第24話 真の魔王

 魔族の領土は人間の領土に比べると、極端に少ない。 人間の多くは、魔族の国は一つで、魔王は一人だと思っているみたいだけど、実際はその少ない領土の中に小さな国が三つ寄せ集まっている。僕が父から継いだのは、そんな小さな国の一つだった。

 分厚い本のページをめくる。本には、人間と魔族は過去に様々な理由で戦ってきたとある。


 ある時は魔族が覇権を握ろうとして。

 ある時は人間が魔族を悪として滅ぼそうと。

 ある時は魔族が貧困に喘いで。

 ある時は人間が燃料たる魔石を得るため。


 人間と魔族は、時に戦い憎しみ合い、時に和平を結び、時に蹂躙し、を、繰り返してきたのだと歴史書は語る。


「此度の戦争の原因は分かりますか」

「闇化病、だよね」

「その通り。魔族に広がりつつある闇化病。体の一部が黒く変色し、次第に広がっていく病です。初期は変色だけですが、進行すると理性が失われます」


 最初はほんの少し、生き物を殺したい衝動に襲われるだけ。次第に衝動は強くなり、変色が体の半分を超えると、何かを殺さなければいられなくなる。

 この病気の恐ろしさは、よく知っている。母はこの病気で死んだのだから。

 思い出すだけで心が震える、母の最期。優しかった母が別人みたいだった。

 最初はほんのすこし、指先が黒くなっただけで、その時の母は、何の変わりもないように見えた。指先から指が、指から手のひらと少しずつ広がって、足先やお腹にも黒い染みが出来た。黒い部分が増えると、母は時々怖い目をするようになった。その内庭先の小鳥を殺したりするようになって、僕とサイは自由に母と会えなくなった。母に会える回数も時間も、少しずつ少なくなって、遂にあの日。

 そっと自分の喉を押さえる。指先が震えた。


「この病は何としても、根絶しなければ魔族の将来はありません。治す方法はご存知ですね?」


 こくりと僕は頷いた。


「光魔法での浄化だけ。だけど僕たち魔族には使えない」


 闇の神デュロスを信仰し、使える魔法も闇属性に傾く魔族には、光魔法の適性がない。


「治療には人間の協力がいる。でも人間たちは魔族を助けるつもりはない」


 僕の父、先代の魔王は闇化病の治療の協力を求めるため、他の魔王と話し合い、人間と和平を結ぶことを選んだ。それもただの和平じゃない。和平という名の全面降伏。だけど父を待っていたのは人間の裏切りだった。三魔国の代表として最低限の従者と共に聖国へ旅立った父は、そのまま帰らぬ人となった。

 魔族は怒り、戦争は激化した。

 三魔国は聖国の北西の端に突き出した半島にある。その半島の根元、魔国と聖国の国境で今も激しい戦争が行われている。それが今回の人魔戦争だった。


「その通り。人間は魔族を助けません。ならば力ずくで協力を得るのみ」


 バドス伯父さんは、細く長い指で半島の根元を軽く叩く。


「しかしながら三魔国を合わせても、人間の小国一国ほどの領土。人間の領土は魔族の十倍以上、人口は十五倍と聞き及んでおります。同盟国の竜国と合わせても拮抗するのがやっとでしょう」


 伯父さんの薄い水色の目が僕を射抜く。鷹のように鋭いこの目が僕は苦手だった。


「しかし、今の我々にはカイ様がいらっしゃる」


 剣に選ばれた魔王は特別だ。真の魔王。真に魔族を束ねる王であり、魔族存続の鍵を握る存在でもある。


「勇者に魔王が勝てば、魔族の勝利。その為にカイ様には、強くなって頂かねばなりません」


 バドス伯父さんは様々な事を教えてくれる。世界の情勢、政治、地理や歴史、戦術、読み書き計算、礼儀作法、王としての立ち居振舞い。戦闘と魔法だけは苦手で、他の人が担当してくれている。毎日、目が回りそうで、教わったことを覚えるのに僕は必死だ。


「幸い戦闘と魔法に関しては、カイ様は天才であらせられる。次は実戦です」


 実戦と聞いて、胸がどくどくと波打った。幾度とやった模擬戦じゃなくて、実戦。


「人間と戦うの?」

「御意。ただし万一の事があってはなりません。適当な人間を幾人か捕まえて参りましょう」

「そんな! その人が可哀想だよ」

「可哀想? これは戦争なのですよ、カイ様」


 伯父さんのいつも以上に冷たい声が、僕を凍らせる。


「人間が闇化病の治療へ協力を拒否する限り、武力行使しかないのです。戦いは必然。戦になれば何百、何千、何万人という人間を我々は殺すのです。いえ、既に戦いは始まり我々は何百と人間を殺している。よいか、カイ」


 部屋は寒くないのに、僕は震えた。指先がやけに冷たい。


「王とは民の命を背負う者。常に国と民を守れ! 最小の犠牲で最大の命を救え! その為に己が手を汚すことを躊躇うな! 無血の玉座は有り得ぬ。覚悟せよ! 王の采配に何万、何億の民の未来がかかると知れぃ!」


 普段は能面のように表情のない人が、拳を握り、目を爛々と輝かせ、歯を剥き出し唸るように王の心得を述べた。

 怖い。恐ろしくて堪らない。罪人を裁く地獄の番人だって、きっとこんなに恐ろしい顔はしていないだろう。

 伯父さんは剣を持って戦う戦士ではないけれど、策士として戦場を幾度も経験している。剣術の先生も言っていた。


『私は戦場で何百という敵を斬り伏せますが、あの方は何万という敵を指示一つで屠るのです。あの方に武力は無くとも、戦場であの方より恐ろしい存在は居ない』


 本当にその通りだ。僕と伯父さんは今机に向かい合わせに座り、本とノートを広げペンを手にしているというのに、喉元に剣を突き付けられている気分だった。

 青くなって震える僕を見て、伯父さんの激情は消えた。


「実戦は明日から始めます。本日の座学は早めに切り上げますので、明日に向けて剣術の鍛練をしっかりなされますよう」


 感情の籠らない静かな声に戻り、一礼して扉に向かった。扉の取手に伯父さんの手がかかったその時。


「どうして僕なんだろう」


 ポツリと漏らした僕の小さな声は、伯父さんに届いていたらしい。伯父さんは扉の前で立ち止まり、肩越しに僕へ視線を寄越した。


「何故お前なのか。それは私もずっと思っているよ」


 僕が魔王になる前の伯父さん本来の口調で同意してから、直ぐにまた丁寧に腰を折って部屋を出て行った。

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