第41話 剣の記憶

 何もない灰色の空間。――は、剣を構えて目の前の人物に集中していた。見えているのは、ただ、ただ、目の前の人物だけだ。

 己の全てを懸けて、剣を振るう。相手も全てで剣によって答える。

 胸中を支配するのは歓喜。剣の軌跡が、掠める切っ先が、全身の血を歓喜で沸騰させる。

 打ち合い、弾かれ、また斬り込む。翻る黒の刃と煌めく白の刃。

 歓喜、悦び、狂喜。打ち合う剣撃は福音、祝賀。

 確信する。ああ、この為に生まれてきたのだと。

 至福の時は終わりを告げる。黒衣の胸に吸い込まれた白銀の剣によって。

 終わる。終わる。全てが終わる。

 儀式が終わり、世界が在るべき姿へ戻る。

 胸を貫かれた黒の人物から、悲しみがマナとなって抜けていく。持ち主を亡くした剣が、がらんと床へ転がった。それすらもマナの粒子となる。

 体から力が抜ける。膝を付き、剣を取り落とした。その剣も粒子となって消えた。

 抜けていく。人から託された願い。寄せられた希望。全て。

 ――全て――。


****


「……っ!」


 私は布団を跳ね上げ、飛び起きた。自分で自分を抱き締める。指先に返ってくる自分の腕の感触と、握られた二の腕の締め付けに安堵する。大丈夫、いつもの私の体だ。

 今の夢は何?

 カイくんと逢う場所に似ていた。あの空間にいたのは、見たこともない人物、戦っていたのも・・の私じゃない。


 跳ねる心臓を抑えつけ、私は寝ているメイちゃんとレナティリスさんの様子を窺った。規則正しい寝息に、ほっと息を吐く。

 レナティリスの家に客間はなく、彼女の寝室にお邪魔していた。ベッドは一つ。当然、家主のレナティリスさんがベッドを使い、私とメイちゃんは床に布団を敷いて寝ていた。

 部屋は暗くて、夜明けはまだ遠そう。だけど、もう一度寝ることは出来そうになかった。上着を羽織り、音を殺して外へ出る。戸を開けると、広がるのは真っ暗闇と、月明かりを受けて浮かぶ雪の白。白と黒の世界。家の傍らにそびえたつ巨木でさえ、昼間と違って黒々としていた。

 黒の空気に白い息を吐き出し、私は巨木に手を這わせた。ざらついた木肌は、凍えるような空気に比べると幾分か温かい。それになんだか訳もなく懐かしさを感じて、こつんと額を木肌へ着ける。チクチクと額を擦る硬い樹皮、解いたままの髪がさらりと頬を滑って流れた。


「そんな所でじっとしていたら風邪を引くよ」


後ろから、老婆特有のビブラートのかかった声がした。私は木に額を着けたまま元賢者に尋ねる。


「……夢を見ました。あれは、この木が見せた記憶でしょうか」

「いいや。剣の記憶じゃろう。嬢ちゃんが見た夢の内容が、わしの想像通りならのう」


 横に立ったレナティリスさんが呪文を呟く。魔法の火が、黒と白の世界に色と温度を点した。


「この木が何なのか、解るか?」


 しわくちゃの手が伸びてきて、優しい仕草で木の幹に触れる。


「いいえ。ただ、懐かしい……気がします」


 私は木から額を離して、隣に立ったレナティリスさんを眺めた。


「懐かしい、か。それも剣の記憶じゃのう」


 木肌を撫でながら元賢者が剣について語る。それは、私が思っていた通りで、皆の前で語らずに私だけに明かしてくれたことに感謝した。

 剣にまつわる全てを語ってから、レナティリスさんは目を細めた。


「あまり驚かんのじゃな」

「何となく、分かっていたことですから」


 おどけるように肩を竦めて、片目を瞑る。


「納得するかどうかは、別ですよ?」

「くっくっく! 面白い勇者じゃな」


 静寂を破るのを憚ってか、レナティリスさんは喉の奥を震わせるにとどめた。私も小さく肩を震わせた。


「竜殺しのシグルズの黒い傷痕じゃがな、竜の呪いなどではないぞ」


 え?


「竜の呪いなどはこの世に存在せん。竜は何かを呪うような存在ではないからじゃ。そして、竜の本質は魔族と非常に近い。あれは呪いではなく、病じゃ。今魔族と竜族で猛威を振るう病、闇化病。それにかかっておる」


 闇化病、という響きはある意味呪いより不吉だった。あれが闇化病? それにシグルズがかかった?


「竜の血を浴びて感染したんじゃろう。ある意味呪いみたいなものじゃな。安心せい。聖女の使う浄化の魔法で治る病じゃ。聖女に会うまでは暫くかかるが、症状の抑え方も解っとるな?」


 歳を経て透き通った水色の瞳が、私を真っ直ぐ見た。


「解っています。でも……」


 すがるように、レナティリスさんを見た。これだけ博識な人なら、何か解決策を持っているのではないかと。


「儂はただの元賢者。ほんの少し多くを知っているだけじゃ。……勇者には必ず道を開く力があるという。どんな困難や理不尽をも乗り越える力が」


その力があるものが勇者に選ばれるとも言うのぅ、とレナティリスさんは腰を伸ばしてから、軽く握った拳を私の胸元へ当てた。


「じゃから、お前さんにもその力がきっとある」


 何か言おうとしたのに、彼女の拳があまりに熱くて、喉を塞いだ。

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