第60話 バドスの本音
私は目の前の神殿を見上げた。白い光沢のある石と、黒光りする石が使われた、コントラストの美しい建物だ。何千年、いや、何万年経ったかもしれない昔からの建物だというのに、傷一つ汚れ一つない。
神殿を前にした途端、体の奥底から歓喜が湧いた。早くこの階段を上り、剣を抜いて戦いたい。熱い剣撃を交わし、心を歓喜で塗り潰し、魔王に刃を突き立てたい。剣を魔王の血で濡らした時、きっと初めて実感できる。生まれてきた意味を。
違う! 私は階段に吸い込まれそうになった足に、喝を入れて止めた。血が流れるほど唇を噛んで、正気を保つ。同じようにふらりと神殿へ一歩近付いたカイくんが、足を止めた。そんなカイくんに、バドスが訝しげに眉を寄せた。
「カイ? どうした?」
「ほい、そこまでだ。バドス」
カイくんの顔を覗きこもうとしたバドスの軸足を綺麗に払い、倒れ込む彼の手を捻って簡単に押さえ込んだのは、赤毛の男だった。
「何の真似です、ジェド王!」
赤毛の彼、ジェド王は黄色に光る悪戯っぽい目を細めて笑う。
「何の真似も何もねえって。なあ? カイ。それとクロリスちゃん?」
ジェド王が顎をしゃくって示したのは、しっかりと目に意志の力を宿したカイくんと、縄も手枷も外れた私。小柄な老人を拘束し、安堵のあまり崩れ落ちるフィンさん。
「久々に心臓に悪い思いをしたよ。しかもラクシアには軽蔑されるし。あれは堪えた」
「ごめんね。フィンさん。他に適任がいなかったのよ。ゲルパさんとメイちゃんにはやってもらうことがあったし」
シグルズは大根役者だし、ゲルパさんはバドスの前になんて立ったら、恐怖でショック死すると思うの。その点フィンさんは、ラクシアさんの事がある。こっちから何もしなくてもバドスの『手足』と呼ばれる暗部が接触してきた。
バドスは、驚きつつもすぐに理解したようで、悔しげに顔を歪めた。
「成る程、私に勇者と夢で逢っている事を話したのも、私を動かす為か。私の情報網を逆手に取って、策に乗ったふりをしたのは分かる。しかし、いつの間にジェド王への根回しを」
「ははは。根回しなんてしなくても、厳めしいオッサンより、素直で可愛いカイに味方するのは当然だろ? と、言いたい所だが」
ジェド王は快活に笑い、空いている片手で顎を撫でた。
「カイは王として俺を説得しに来たぜ。バドス、お前がカイをお人形にしようと悪巧みしている間にな」
「……見張りをつけていた筈だが」
「彼等は宰相のバドスよりも、王の僕をとってくれた。それだけだよ」
「それだけじゃねえさ。見ろよ」
ジェド王が指を向けた先には、空中を飛翔して近付く様々な竜の姿。その背には魔族たちが乗り、こちらに手を振っていた。
「バドス。あの戦争でカイは王として民の信頼を勝ち取った。認めてやれ。お前が思っているよりも、こいつは凄え」
戦争の話はカイくんから聞いている。以前、大声を上げて泣いたカイくんの、あの涙の意味を知って胸が締めつけられた。あのときの彼の頑張りが、王としての姿が、今沢山の人を動かしている。
「そうか。私は敗けた訳だ。王としてのカイ、お前に」
バドスは目を閉じて、溜め息のように言葉を吐き出した。
「私を負かして勇者との対等な聖戦を望むなら、こんな芝居などせずとも出来たろう。こんなに味方がいるのだから悪役は私一人だ」
「……それは、ええと」
そこで口ごもったカイくんは、ふいっと目を逸らした。
「聞いてみたかったのよね、伯父さんの本音を」
急に照れてしまったカイくんの代わりに、私はひょいと肩を竦めた。
「本音を? まさか……お前、魔法に掛かっていたのも、ふりだったのか?」
「ううん、違う。本当にあれは想定外で焦った。もう駄目かと思ったけど、なんか僕、耐性があったみたいで……途中から正気に戻っていたんだ」
「何処からだ!」
「ええと、少し心を眠らせた、お姉さんと僕との関係は聞いているから、僕にお姉さんは殺せないとか、どうとかの時」
「殆ど最初からではないかっ」
悲鳴のような声を上げて、バドスの顔色が余計に白くなってから、赤くなった。あ、この人こういう顔するとなんか可愛い。
「や、やられた。完全に」
ああ、落ち込んじゃったよ。まあ、多分この人の性格上、まさに晴天の霹靂よね。あとジェド王さん、そんなに笑わないであげて。
「バドス伯父さん」
カイくんがバドスを呼ぶ。拘束を解かれたバドスは土埃を払いながら、苦虫を噛み潰したような顔で「何だ」と低く唸った。
「伯父さんが僕の事を思ってくれているって分かって嬉しかった。伯父さんは僕にとっても、かけがえのない人だから」
真っ直ぐな紅の眼差しと、鋭さを少し欠いた水色の目が、視線を交差させる。
「信じているよ、伯父さん。後は頼んでいいかな?」
「ああ。任せておけ。私もお前を信じる。死ぬなよ、カイ」
軽く握った二人の拳が、軽快な音を立てた。
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