第27話 シグルズの失敗談

「悪かったな。気づいてやれなくて」

「え?」

「怖かっただろ。人殺しも、人に殺されそうになるのも」


 ぎくりと体が強張った。心の底にぐずぐずと沈殿していた後悔が、また噴き上がってくる。


「っ、ごめんなさい、私っ、何も出来なかった。シグルズの肩の傷だって私のせいで」

「ばーか。謝んなよ」


 シグルズはこつんと軽くおでこを小突いてから、最初よりも密着するように私を抱え直した。


「お前訓練でも泣き言一つ言わなかったし、モンスター相手じゃ平気だったからな。俺もフィンも、つい大丈夫だと思っちまった。お前はついこの間まで、ただの花屋だったってのにな。悪かった」


 また私の体が震え出す。今度は怖いからじゃない。駄目だと思うのに、喉と目が熱い。どうしよう。ヤバい。今そんなに優しい言葉をかけられたら。


「いいから、我慢するな」


 いつになく優しい声で、シグルズにぽんぽんと軽く頭を叩かれると、もう無理だった。


「怖かった……! 人なんて斬りたくないよ」


 ぼろぼろと、涙と本音が溢れる。一度堰を切ってしまったそれは、止まらなかった。

 戦うのは怖い。斬るのも斬られるのも、殺すのも殺されるのも嫌だ。剣なんて握りたくない。家に帰りたい。情けない。怖がる私が、何も出来なかった私が、情けなくて嫌いだ。嫌い、嫌い、きらい、キライ!

 ぐじぐじと泣いて、しゃくり上げて。みっともなく泣きわめく私を、シグルズは黙って撫でてくれた。いつまでも。いつまでも。


 どれくらい経っただろう。永遠に止まらないんじゃないかってくらい出ていた涙も、ついにすっからかんになったらしい。私が鼻水をすするだけになると、シグルズは低く笑った。


「いや、しかし、そうやって泣いていると、お前も普通の女だったんだな」

「はあ? 何それ」


 私は腫れぼったくなった目元をごしごしと指で拭って、シグルズを睨むと、目尻に柔らかい笑みをにじませたシグルズに視線がかち合った。


「初対面から突っかかってくるわ、城の兵士どもが揃って音を上げるような訓練に文句も言わずついてくるわ。お前は気の強え、鉄みたいな女だと思ってた」

「わ、悪かったわね、可愛くない鉄の女で」


 頬を膨らませて横を向く私の頭を、シグルズの大きな手がまた撫でた。


「悪い悪い。俺が間違ってた」


 いつもなら怒るか憎まれ口が返ってくるのに。今のシグルズはずるい。笑顔も態度も、優しくて穏やかで、なんだか甘やかされてしまう。


「あのな、クロリス。殺し合いが怖いのは当たり前なんだよ。俺も最初は酷いもんだったんだぜ」

「シグルズも?」

「ああ。真っ青でガタガタ震えながら、親父にくっついているのが精一杯だった」

「……想像もつかない」


 彼の腕の中、上目遣いにシグルズを見上げる。大きくて強くて、ずっと背中を追いかける存在。私の師匠。そんなシグルズが青くなって震える姿なんて想像出来なかった。


「シグルズはどうして冒険者になったの?」

「親父が冒険者だったからな。ああ、血は繋がってねえ親父だぞ」


 ふっと沸き上がった疑問を言ってみると、シグルズは素直に答えてくれた。


「孤児だってのは前にも言っただろ? スラムの路地裏で残飯漁ったり、スリの真似事やって暮らしてた。そんな俺を拾って、孤児院に入れたのが親父だ。スリがばれて、ボコボコにされていた俺を助けてくれてな。格好良かったな。ゴロツキ共をあっという間に叩き伏せてさ」


 親父さんという人を語るシグルズの目は、とても輝いていて、何だか眩しい。


「憧れたよ。親父みたいになりたくて毎日木刀を振った。ある日親父の目を盗んで、こっそりついて行ったんだ」


 行商人の護衛だったので、荷台に隠れていたそうだ。途中で見付かってこっ酷く怒られたけれど、引き返す訳にもいかずそのままついて行くことになったらしい。


「道中で親父たちがモンスターと戦闘になったんだが、怖くて、怖くて、震えるしか出来なかった。後になって猛烈に悔しくなって、前以上にがむしゃらに木刀を振ったよ」


彼にしては珍しく多い口数も、あえて話す自分の失敗談も、落ち込む私のため。それが嬉しくて。私は彼の胸に頬を擦り付けた。

 そうして気が付いた。彼の体は温かいを通り越して熱い。胸から伝わる心臓の鼓動も速かった。


「シグルズ、熱が」


 そうだ、逃げている最中も体が熱かった。駄目だ、私。色々頭が回ってなかった。


「怪我の後は出るもんだ。気にすんな」


 そう言いながらもシグルズは、私を抱きかかえたままずるずると壁から上半身を滑らせて横になる。


「ごめんなさい、私……」

「いいから。あー、悪いと思うなら暖房代わりにこのまま側にいてくれ。寒い」

「うん」


 ごめんね、と心の中でもう一度謝ってから、少しでも温まりますようにと、彼の体に腕を回した。

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