感が復活したカイくんの弟が、泣きそうな顔で上げた声。願いと悲しみ。

 カイくんの瞳が僅かに揺れる。ほんの僅か、一瞬にも満たない刹那の揺らぎ。加速の世界にいる私には、十二分の隙だった。

 甲高い音を立てて、カイくんの手から黒の剣が弾かれた。剣はくるくると宙を舞い、床に深々と突き刺さり……。


 私は剣を突き出しながら、体ごと彼にぶつかった。

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