第42話 世界樹
「さて、折角の女同士の密会じゃ。一つ秘密を打ち明けようかの。昼間の、どうしてお前さんたちの来るタイミングや目的を知っていたか、の答えじゃがの」
ん? と私は首をひねった。確か情報を集めて分析してるからだって言ってたよね。あ、待って。そういえば、その情報をどうやって集めているか聞いてなかった。答えをはぐらかされてたんだ。
はっとなった私を満足そうに見るレナティリスさんは、巨木をぽんぽんと叩いた。
「その情報源はこの木にあるんじゃよ。この木は世界樹ユグドラシル」
世界樹、世界の始まりに光神セイルーンが植えたとされる最古の木。その根は世界の隅々まで伸び、あらゆる出来事を知るという。
「セイルーン教の聖典にある世界樹、ですね。本当に在ったんだ」
驚く私に悪戯っぽい笑みを向けて、レナティリスさんは大木を優しく抱き締めた。
「儂の愛しい夫じゃ」
お、夫! それはちょっと、予想してなかった!
想定外の事実に目を白黒させた私を見て、レナティリスさんはご満悦だ。そうして、木に手のひらを差し出した。
「愛しいユーグ、姿を見せておあげ」
木の幹から淡い緑の光が零れ、指先、手を形取り、レナティリスさんの手を握った。次に肘と順に人の形を取っていく。そうして姿を表したユグドラシルことユーグさんは、ゲルパさんとよく似た容姿だった。彼と違って至極落ち着いた様子だけれど。
『初めまして。今代の勇者殿』
低く心地いい声が、鼓膜ではなく頭に響いた。緑の瞳が優しい色を湛えている。もう、驚くことが多すぎて、開いた口が塞がらないよ。
「ゲルパは、世界樹のユーグと繋がっておる。世界樹の叡智は全てあの子へ共有される。今の賢者はあの子じゃよ」
「……それで、元、賢者」
ウキウキと両手をこすり合わせているレナティリスさんを見て、私は改めて思う。この人、私が驚くのを見てすっごい楽しんでるわ。
「ユーグと繋がっておることで、あの子は世界を知った気でおる。じゃがのう、知識だけで体験したことのないあの子は、未完成なんじゃ。出来れば儂が引っ張り出してやりたいところじゃが、人の命はあまりに短い」
レナティリスさんは愛しげに傍らのユーグさんを見上げた。
「短い儂の人生、全てを夫に捧げると誓った。儂は此処から動く気はないんじゃ」
『愛しいレナティリス。君は私の救いだ。長き生涯の中で寄り添ってくれたのは君だけ』
ユーグさんはレナティリスさんのシワだらけの手の甲に口付ける。
「ユーグ、人の生は短く木の生は長い。儂がいなくなったら、またいつか寄り添う人を見つけておくれ」
途方もなく生きてきた世界樹のユーグさんを見るレナティリスさんの目は、駄々をこねる子供を見るものだった。
『いいや、レナティリス。これからの私の生の中でも、君以上の人は現れない』
対するユーグさんは、柔らかな顔立ちを険しくしてきっぱりと言い切った。
なんか、いいな、この夫婦。元賢者と世界樹とに結ばれた確かな絆はとても素敵で、私は胸が暖かくなった。
「こういうわけじゃからの。あのちっこいお嬢ちゃんに託すとするよ。あのお嬢ちゃんならゲルパの尻を引っ叩けそうじゃ」
茶目っ気のある笑みを浮かべたレナティリスさんに、私は大きく頷いた。
「任しておいて。うちのメイちゃんなら大丈夫よ」
そう、自身満々に太鼓判を押した。
なんて。メイちゃんなら大丈夫って言った……んだけど。予想以上にゲルパさんの人見知りは酷かった。
「ゲルパ様、ここの記述のことなのですが」
「はひぃっ、ここ、こ、これのことっ?」
「はい、そうです。それでゲルパ様、効率のいい回復魔法の魔力の練りかたなのですが」
「まっ、魔力の練りかたっ? そ、そそそ、それは、ええっと……」
メイちゃんが質問する度にゲルパさんは飛び上がり、赤くなったり青くなったりしながら、しどろもどろで答える。メイちゃんは怒りもせず、分かりにくそうなゲルパさんの説明を根気よく聞いていた。
本日は快晴。前日の雪も太陽が高度を増すにつれて溶け始め、面積を小さくしている。
「すげーな、メイ。俺ならとっくにキレてるぞ」
シグルズが私の木剣を弾きながら、外の木製のテーブルと椅子で勉強する二人へ、視線を送る。メイちゃんは真剣に勉強していて、ゲルパさんの挙動は終始落ち着かない。立ったり座ったり、焦って手足をばたつかせたりしている。
シグルズと戦闘訓練中だから、話声を所々拾ってる程度だけど、とにかくどもるし、声も裏返る。で、時々メイちゃんに叱られるというか、諭されていた。
ちなみに、夜明け前のレナティリスさんたちとの話は、誰にも言っていない。
「いや、あの感じだとメイちゃんキレてるねっ!」
弾かれた勢いを利用しつつ、体を回転させての薙ぎ払いは、簡単にシグルズが立てた木剣に阻まれた。
ゲルパさんと話すメイちゃんの顔には笑顔こそあるものの、テーブルの下の足はぱたぱたと地面を叩いている。うん。あれは結構イラついているね。
「いいのか、それで?」
「今回の目的はメイちゃん自身の強化よ。私がしゃしゃり出てらんないの!」
シグルズは「ふうん。ま、いいけどな」とどうでもよさそうに鼻を鳴らし、逆手に持っていた木剣を、くるりと回しながら跳ね上げた。
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