第36話 虚構の勇者

 目が覚めると、何日かぶりのベッドの上だった。ぼやけて見える素朴な木の天井を何度か瞬きを繰り返して鮮明にさせ、半身を起こす。メイちゃんやフィンさん、シグルズの姿は見えない。病院だろうか。部屋に並べられた沢山のベッドは全て埋まっていて、床に敷かれた布団にも沢山の負傷した人たちが寝かされていた。


「良かった、目が覚めたんだな、嬢ちゃん」


 床の怪我人の前に屈んでいた背の低いおじさんが、私に気がついて声をかけてきた。包帯を持っているから、医者かもしれない。


「嬢ちゃんの連れはまだ外で忙しくしとるが、嬢ちゃんは怪我人だ。ゆっくり寝ときなさい」


 言われてみれば、シャツから覗く私の右腕には包帯が巻かれ、鼓動に合わせてどくどくと痛みと熱が押し寄せている。他にも脇腹と右足に、引きつるような痛みと包帯の感触があった。

 ベッドから下りようとすると、腰に剣がぶつかってくる。私が着ているのは前合わせの簡素なローブみたいな衣服で、剣帯がないから、鞘ごと掴んで歩き出した。


「お、おい、嬢ちゃん! あんたは怪我人だと言っただろう。まだ出歩かない方がいい」


 慌てて引き留めようとしたおじさんを無視して外に出る。おじさんの溜め息と引き返す気配が後ろに流れた。


 町は戦闘の傷跡も生々しく、崩れた家屋や瓦礫が転がっていた。夕陽が痛々しい町と人を赤く染めている。私が意識をなくしてから、あまり時間が経っていないらしい。


「お姉ちゃん!」


 抱き合う母子の横を通ったとき、子供の方が私を呼び止めた。母親が涙に濡れた顔を上げる。


「助けて下さってありがとうございました」


 私の目線は、深く頭を下げる母子の側に横たわる、布にくるまれた小さな遺体に吸い寄せられた。母子を襲っていたグリフォンの首を斬った時、嘴に子供をくわえていた。

 ぎしっと心が軋む。ありがとうの一言が心を抉った。

 あの時の『誰か、この子を助けて』という母親の願い、『お兄ちゃん、死なないで』というこの子の願いは、もう一生叶わない。叶えられない。叶えられないのに。


「……っ」


 私は何も言えず、母子にただ頭を下げて、逃げるように立ち去った。



 町の中を宛もなく歩いた。初めて来た町だから土地勘はないし、あちこち破壊されていて、どんな町並みだったのか見る影もない。

 瓦礫の撤去をしている頑強な男が、後ろを通り抜けようとした私を振り返った。私と目が合うと、男が顔を綻ばせる。


「あんた、強かったなあ。あんたがモンスターを倒してくれたお陰で、町の被害がこの程度で済んだ。ありがとうよ」


 この程度?

 私は辺りを見渡した。あちこちに見える布で包まれた遺体、まだ色濃く漂う鉄錆びのような臭い。黒く染まった立ち入り禁止区域。戦闘で抉れた大通り。泣き腫らした顔の人たち。これが『この程度』で済んだ証なの?


「なあ、姉ちゃん。あんたもしかして、勇者様なんじゃねえのか? 噂じゃ勇者様が王都から聖国へ出立したそうだ。この町は聖国へのルート上にあるし、ここを通ってもおかしくねえ」


 直に心臓を掴まれたような心地がした。口の中がカラカラに干上がる。


「私は……」

「勇者様」


 私は肩を跳ね上げて、のろのろと声の方を見た。小柄なお婆さんが、手を合わせて祈るような姿勢を私にとっていた。やめて。


「勇者だって?」


ざわざわと、勇者という言葉が辺りに伝染していく。ある男は作業の手を止めて、おばさんは啜り泣きを止めて、お爺さんは俯いた顔を上げて、様々な人たちが集まってくる。来ないで。


「モンスターから助けてくれた姉ちゃんじゃないか。勇者様だったのか」

「道理で強いはずだ」

「あんな娘さんが勇者? 大丈夫なのかい?」

「ばーか、モンスターを一瞬で真っ二つだったんだぜ」

「一緒にいたのは『竜殺しのシグルズ』と『氷結の魔法使いフィン』だとよ」

「勇者が魔王を倒せば、前みたいに平和になるんだろう?」

「ああ、勇者様。私たちをお救いください」


 私を見る町の人たちの目に、期待と希望の火が灯る。願いが押し寄せてくる。


 『救って!』『助けて!』『モンスターから守ってくれ! 魔王を倒して!』


 違うと叫びたかった。私には無理だと言いたかった。背を向けて逃げ出してしまいたかった。思わず耳を塞いだけれど、声は小さくなるどころか、どんどん大きくなっていった。馬鹿だな、私。耳を塞いでも、目を閉じても逃げられないのなら、立ち向かうしかないじゃないか。

 どうせ意味などないのだからと、耳を塞ぐ手を退ける。 みっともなく震える手を、後ろに回して隠し、剣を握り締めた。皆の願いに応えなきゃ。剣よ、私に勇気を。不安に震える人たちが望む、勇気と希望を与える勇者で在れますように。


 背筋を伸ばしてお腹に力を入れた。

 胸を張れ。堂々としろ。不安に震え、プレッシャーに負ける勇者なんて、誰も望んでないんだから。


「私は勇者クロリス。先ずは今回のモンスターの襲撃で亡くなった方への哀悼を。そして、守りきれなかったことへの謝罪を」


 深く頭を下げた。ざわついていた人たちが、しんと鎮まりかえった。

 頭を上げる。痛いほどの視線を感じる。私は今、ちゃんと笑えているかな。後ろに隠すようにしていた剣を、鞘から抜いて掲げる。


「ここ最近、災害が頻繁に起こっていると聞いています。不安なことと思いますが、今しばらくのご辛抱をお願いします。必ず私が魔王を倒して世界を救ってみせます」


 出来る限り張った私の声は、静かなその場に予想よりも響いた。白銀の剣が、頼りない黄昏の陽光を弾いて輝く。僅かな光を反射して、上辺だけ輝いてみせる今の私のように。


「「おおおおおっ」」


 歓声、感嘆、感銘、歓喜、様々な声が空気を揺さぶった。爆発みたいなそれを受けながら、剣を鞘に納める。微笑みの形を作った私の頬に、雪が一欠片落ち溶けて消えた。見上げた空に鈍色の雲が広がって、ひらひらと雪花が散る。雲は沈みかけた夕陽を隠し、夜の訪れを早めた。

 黒く染まった建物にも、布にくるまれた遺体にも、生きて悲しむ人にも、勇者という希望に顔を輝かせる人にも、雪は降り積もっていった。

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