第4話 厳しいのは意地悪じゃない

 朝御飯を食べてから、訓練場に向かう。といっても正規の騎士たちが使う訓練場ではなくて、私専用の訓練場らしい。


「失礼します」


 こんこんとノックして扉を開けると、既に教官らしき人が待っていた。


「初心者ですが、よろしくお願いしま……って」


 これからお世話になる人に、丁寧に挨拶しかけて私は動きを止めた。


「あんたさっきの!」


 そう。待っていた教官は、中庭で会ったばかりの態度の悪い男だった。


「俺はシグルズ・ライド。今日からお前の鍛練を担当する」


 男……シグルズは私の叫びを無視して名乗った。


「く、クロリス・カラナです。よろしくお願いします」


 私は慌てて頭を下げた。どんな人だろうとこれから教わるのだ。きっちり挨拶しないと。シグルズはじろりと一瞥だけして木剣を一つ、黙って私に差し出した。感じ悪い。私は口をへの字に曲げて受けとった。


「構えてみろ」


 言われた通りに構えてみるけど、木剣なんて生まれて初めて持った。これで合っているんだろうか。


「足は肩幅に開け。肩に力は入れるな。切っ先は相手へ真っ直ぐ」


 シグルズが木剣で突いて私の姿勢を直す。


「よし、そのまま振れ」


 そのままってどうやるんだろう。ちょっと迷いながら振り上げて、下ろす。


「駄目だ。ぶれた」


 もう一度、振る。


「駄目だ」


 もう一度。

 何度も何度も繰り返す。ただひたすらに、振り上げて、下ろす。シグルズは一言、「駄目」か、時々「よし」とだけ口にする。それを延々と繰り返した。汗が流れて目に染みる。髪もシャツも体に貼りついて気持ち悪い。腕は自分のものでは無いんじゃないかっていうくらいに重い。

 私は黙々と、ただひたすら木剣を振り続けた。時折短い休憩が入り、メイちゃんが飲み物を飲ませてくれて、タオルで体を拭いてくれる。最初の頃こそ自分でやっていたけど、もう腕が震えてコップも持てない。


「休憩は終わりだ」


 シグルズの無感動な声を合図に立ち上がる。足がもつれてよろめいた。情けない。歯を食い縛って、震える手で木剣を振り上げる。振り下ろす。


「今日はここまで」


 終始変わらない不愛想な低い声を聞いた途端に、私は床に倒れ込んだ。


「クロリス様!」


 慌てて駆け寄ったメイちゃんが、冷たいタオルを私の体に当ててくれる。気持ちいい。もうやだ。起き上がれない。もうちょっと寝転がっていよう。


「午後からは、魔法の訓練だ。一時間後に魔法使いの講師が来る」


 それだけ告げて、シグルズがさっさと部屋を出て行った。

 そっかあ。午後から魔法の訓練ってことは、今お昼休憩か。あー、豪華なお昼御飯食べたかったなあ。今は喉を通る気がしないなあ。そんな暢気なことを考えていると、メイちゃんが私の手を拭ってくれた。皮が剥けて血が滲んでいる。痛い。


「あはは、情けないなあ。たかが半日、木剣振っていただけなのにね」

「こんなの、酷いです。シグルズ様は意地悪です。クロリス様は昨日までただの女の子だったのに。クロリス様が女だからって、凄い英雄でも何でもないからって、こんな酷い仕打ちを」

「それは違うんじゃないかなあ」


 私は手を拭ってもらいながら、メイちゃんの言葉を遮った。


「シグルズのあの態度は確かに腹立つよ。中庭では小娘呼ばわりだし、人がよろしくって挨拶しているのに、自分は一言もないし」


 うんうん、あれはいけない。


「でも、訓練が厳しいのは意地悪じゃないよ。私が女だから、英雄でも何でもない素人だから、余計厳しくしなきゃいけないんだよ」


 メイちゃんの丸っこい目がさらに丸くなるのを横目に、私はうつ伏せの姿勢から、ごろりと仰向けになった。うん、転がれるくらいには回復した。


「半日木剣を振ったってさあ、ぶっ倒れてもさあ、死なないもの。でも戦場に出たら死ぬんだよ。シグルズはきっと、その事をよく知っているんだよ」


 シグルズの事は何にも分かんないけど、これはわかる。あの人は何時間も、ド素人の私に真剣に付き合ってくれた。竜殺しの彼が、木剣一つ満足に振れない勇者に。

 じっと私を見る彼女に笑ってみせる。


「だからシグルズは意地悪じゃないよ。心配してくれてありがとね、メイちゃん」

「……クロリス様」


 ちょっとだけ泣きそうな顔をしてから、メイちゃんが笑った。


「分かりました。応援していますから、頑張って下さいね」

「任せて」


 メイちゃんの「頑張って」が何よりも私の燃料だよ。

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