第34話 呪い

「この呪いを受けてから、身体能力が上がった。上がりすぎて周りを巻き込む程に。しかも戦闘になると妙な気分になりやがる」


 シグルズは、はだけたままのシャツをかき合わせるようにして握る。握った拳が白くなった。


「目の前の敵を、生き物を、殺したくて堪らなくなる。自制はきくが、衝動は少しずつ大きくなっている。その内、我を無くすんじゃないかと正直、怖ぇ」


 伸ばしかけて宙に浮いた私の手が、冷えていく。きっとそれは冷たい空気のせいだけじゃない。


「俺は人を守る親父に憧れた。俺もそう在りたいと思った。なのに、俺はこんな呪いを受けて勇者のお守り。肝心の勇者は剣も握ったことのない素人の女だ。苛ついて思い切りしごいてやったのに泣きもしねえ、可愛げのない女だ」

「うぐ。悪かったわね」


 事実を言われて、私は喉を詰まらせた。可愛げがない。その通りなんだけど、ぐさっと来る。ってか、思い切りしごいてやったって、おーい。


「でも違った。怖い、戦いたくないって泣いたお前は、普通の女だった。守りたい、守ってやりたいって思ったのに守ってやれなかった。お前が無茶をしなきゃならなかったのは、そんな当たり前のことにも気づかないで、フォローしこねて不甲斐なく怪我をした、俺のせいだ。俺は、そんな俺自身が情けなくて八つ当たりしたんだ」


 違う。シグルズが怪我をしたのは、怖気づいた私のせい。シグルズのせいじゃないのに。


「シグルズ」


 私は空中に止めていた手を少し伸ばすと、シグルズの手に触れる。大きくて硬くて、分厚い手だ。体温と、守れなかったという悔しさが伝わってくる。そして、『守りたい』という、何よりも強い願いも。

 願いには、応えなきゃ。願いは叶えなきゃ。


「貴方の願いは叶うよ。この手は人を守る手で、殺すだけの手じゃない」


 私はシグルズの手をシャツから退けると、彼の黒い傷痕に触れた。


「っ! 馬鹿、お前!」


 ぺたりと着けた手のひらにピリッと痺れるような感覚が走る。傷跡に魔力を持っていかれて、代わりに映像が流れ込んでくる。ううん、映像じゃなくて、記憶? 鋭い爪と硬い鱗に覆われた自分の手――竜の手が、足が、体が真っ黒に染まっている。目の前にはちっぽけな人間、シグルズがいる。殺したい、殺したい、殺す、殺す、殺す殺す殺す殺す……!

 そこでシグルズに手首を掴まれ、引き離された。記憶も、殺しの衝動も消える。


「何やっているんだ! 呪いに触れたりしたら、何が起こるか分からないんだぞ!」

「平気よ。私は勇者だから耐性が有るの」


 嘘だ。勇者の耐性なんて知らない。ただ、シグルズの願いを叶えたかっただけ。


「お前、本当に何ともないのか?」


 焦った表情のシグルズが、手首を掴む手とは反対の手を私の頬に添えた。顔を傾けるようにして、覗き込んでくる。ひえぇ、顔が近い。心臓に悪い。離れたいけど手首掴まれたままだし。よし、話を変えよう。


「平気、大丈夫。なんともない! そ、そんなことより確認だけど、生き物を殺したい衝動、治まってない?」

「は? ……んなもん、戦ってみないと分からねえ」


 そういえば戦闘の時に、って言ってたもんね。


「だったらちょっと戦ってみよう。ほら、手を離して」

「あ? ああ、悪い」


 パッとシグルズが私の手首を離した。あー、もう。ちょっと赤くなっているよ、馬鹿力なんだから。

 袖を伸ばして手首を隠し、適当な木の棒を探してシグルズに放った。受け取ったのと同時に仕掛ける。


「ま、待て!」


 いきなりのことに焦っているシグルズ。ふふん、もう遅い。


 私は前に出した足と、正眼に構えた棒の先を僅かに動かす。そうしてフェイントを入れてから、本命の突きを繰り出した。途端にシグルズの青い目から混乱が消えた。

 フェイントに釣られず、小さく突きを避けて半歩前へ出る。あっという間に懐に入り、木の棒が私の喉元へ伸びる。淀みのない動作、私が剣の一端に触れたからこそ分かる、美しい軌跡。周囲の空気を斬るほどの鋭さと速さは、半人前の私が避けられるものではないし、避けるつもりもなかった。


 だって、私には届かないから。


 ピタリ。首に触れるか触れないかで止まった木の棒を、私は指で弾いた。


「ほらね。衝動なんて欠片も沸かなかったでしょ?」


 唖然としているシグルズの顔が小気味良くって、私はクスクスと笑う。


「確かになんともない……わけわかんねえ、何なんだ、お前」


 そうだね、わけわかんないよね。私もほんとはわけわかんない。


「何って勇者、でしょ?」


 茶化すように肩を竦めて片目を瞑った。互いに突きつけていた木の棒を下ろす。


「戻ろっか」


 話は終わりとシグルズの肩を叩いて、私は馬車へ足を向ける。戸惑う彼を置き去りに、振り返ることなく歩みを進めた。

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