第39話 元賢者レナティリス
元賢者のレナティリスさんについて森を進むと、十分ほどで湖に出た。湖の畔には大木がそびえ、その根元に寄り添って古びた家が建っている。柔らかくなっていた陽射しはすっかり赤くなり、橙色の湖面がキラキラと光を反射していた。
うわぁ、大きい。一体何年ここに立っているんだろう。
見上げるような大木は、何人もの大人が手を繋いでも抱えきれないくらい太い幹をしていた。地を這うように伸びた根は、所々で地面からごつごつとした木肌をのぞかせている。落葉樹ではないようで、緑の葉に雪の白を乗っけていた。
「馬はここに繋ぐとええ。普段は物置小屋じゃからの、あんまり住み心地は良くないかもしれんが勘弁しておくれ」
レナティリスさんは、馬の首筋を優しく叩いてから、「あんたらはこっちじゃ」と母屋へ案内してくれた。
「お邪魔します」
元賢者の家の中は、メイちゃんと二人で想像した通りだった。天井にはところ狭しと、薬草らしき様々な植物が吊り下げられている。壁は本棚で埋め尽くされ、書物と瓶がびっしり詰まっていた。
部屋の真ん中には古びた大きな円卓があり、何故か人数分の焼き菓子とカップが用意されていた。暖炉には湯気を立てるヤカン。まるで私たちが、何人でいつ来るのか分かっていたみたい。
「ほれ、座るとええ。ゲルパ、茶を淹れておくれ」
レナティリスさんがゲルパと呼んだのは、最初に姿を隠していた気の弱そうな青年だ。痩身で背が高く、薄茶色の髪を一つに縛っている。緑の瞳は落ち着くことがなく、あちこちに揺れていた。彼は慣れた手付きで暖炉のヤカンを取り、ポットにお湯を注いだ。ふわりとお茶の良い香りが漂う。
お茶を淹れ終えたゲルパさんにお礼を言うと、真っ赤になって、そそくさと座ってしまった。全員にお茶が行き渡ると、元賢者レナティリスがにかりと笑い、メイちゃんを指差した。
「さて、時にそこのお嬢ちゃん。どうしてあれが回復魔法だと解ったのかの? 攻撃魔法との違いは一ヶ所だけ。相当観察せんと解らんかった筈じゃ」
「私には回復魔法にしか見えませんでした。攻撃魔法であんな大規模なものなんて、見たこともありませんし」
きょとんとして、メイちゃんが答えた。フィンさんが苦いものを飲んだような、複雑そうな顔をする。レナティリスさんは、そんなメイちゃんを眺めてから、お腹を抱えて笑いだした。
「なるほど! 判断材料が少ないからこそ、導き出された答えじゃったか!」
笑われたメイちゃんは、居心地悪そうにもじもじしていたが、すぐに顔を紅潮させて言った。
「素晴らしい回復魔法でした。本の中で理論だけ知っていましたが、この目で見られるなんて光栄です」
「フーリエから本を貰い受けたか。結構結構」
レナティリスさんは一人で頷き、隣でそわそわと体を揺らしているゲルパさんを肘で突ついた。驚いたゲルパさんは飛び上がって、飲んでいたお茶を吹き出した。
「安心せい。お嬢ちゃんの問題は、このゲルパが解決するじゃろ」
「ゲホッ、なっ、なななな何を言っているんですか、おっ、おっ、おおお、お祖母様!」
お茶が気管に入ったのか、むせたゲルパさんは、涙目で首を激しく横に振った。
「ぼ、僕には無理です! こ、こここ、こんな若いお嬢さんに、お、おお、教えるなんて!」
真っ赤になって椅子から転げ落ちそうなほど仰け反り、必死に手でメイちゃんから顔を隠している。だ、大丈夫かな。この人。
「人と交わるのはお前にとっても良い機会じゃ。観念せい!」
しまいには椅子の後ろに踞ってしまったゲルパさんの背中を、レナティリスさんはバンと叩いた。
「お嬢ちゃんや。紹介が遅れたがこやつはゲルパ。こんな奴じゃが、知識は儂と変わらんか、儂以上じゃ。よろしくのう」
「は、はい! メイと言います。ゲルパ様、よろしくお願いします」
「よ、よよよ、よろしくお願いします」
席を立って丁寧にお辞儀したメイちゃんに、ゲルパさんは椅子の後ろに引っ込んだまま、消え入るように小さな声で言った。
「さて、お前さんたちの大きな目的はこれでいいとして、質問はあるかの?」
カップを置いたレナティリスさんの視線が、私たちを順番に廻った。
「はい、質問! どうして私たちが来るタイミングや目的を知っていたんですか?」
「わしは、この世の真理と知識の探求者でなあ。知ることに餓え、常にあらゆる情報を集め分析しておる。目と鼻の先にあるタニカラ町で災害の沈静化に勇者が関わったことも、耳に入っておったからのう」
勢いよく手を上げて質問すると、にやにやとした笑みを浮かべたレナティリスさんが答える。彼女の目が、面白い玩具を見つけたようにきらめいた。
「じゃあ、もう一つ質問」
水色の瞳を真っ直ぐ見返して、私はまた手を挙げた。
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