第38話 罠だらけ

 吐く度に白く染まる息を大気に流し、ブーツに包まれた足を進める。きゅっきゅっ。浅く積もった雪が踏むたびに音を立てた。すごーい。なんか感動だなぁ。温かい王都の外れで育った私にとって、雪はめずらしい。


 タニカラ町を出立した私たちは、賢者が住むという湖へと向かっている最中だ。ラナガ森の奥にある湖への道は、馬車が通れるほどの幅がない。だから馬車はタニカラ町へ預け、二頭の馬に荷物を括り付けて徒歩で進んでいる。

 森の中は鳥の鳴き声や、木々を飛び回る小動物の立てる音などで思ったよりも騒々しい。歩くこと三時間程。昼近くの陽ざしの温もりと、歩き続けているお陰で寒くはなかった。

 ふと、微かな風切り音が耳に入る。何? と思う間もなく、大剣を抜いたシグルズが叩き落としていた。


「石?」


 地面に叩き落とされたそれは、数個の小石だった。遅れて剣を抜き、辺りを警戒するけれど、人や動物、モンスターの気配も全くしない。どういうこと? 警戒してじりっと後退した時、足に何かが当たった。


「うわっきゃあああ!」

「クロリス様!」


 物凄い勢いで片足を引っ張られ、気が付くと逆さ吊りになっていた。慌てて足を吊っている縄を剣で斬る。空中で一回転して地面に着地した。途端に、ピィンと何かが鳴る。鞭のようにしなった蔦が、大きく後ろへのけ反った私の鼻先を掠めた。


「危なっ!」


 後ろに下がると、今度は足元から地面の感覚が消える。うげっ。落とし穴?


「ウエントス!」


 フィンさんの浮遊魔法で落下が止まる。


「侵入者よけに罠があるとは聞いていたけど、予想以上だね」


 ここに来る前に寄った町で手に入れた情報によると、賢者が人魔戦争に加わらなかった理由には高齢なこともあるけど、それ以上にとても偏屈さが大きかったらしい。住んでいるのも人を寄せ付けない罠だらけの森の奥で、時々町にやってくる以外に交流はないんだって。


「それにしても面白いほど罠に引っ掛かるね、君は。これ以上引っ掛かると困るから、浮遊魔法をかけたまま、行けるところまで突っ切るよ」

「あははは、お手数をかけます」


 一人で何個引っ掛かったのか分からない私は、乾いた笑いを浮かべるしかない。

 二頭の馬と私たち四人とも、地面から三十センチ程浮いたまま、滑るように進み始めた。


「すごーい! けど、最初からこれで移動していたら楽チンだったんですけど?」

「あっという間に魔力切れになるよ。これだって長続きはしない」


 話をしているうちにも、物凄い速さで景色が流れていく。すると、前方にマナの大規模な動きがあった。ついでに姿は見えないけれど、人の気配もある。


「例の元賢者様か? ったく、素晴らしい歓迎ぶりだな」


 シグルズが鼻を鳴らした。フィンさんが硬い声で簡潔な指示を飛ばす。


「浮遊魔法を解除するから着地の準備を」

「オーケイ」


 ったく、人を散々罠に嵌めてくれちゃって。文句言ってやるんだから! 私は地面の感触が足に伝わると同時に、気配へ向かって走り出す。が、数歩進んでまた足元が消失した。またぁ?


「何で私ばっかりいいぃぃ!」


叫びつつ剣を落とし穴の側面に突き刺して、落下を阻止する。ぐっと柄を持つ手に力を入れて体を引き上げ、剣の柄を足場に穴から脱出した。

穴から抜けた私が見たのは、次から次へと作動する罠を大剣と体捌きでいなし、かわして、見えない気配の主に近付くシグルズと、息を飲むほどの巨大で精緻な魔力だった。


「殺すなよ! シグルズ!」

「分かっているさ!」


 防御魔法を展開しながら、フィンさんがシグルズに警告する。元賢者に会いに来たのに、殺しちゃったら意味がない。だけど。私は魔法が展開されていく空間を見上げた。視界を埋め尽くす程の魔力が美しい模様を織り成している。何の魔法なのかは解らないけど、これが発動したら多分死ぬよ。というより、下手に中断して暴発したら使い手は死ぬレベルよね? お願い、シグルズ。手荒にしちゃ駄目よ! でも魔法は発動させないでーっ!

 心の中で無茶なお願いをしている間に、シグルズは一見何もない空間に拳を突き入れる。姿を隠していた魔法が切れて、胸倉を掴まれた気配の主が現れた。


「んなっ。誰だ、お前!」


 現れたのは、気の弱そうな若い男だった。近くの町の人が、元賢者は高齢の女性だって言っていたから別人だ。


「この魔法の使い手は別にいるのか?」


 フィンさんが珍しく焦ったように防御魔法を重ね掛けして威力を高める。私もシグルズも、フィンさんの防御魔法圏内に入るために身を寄せた。そんな中、一人圏内から前に出る人影に私の心臓が縮み上がった。


「メイちゃん! 何しているの!」

「大丈夫です、クロリス様」


 メイちゃんはキラキラした目を私に向けて言った。


「これ、回復魔法ですよ!」

「……へ?」


 これが回復魔法? 私ばかりかフィンさんまで目が点になって固まった。


「ふおっふおっふおっ。お嬢ちゃん、よく見破ったのう」


 え? なんか、声近くない?


「って、ぎゃああああ!」


 近いと思ったら、私の隣じゃん!


「こっちの嬢ちゃんはええリアクションするのう」


 ふおっふおっふおっと笑うお婆さんは、ベージュのワンピースの上から毛糸のセーターに前掛けを着けた、何処にでもいそうな人だった。小柄でふくよかな体、曲がった腰で杖をついているけれど、その杖も絵本の魔法使いが持つようなものではなく、散歩に使うステッキだ。


「馬鹿な、全く気配がなかったぞ!」


 シグルズでも感じ取れなかったの? マナの動きも自然だったし。


「ほれ、防御魔法を解除せんか。折角の回復魔法が無駄打ちになるじゃろう? 特にこの嬢ちゃんは回復魔法が必要そうじゃしの」


 お婆さんに杖の先で突つかれ、フィンさんが我に返った。お婆さんに視線を向けられて、私はさっきの無理な動きで傷が開きかけている事を思い出した。フィンさんが防御魔法を解除すると、お婆さんが呪文を唱える。


「回帰せよ」


 森の冷えた空気が温くもる。気持ち良さに目を瞑った。もう一度目を開いた。傷のあったところに手を当ててみる。痛くない。疲れも取れてる! あっ、私が落ちた穴まで無い。


「もしかして、今までの罠も回復?」

「復活しておるよ。森の生き物の傷も、森に起こった何かしらの変化もなかったように戻っておる」


 またもやふおっふおっと笑い、知人が訪ねてきた時のような気安さで両手を広げる。


「ようこそ、勇者一行。儂は元賢者レナティリス。この世の全てが知りたい知識欲の塊じゃ」


 そう言って私たちを歓迎したのだった。

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