第9話 夢の中の少年

 誰かが泣いている。声変わりをしていない、高い少年の声だ。誰の声だろう。


 辺りを見渡す。光と闇が溶け合ったような灰色の茫洋とした場所。空も大地もない。壁も床さえ見えない。見渡す限り何もない灰色の空間だ。あれ、おかしいな。いつも通りにベッドに入ったのに。ここは何処だろう。覚えのない光景に私は首をかしげる。そんな何もない場所に、泣き声だけが響いている。押し殺すようにすすり泣く声は、私の心を掻きむしる。


「どうしたの?」


 堪らなくなって、見えない泣き声の主に声をかけた途端、泣き声の主がすうっと現れた。

 黒髪に赤い瞳。十歳くらいのまだあどけなさの残る少年だ。彼は涙に濡れた目を驚きに見開き、私をじっと見つめた。可愛い。


「お姉さんは誰?」

「私? 私はクロリス・カラナよ。貴方は?」


 膝を抱えて座り込んでいる彼に合わせ、私も膝を着いた。膝を着けたってことは、見えないだけで地面はあるのね。


「僕はカイ・シュターロ。ここはどこ?」

「カイくんっていうのね。お姉さんもここがどこだか分からないから、その質問には答えられないなあ。ん~、でも確かベッドで寝ていたはずだから、夢の中かな?」

「僕もそうだよ。じゃあ、これは夢なんだね」


 夢だと言ってからカイくんは、何故だかほっとしたような顔をした。


「どうして泣いていたの?」

「ええと、父さんと母さんが死んじゃって、その、悲しくて泣いてしまって」


 カイくんはぐいっと袖で涙を拭い、ぎゅっと膝を抱く腕に力を込めて、俯いてしまった。唇が白くなるほど噛み締めている。


「お父さんとお母さんが? ごめんね、辛いこと聞いちゃって」


 私は悪いことを聞いてしまったと謝ったけど、カイくんの様子に違和感を覚える。カイくんは何度も瞬きをして、涙を乾かそうとしている。もしかして、泣くのを我慢しているのかな。なんだか、とても痛々しい。

 少し迷ったけど、彼の頭を撫でた。カイくんはびくりと体を震わせて、私の顔を見た。赤い瞳が潤んだけど、震える唇はぐっと引き結ばれたままだ。


「カイくん、これは夢だよ。夢でくらい、思いっきり泣いてもいいんじゃないかな」


ね? と笑いかけてまた頭を撫でる。しばらく撫で続けている内に、カイくんの目に少しずつ涙が溜まって、やがて盛り上がり、溢れ落ちた。


「うう、ふっ」


カイくんの顔がくしゃりと歪む。私は彼を引き寄せ、抱き締めた。


「うううぅ、うわああああっ」

「うんうん、今までよく頑張ったね」


 私の腕の中でカイくんは、泣きながら辛かったことを吐き出した。両親が死んでしまって悲しかったこと。両親の代わりに世話をしてくれる人は、泣いていると怖い顔で怒ること。弟の為に自分がしっかりしないといけないこと。聞いていて、泣きそうになってしまった。


「そっか。辛かったね。よく頑張ったね。偉かったね」


 ほんの少しでも、彼の気が晴れますように。明日頑張れる力になりますように。

 そう願って、私は全身を瘧のように震わせて泣くカイくんの頭と背中を撫でる。いつまでも、いつまでも撫で続けた。


****


「……クロリス様、クロリス様」


 私の名前を呼ぶ声と、肩を揺さぶられる感覚に意識が引っ張り上げられる。


「ほえ?」


 寝ぼけている私は間抜けな声を出して、ふかふかの布団から身を起こした。

 すっかりお馴染みになった、大きなベッドに広すぎる部屋。窓からは朝の白い光が差し込んでいる。あの灰色の空間なんかじゃないし、カイくんもいない。いるのはメイちゃんだけ。やっぱりあれは夢? 夢にしては、やけにはっきりしていたけど。


 子供特有の高い体温と、撫でていた柔らかい髪の毛や、小さな背中。私の服を濡らす涙の温かさ。そんなことまではっきりと思い出せる。

 夢の中のカイくんは可愛くてほっとけなかった。しかし、あんな可愛い子と会ったことなんてない。会ったことのない人が、夢の中に出てくるものだろうか? うーん。


「いつも私が起こしに来る前に起きておられるのに。どこか体の調子でも悪いとかじゃないですよね。大丈夫ですか、クロリス様」


 ぼーっとしていると、メイちゃんが心配そうに覗きこんできた。


「ごめん、ごめん。なんか変な夢を見ちゃって寝過ごしただけ。それよりもメイちゃん」


 夢の中の出来事は気になる。気になるけど、考えたって仕方ない。

 心配するメイちゃんに私はにっこり笑って言った。


「お腹空いた。今日の朝ご飯は何?」


 そんな私にメイちゃんは安堵したらしく、「それでこそクロリス様です」と微笑んだ。




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