第43話 面倒くさい人

 綺麗にからめとられた私の木剣は、手からすっぽ抜けて空中に弧を描く。うげっ! 体ががら空きっ!

 案の定、無防備になった胴体を狙われる。無理矢理に捻ってなんとか回避。しかし、後が続かずに結局胸を突かれた。手加減した突きだけど、肺の空気を絞り出される。苦しい。

 何より空気を全部吐き出してしまうと、吸わなければ次の動作に移れなくなる。


「ゲホッケホッ」


 咳き込みながら転がって、落ちた木剣を拾う。シグルズは追撃せずに、余裕の笑みで立っていた。腹立つ!


 メイちゃんのことはすっかり頭から消えて、私はシグルズに当てることに躍起になった。右左肩口への突き、振り下ろし、斬り上げ、袈裟懸け。全てカンカンと軽く防御され、いなされ、体が泳いだり軸がぶれた所を軽く打たれる。


「ぜえっ、はあっ」


 悔しい。ひとっつも当たんない!


「力み過ぎだ。攻撃の軸がぶれているぞ」

「分かって、ぜえっ、るわよっ。ちょっと、休憩」


 涼しい顔のシグルズを睨み、肩で息をしてその場にしゃがみ込んだ。地べたに直接座りたいけど、溶けた雪でぬかるんだところに座りたくない。既に身体中もう泥だらけだけど。くっそー。

 木剣を杖代わりにして休む。そういえば、メイちゃんたちはどうなった……って、あれ?


「シグルズ、メイちゃんとゲルパさんがいない」


「ああ、少し前に言い合いになってたな。ゲルパが逃げ出して、メイが追いかけて行ったぞ」


 に、逃げ出したって。子供じゃあるまいし。


「そうなの? 言ってよ」

「言ってどうなる。メイの問題なんだろ?」

「……そりゃ、そうだけど」


 複雑な気持ちを、私はもごもごと口の中で転がす。

 その時、キイインと甲高い音がして、湖の方向に巨大な氷の柱が立った。フィンさんの魔法だ。フィンさんは改めてレナティリスさんに魔法を教わっている。

 うわー、今まで見た中で、一番でかい氷柱だ。パワーアップしたなあ。

 陽光を透かして煌めく氷柱を見上げてから、よし! と立ち上がる。


「シグルズ、訓練の続きよ」


 大丈夫、メイちゃんのことは信じている。だから、私は私の出来る事をしよう。


 そうして、相も変わらずシグルズに軽くあしらわれること数時間、ふとシグルズの目線が私の横へ流れた。釣られて視線を追うと、ゲルパさんが一人でこっちに歩いてくる。一人?


「ゲルパさん、メイちゃんは?」


 遠いから声を張ったら、ゲルパさんは「わああっ!」と叫んで飛び上がった。そのまま走って逃げようとする。もう、面倒臭いな、この人。

 シグルズと軽く目を見合わせて、二人で動く。あっさりと回り込んで退路を絶った。


「ひいいっ、ごめんなさい!」


 私とシグルズに挟まれたゲルパさんは、真っ青になってうずくまってしまった。いや、別に何もしないし、虐めないからね。


「えーと、ゲルパさん。ただメイちゃんがどうしたか聞きたいだけだから、ね?」


 なんだろう。毛を逆立てて怖がる猫を宥める気分。なるべく笑顔で優しく声をかけるものの、ゲルパさんは小さくなって震えるばかり。一応逃げないように背後をとっているシグルズは、うんざりとしていた。


「大方、森で撒いてきたんじゃろ」

「うっ、お、お祖母様」


 助け船はフィンさんと一緒に現れたレナティリスさんだ。ゲルパさんは半泣きでレナティリスさんにすがろうとしたけど、突きだした掌にすげなく押し返される。


「全く、お前というやつは。あのお嬢ちゃんは別にお前の事を怒りもしなかったろう?」

「お、お祖母様、ででで、でも、僕なんかに教えて貰うよりお祖母様からの方が、ずっと勉強になります。それに、き、きっとこんな僕のこと、あ、呆れて嫌っています」


 ううーん、あれでメイちゃん、はっきり物言うからなあ。シグルズが言うには何か言い合っていたっていうし。


「ええー、と、ゲルパさん。もしかして、メイちゃんに何か言われたの?」


 心配になって私が横から声をかけると、ゲルパさんは悲鳴を上げてレナティリスさんの背後に隠れた。何かちょっと傷付くなあ。

 ゲルパさんはレナティリスさんの背後から顔だけを出して言った。


「そ、その、折角知識もあって、解りやすい説明をし、しているのだから、胸を張って、ど、堂々としろって」

「ふむふむ。……って、え? もしかして、それだけ?」

「だだだ、だって、胸を張れなんて言われても、ど、どうしたらいいか分からなくて、おお、思わず逃げてしまって」


 ああ、この人自分に自信が無さすぎる。

 私は片手で顔を押さえた。どうしたものかと手の隙間から、ちらっとレナティリスさんをうかがうと。彼女はにいっと笑っていた。人を面白がっている目で。

 突然、レナティリスさんの後ろに隠れていたゲルパさんが、びくっと体を震わせた。みるみる顔が強張り、白い肌がさらに白くなった。


「そ、そんな……僕のせいだっ……」


 ふらりと立ち上がり、意味深な台詞を残して森へ飛び込んだ。


「えっ、ちょっと?」


 何? 何があったの? ゲルパさんのただならぬ様子に慌てて後を追いかける。

 彼が飛び込んだのは、街道でも獣道でもない木々が生い茂る森。普通なら歩くのも苦労するのに、ゲルパさんの前の木や茂みが生き物のように道を開けていく。しかもゲルパさん、普段どちらかというと、とろそうなのに滅茶苦茶速い!

 雷の強化魔法をかけて追う。私の後ろを走るシグルズが叫んだ。


「クロリス! こっちの方角にモンスターと、多分メイも居るぞ」


 それでか。よりによってメイちゃん一人でモンスターと遭遇だなんて!

 目一杯の速度で走っているのに、ゲルパさんの背中は遠ざかり、道を開けていた木々が戻っていく。木が邪魔で思うように進めなくなった。焦燥感に駆られる中、身の毛がよだつ嘶きが響いた。


「嘶き……馬?」


 普通の馬のような、可愛らしい声じゃない。鬱蒼と茂る木々に視界を塞がれて、ゲルパさんの姿は欠片も見えなくなった。

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