第7話 理不尽を飲み込んで

 目を開けると、ぼんやりとした天井が見えた。体を包むのは柔らかくて肌触りのいい寝具の感触。自宅のベッドとは大違いだなぁ。


「クロリス様!」


 ベッド脇の椅子に腰かけたメイちゃんが丸い大きな目を潤ませて、私の顔を覗きこむ。


「ご気分は? 頭は痛くありませんか」


 メイちゃんは心配そうに私の額に手を当て、頬を擦り、それから手を握った。


「頭はちょっとだけ痛いけど、平気。気分は悪くないかな」


 ベッドの上に半身を起こすと、視界がぐらりと揺れた。目頭を押さえた私の背中にメイちゃんの手が回る。


「魔力切れで倒れられたのです。訓練は終わりですから、今日はゆっくり休まれるようにと。何か食べられますか?」


 手の隙間からちらりと見た窓の外は、夕焼けの赤と夜の帳の紺色が同居していた。

 ああ、そういえば豪華な晩御飯、楽しみにしていたんだった。


「ごめん、食欲ないや」


 私は力なく首を横に振った。メイちゃんの眉尻が下がる。小さな桜色の唇を開きかけ、また閉じた。彼女に心配をかけているのが申し訳ない。動くと目眩がするから、お風呂を断念してタオルで体を拭いた。背中だけ手伝ってもらう。それから直ぐに横になった。


「それではクロリス様、お休みなさいませ」

「うん、ありがとうね、メイちゃん。お休みなさい」


 お辞儀をして退出するメイちゃんに手を上げた。パタリとドアが閉じて、軽い足音が遠ざかってしんと静まる。少しの間耳を澄ませていたけど、何の音も聞こえない。周りには誰もいない。それを確認してから、私は枕に突っ伏した。


「ううぅぅぅっ」


 くぐもった嗚咽が洩れる。破れるんじゃないかってくらいの力で枕を握りしめた。


 翌日。目が覚めたのは、まだ薄暗い夜明け。枕に突っ伏して泣いて、そのまま眠ってしまったらしい。目が重たくて皮膚に引きつったような感覚がある。まずいなあ。瞼が腫れているかも。顔を洗っておかないと、メイちゃんに心配かけてしまう。私はベッドから降りようとした。が。


「痛だだだだだっ!」


 なにこれ。超痛い。

 私は全身筋肉痛に悶えた。痛いなんてもんじゃない。身体中の筋肉がぶちぶちとぶった切られている感じ。筋肉痛ってこんなだっけ。レベルが違うよ。ちょっと動かすだけで激痛。いや、じっとしていても痛いかも。無理、無理、これ起きられない。

 動けないでいると、こんこん、と控えめなノックの音が響いた。メイちゃんだ。


「おはようございます、クロリス様。起きてらっしゃいますか」


 遠慮がちにメイちゃんが顔を覗かせた。ああ、メイちゃんが天使に見える。


「メイちゃぁぁぁん、助けてーっ」


 私はベッドの上から動けないまま、情けない声でメイちゃんに助けを求めた。


「はあ~、極楽~」


 数分後。ベッドにうつ伏せになった私は、メイちゃんの回復魔法を受けていた。じんわりと温かくて気持ちいい。

 メイちゃんはほんの少しだけ回復魔法の素質があって、今勉強中なんだって。といっても、まだ擦り傷とか軽い打撲や筋肉痛を直す程度で、怪我などは治せないとか。


「本当は昨日もかけて差し上げたかったのですが、シグルズ様が筋肉痛にならないまま回復魔法をかけてしまうと、筋力がつかないから駄目だと」


 成る程ね。手足に力を入れてみると、難なく起き上がれた。頭痛と目眩はない。まだほんの少し筋肉痛が残っているけれど、これくらいなら問題ない。

 こうして、私の勇者二日目が始まった。


 毎度おなじみ、午後からは魔法の訓練。フィンさんとフーリエさんが入ってきた。


「こんにちは。今日もよろしくね」


 美しい顔に今日も完璧な笑顔のフィンさん。この笑顔が曲者なのは体験済みだから、ちっともときめかない。


「こんにちはぁ。今日はあんまり怪我しないようにねぇ」


フーリエさんは組んだ腕の上に大きな胸を乗っけて、メイちゃんの用意した椅子に長い足を組んで座っている。


「あははは、したくてしているわけじゃないんですけど」


 私はフーリエさんに愛想笑いしてから、フィンさんに向き直った。

 よっしゃ。ばっちこーい!

 気合いを入れ直す。なにせ魔法は精神に左右される。技術半分、魔力四分の一、残りは気合いだ。


「ここ一週間で火・水・風・土・雷・光・闇の初歩魔法は全て成功した。ただし、今のままではとても実戦では使えない。これからは練度と速度を徹底的に上げよう」


 フィンさんが手をかざしながら小さく呪文を唱えると、手のひらの上に火が点る。一番最初に見せてくれた魔法だ。


 魔法をかじった今だからこそ分かる。フィンさんの魔法は本当に凄い。一瞬で編み上がり、形になった魔力は流石としか言いようがない。そこから呪文を唱え、マナを具現化して最後に消すまでの動作に淀みがないんだよね。私が同じことをしようと思うと、倍以上の時間がかかるもの。しかも成功率は低いんだよねぇ。うし! とにかくやるしかない。

 私は魔法を行使すべく、手のひらに魔力を集めた。

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