第44話 コンプレックス

「退け、クロリス」


 シグルズが私の前に出て、大剣で目の前の木々を粉砕。拓いてくれた道を進む。

いた! ゲルパさんとメイちゃんだ。


 泥だらけで左腕を押さえるメイちゃんの前に、庇うように手を広げて立つゲルパさんがいる。いつになく険しい視線の先にいるのは、異形の馬だ。

 黒光りする体躯に血走った目、泡を吹く口元、鬣は無数の蛇だ。額に巨大な角を生やしている。馬の体長は普通の馬と変わらないが、太く長く尖った角を支えるためだろう。首は異常に太く、全身が筋肉の鎧を纏ったかのようにみっちりとした重量感があった。馬の足元にはメイちゃんの折れた矢が落ちていた。


 血の気が音を立てて引く。あんなやばそうな馬とメイちゃんが交戦したんだ。

 助けなきゃ! もっと速度をあげようと力を込めた足に、何かが絡まった。視線を落とすと、木の蔓が足首に巻きついている。剣を抜こうとした手首に、別の蔓が巻き付いた。


「クロリス!」


 異変に足を止めたシグルズにも、木の蔓が伸びる。大剣で叩き落としていくけど、数が多いし森は大剣を振るには狭い。その間にも次々と蔓が伸び、私は手足だけでなく胴体までがんじ絡めに拘束されてしまった。


「レナティリスさん! ユーグさん! 解いて!」


 何処かにいる犯人に向かって叫んだ。木を自由に動かす。これがユーグさんの仕業でなかったら未知の敵だ。それは勘弁してほしい。


「勿論、解くとも。もうちっと見学してくれたらね」


 ふおっふおっふおっ、という笑い声と共にレナティリスさんと、ユーグさん、そして私と同じようにぐるぐる巻きにされたフィンさんが後ろからゆっくりと現れた――と、いうよりも身動きがとれないので、連れてこられたという方が正しいみたい。フィンさんの場合は口元まで蔓が巻きついていて、呪文を封じられている……って、私にも蔦がー!

 同じように呪文を封じられて、私はレナティリスさんとユーグさんを睨む。


「ゲルパはともかく。メイが危なくなったら見学はやめるぞ」


 大剣の先を向けるシグルズに、レナティリスさんたちはもちろんと承諾した。むー! 私はよくない!


 またもや、嘶きと蹄が土を抉る音が響いた。ゲルパさんがメイちゃんを抱え上げて、横へ走った。メキメキと木々を砕き、黒馬が通りすぎる。標的を外したとみるや、黒馬は後ろ足で二人を蹴り殺しにかかった。


「ひいいいっ」


 ゲルパさんが悲鳴を上げると、二人の前に木や蔓が壁を作った。だけどすぐに粉砕されて二人のすぐ横を馬の後ろ足が過ぎる。


「うわああああっ!」


 逃げるゲルパさんが、腕に抱えたメイちゃんにチラッと視線を投げた。蒼白な顔で唇を噛み、何かを決意する。


「め、メイさんっ。その、少しの間だけだから、このモンスターを倒す間だけ、僕に力を……か、貸してください」


 その間もゲルパさんの木の防壁がいくつも作られ、片端から壊されていく。

 ゲルパさんがメイちゃんを片手だけで抱き、右手を差し出した。メイちゃんはゲルパさんの今にも泣き出しそうな顔を見上げた。


「力を貸して頂くのは私の方です」


 躊躇う様子もなく折れていない方の手でゲルパさんの手を取った。


「ここに世界樹の精霊ゲルパと人間の娘メイとの契約を結ぶ。ただしこれは我が敵を倒すまでの仮契約とする」


 言い終えたゲルパさんの容姿が、みるみる変わっていく。白かった肌は木肌と同じ褐色になり、髪は伸びて木の蔦のようにうねり硬質化する。深緑の瞳は白目の部分が無くなった。体の所々から緑の葉を繁らせるその姿は、人の形をした木みたいだった。


「手を離さないで」

「はい。離しません」


 メイちゃんはゲルパさんの変わりように驚いた顔をしたが、素直に頷く。

 そんな二人に黒馬の蹄が迫ったが、今度は木の蔓が蹄を阻む。蔓は四方八方から現れて、黒馬の足や首に巻き付き、木の枝が槍のように形を変えて、黒馬の喉元へ狙いを定めた。


「貫け!」


 ゲルパさんの一言で槍が黒馬の喉へ突き刺さる。槍は一撃で黒馬を絶命させ、魔石が転がった。

 はあぁ、と溜め息を吐いて、ゲルパさんがメイちゃんを下ろし、顔を背ける。


「ぼ、ぼぼ、僕のこの姿は怖いでしょう? き、きき気持ち悪いでしょう?」


 ゲルパさんは顔を逸らしたまま、引きつった笑みを浮かべた。


「そうですね。見た目は怖いし、気持ち悪いです」


 メイちゃんがきっぱりと言い切った。いや、もういっそ気持ちいいくらいに。

 ゲルパさんの顔が、遠目でも分かるくらい強張った。引きつった笑みさえ消える。


「でも、ゲルパ様は怖くも気持ち悪くもありません」

「……え?」

「見た目がちょっと怖くても、気持ち悪くても、ゲルパ様自身は変わりません。頼りなくて、怖がりで、人見知りが激しくて。はっきり喋らなくて、ちょっと苛々しますけど」

「ううっ」


 ゲルパさんが容赦ないメイちゃんの発言に胸を押さえた。体に茂った葉っぱも心なしか萎れる。


「ゲルパ様が教えて下さることは、どもりさえしなければ大変解りやすかったです。それに私を助けて下さったじゃありませんか。ゲルパ様はいざとなった時は頼りになる方です。もう少し御自分に自信をお持ちください」

「た、助けたっていっても、元は僕が君を森に置き去りにしたせいで……」

「はい。酷い目に遇いました。悪いと思うなら私に力を貸してください」


 そう言ってメイちゃんは、ゲルパさんに手を差し出した。ゲルパさんはぽかんと口を開けてその手を眺める。


「契約、仮ではなく本当の契約を結んで下さい」


 信じられないという顔で、メイちゃんの顔と手を何度も見る。メイちゃんの目が本気だと分かると、ゲルパさんの表情が苦しそうにくしゃりと歪んだ。


 あの夜明け前の密会で。レナティリスさんとユーグさんはゲルパさんを案じていた。


「儂とユーグの間に出来た子は皆、人の血の方が濃く出た。孫たちも然り。精霊の本質を継いだのはゲルパだけ。あの子の母は人間で、父であるグラドもユーグの血は出ずに普通の人間と変わりなかった。故にあの子は人間の町で育った」


 ユーグさんが、レナティリスさんの肩に手を置いて続けた。長いまつ毛が影を作る。


『幼い頃は感情の昂りで、精霊の姿になることもしばしばあった。人間の町で、あの子は鬼子として忌み嫌われた。人は異質な者を嫌う生き物だから』

「見るに見兼ねた儂らがあの子を引き取ったが、あの通り、すっかり人を恐れてしもうたんじゃ」


 二人は望んでいた。家族だけでなく、他人がゲルパさんを肯定してくれることを。

 

「ぼ、僕は、嫌われもので。いない方が良いって……」

「ほら! それです、それ! それが間違い」

 メイちゃんは腰に手を当てて、ゲルパさんに詰め寄った。

「私は嫌っていません。いてくださった方が良いから契約をしたいのです。だから、はい!」


 ずいっと手をゲルパさんの目の前につき出す。みるみるゲルパさんの目が涙で一杯になった。


「け、契約を結びます。ぐすっ、これからよろしくお願いします」


 ぐずぐずと泣きながら、ゲルパさんはメイちゃんと本当の契約を結んだ。

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