第25話 人間と戦うということ
後悔とは、どんなにしても、もう取り返しがつかないものだ。何故なら既にしてしまった事を悔やむのが、後悔なのだから。過去はどんなに悔やもうと変わらない。だから私は後悔なんてしない。するのは後悔ではなく、反省。失敗の原因を探って同じ過ちをしないようにすること。 それが私の信条。
だけど、今の私は猛烈に後悔していた。
「はあっ、はあっ、はあっ」
私は自分よりも重くて体格のいいシグルズを、半分背負うようにして走っていた。メイちゃんが、周囲を警戒しながらついてくる。
私の肩に体重をかけているシグルズの体が熱い。体は熱いのに、私に回された指先は冷たかった。二人して倒れ込むように、崖の下の窪みに身を寄せた。洞窟というほど広く深くはないが、身を隠すには十分だ。
「……腰のポーチに、酒と薬と布が入っているから取ってくれ」
片手で傷口を押さえて、苦しそうに顔を歪めたシグルズが私に頼む。言われた通りに酒と薬と布を取り出した。メイちゃんが、辺りに簡易の目眩ましの魔法をかける。
どうしてこんなことに。ぐるぐると無駄な後悔ばかりが頭を廻る。
私は唇を噛んで、こうなった原因を思い起こした。後悔を反省に変えるために。
旅は順調で、ラジカ村からムレート町へは予定通りに約一週間で着いた。ムレート町から次に目指すタニカラ町へは一ヶ月かかる。ムレート町で出来るだけ食料を買い、馬車の修理もして防寒具も揃えた。
今は少し肌寒いくらいだけど、次のタニカラ町では雪が降るくらいの気温なんだって。北東へと進む度に気温は下がるから、毛布や防寒具を積み込める馬車は心底有難かった。徒歩だと多くは運べないからね。
今いるのは森の中の街道だ。左右を鬱蒼とした木々に囲まれているせいで、昼間だというのに薄暗い。街道だけがぽっかりと拓けて、日の光を地面に届かせていた。モンスターの気配は今のところない。このまま順調に行くと、あと二、三日もすればタニカラ町に着くだろう。そんな時だ。襲撃を受けたのは。
ふと、シグルズが馬車の壁にもたれかかっていた背を離した。脇に置いていた大剣に手を伸ばす。
「モンスターじゃないな。野党の類いか?」
「人間かな。モンスターよりも、ある意味厄介だね」
御者台でシグルズの問いに答えたフィンさんが、魔力を編んで魔法を待機させた。ぴりりとした空気が伝わる。モンスターではなく、人間との戦闘は初めてだった。だけどその時の私は、緊張はしていたものの、その意味を深く考えていなかった。
人間と戦うということ。それがどういうことなのかはすぐに思い知らされた。
「くうっ!」
敵の剣を捌きながら、私は呻いた。襲撃者は六人。私たちよりも人数が多い。一人でも早く敵の数を減らした方がいい。なのに、私は防戦一方だった。
「首を斬れ!」
敵の風魔法の刃が私の首を狙う。回避は。無理。目の前の敵の剣を避けたばかりだ。魔法で迎撃。駄目だ、間に合わない。死ぬ。殺される。
「ウェントス・グラディウス!」
敵の風魔法とフィンさんの風魔法が激しくぶつかり合い、相殺して消えた。助かったと思う間もなく、敵の攻撃がくる。
敵を斬らないと。でも殺してしまうかも。どうすれば。避けろ、逃げろ、死にたくない。殺らないと殺られる。嫌だ。殺されたくない。だったら敵を斬れ。嫌。殺したくない。どうしたら。どうすれば。どうしたら? どうすればいいの!
防御して、避けて、魔法で牽制しながら私の思考はぐちゃぐちゃだった。自然と動きのキレが悪くなり、追い込まれる。幸い敵はシグルズに集中しているから、何とか凌いでいるけれど、このままじゃまずい。ああ、ほら、さっき斬れる隙があった。今もある。頭では分かっている。なのに、私は一人も斬ることが出来ない。だって相手はモンスターじゃない。人間だ。
勇者の剣の威力は、よく知っている。この剣は斬れすぎる。行動不能にさせようと足を斬れば足を、腕を斬れば腕そのものを斬り落としてしまう。人は手足を斬り落とされれば、ショック死か手当てしなければ失血死する。
人を殺してしまうかもしれない。その事が大きな枷になった。
「クロリス、攻撃するな! 援護に回れ!」
私の様子がおかしいことにシグルズが気づいて指示を飛ばす。シグルズと斬り結んでいた男がにやりと笑った。赤毛で背の高いシグルズと同じ位の体格のいい男だ。太い眉の下から覗く黒い目が、ぎらぎらと私を睨め付けた。
「クロリス。なるほど、お前が勇者か」
「ちっ。狙いは勇者か」
しまったという顔のシグルズが大剣を男に振り下ろす。男が大剣を避けたにも拘わらず剣撃の余波で血飛沫が上がり、地面が抉れた。
「はっ! 人間のわりに物騒な奴だな!」
感嘆の声を上げる男の腕はズタズタに裂けていたが、しゅうしゅうと音を立てて再生しつつあった。
「お前のその回復力、魔族か!」
「ご名答」
言葉を交わしながら、互いに剣を振るう。男の剣がシグルズの剣と噛み合った。重そうな金属音が響いた瞬間、二人の周囲の木々が衝撃で揺れた。
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