第16話 キマイラとの攻防

 気配に向かって進む。腰の剣に手をやると、するりと勝手に手の中に収まった。馴染んだ感覚が気持ちを少し落ち着かせてくれた。一歩、二歩と気配の主に近付くが。


「!」


 先制は、キマイラの炎だった。私は形振り構わず横の茂みに突っ込んで回避する。木々を燃やし、岩を赤く変えた炎が空気を灼熱に変えると同時に、キマイラが岩影から躍り出た。

 キマイラの姿はシグルズから聞いていた通り。獅子の頭に山羊の体、尾が蛇だ。獅子の目は、普通の獅子よりも血走りでおどろおどろしい。山羊の体は並の山羊よりも筋肉の付きかたが異常で、あれで蹴られればそれだけで死にそう。蛇の尾は、私の太股より太く深い緑色で、ぬらぬらと光っている。先ほどの炎の名残か、口から煙が漂っていた。

 怖い。気持ち悪い。そしてでかい。四つん這いで私の背よりも頭二つくらい分大きい。立ち上がればもっと大きいだろうけど、怯んでいる場合じゃない。私は茂みから飛び出し、キマイラの胴を目掛けて剣を振り下ろしたが、避けられた。

 キマイラは斜め横に跳んで岩肌を蹴ると、方向を変えて私に突っ込んできた。獅子の頭が私に牙を突き立てようと迫る。避けろ! 左足を支点にくるりと体を回転させ、キマイラの牙を避けると、その勢いを利用して剣を横へ払った。


「ガアアルルゥアァ」


 獅子の咆哮と、肉を斬ったなんとも言えない感触。血飛沫が散りかかる。私の剣はキマイラの横腹をそれなりの深さで切り裂いた。畳み掛けようと剣を振りかぶったところへ、キマイラの尾である蛇が、しなって噛みつきに来た。


「クロリス様っ!」


 切羽詰まったメイちゃんの声。ごめん、今答える余裕ないや。あれ確か毒牙じゃなかったっけ? やばい。剣を振り下ろしても間に合いそうにない。諦めて回避? 駄目だ。綺麗には無理。尻餅でも着けばいけるけど、後が困る。なら、どうする? 払え。それなら最小の動きで済む。

 一瞬で様々な思考を巡らせ、身体を反応させる。振り下ろす剣の軌道を変えて、蛇の頭を払った。こちらは大した感触もなく斬れて、蛇の頭が落ちる。代わりに残った尾が暴れてのたくった。


「痛ったっ!」


 頭を失い滅茶苦茶に暴れまわる尾が、鞭のように私をぶつ。堪らず後ろに下がったのが功を奏した。先程まで私がいた場所を、キマイラ本体の顎が噛み砕いた。全ての攻防がギリギリで、動きに思考が追い付かない。

 魔法を使いたいけど、キマイラの攻撃を避けながらなんて無理。魔力を練っている暇なんてない。練れたとしても制御に失敗して、暴発して自爆がオチだ。剣で戦いながら無意識に魔法を使えるくらいでないと実戦では使えない。ああ、最初の先制に魔法使っておけば良かった。後の祭りだ。


 私を食い千切り損ねたキマイラは、岩を蹴って方向を変える。右に左に、上に下に目まぐるしい。山羊の俊敏さを活かした方向転換は反則だ。こっちは木が邪魔やら足場が悪いやらで、身動き取りにくいっていうのに。

 岩を蹴ったキマイラが右横から突っ込んできた。木が邪魔で反対側に避けられない。私は左手で側の木の幹を掴み、それを支点に身体を回転させる。轟音。突っ込んできたキマイラが、木を薙ぎ倒した。


 肌が泡立ち、冷や汗が伝う。一歩間違えば、ああなるのか、私。

 しっかりしろ。派手に突っ込んだ今なら、抜け出すのに時間がかかるはず。魔法を使うなら今だ。自分の魔力を糸のように練り上げて、模様を描く。針に糸を通すような繊細な作業。失敗すれば体の一部がズタズタになる。

 倒れた木から身を起こしたキマイラが、私に向かって大きく口を開けた。一瞬後に、視界が真っ赤に染まった。炎のブレスだ。それが草や木々を焼き、私を黒焦げにする直前。魔法が完成した。


「疾風!」


 短い呪文がマナを事象として具現化させる。足に力を込めて、地面を蹴った。私の体は人の跳躍力を超えて、軽々と空中を舞う。風魔法を自分の体にかけ、身軽にしたのだ。

 火炎を避けた私は、地面に降りてすぐにまた跳躍する。魔法で得た身軽さを生かし、地面、岩、木の幹を蹴って激しく動きながらキマイラの隙を探るけど、見つからない。

 だったら、作ってやる。

 わざと足を止める。それを隙とみなしたキマイラが、炎を吐くために口を開けた。


「っらああああっ!」


 その大口目掛けて、私は渾身の力で剣を突き出した。キマイラの口から、吐き損ねた灼熱が私の腕を焼くけど無視。


「ぐぶるぅぅガうルぅ」


 くぐもったうなり声を上げてキマイラが暴れる。負けるか。気張れ、私!


 キマイラが頭を跳ね上げ、私の体が宙に浮く。一瞬の浮遊感の後、今度は落下。岩が迫る。叩きつけられないよう、私は岩に足裏を着けて踏ん張った。狂ったようにばたつく山羊の前肢が、私の腕や肩を蹴る。痛いし、衝撃で剣から手を離しそうになるけど、耐える。致命傷になってしまう腹部や頭だけは、蹴られないように左腕をかざして守った。

 やがて暴れるキマイラの力が弱まっていく。びくりびくりと痙攣が始まり、ぐったりと力が抜けるまで、私は剣から手を離さなかった。

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