第5話 冷たい海に棲むさかな

 美沙(みさ)の父親は、街の市場で仕入れてきた鮮魚や干物を村の家々に売り歩く、行商(ぎょうしょう)をしていた。

魚を詰めた木箱の上に大きな氷の塊を置き、それを二重にした段ボールの箱に入れるだけいう、原始的なやり方で鮮魚を運んでいた。溶けた氷からしずくが垂れ、生臭い水が段ボールからしみ出してくる。

そのため、市場からの帰りのバスや列車の中で、乗客から迷惑がられ、乗務員からも注意される。軽トラックなどを買う余裕がないのだから、何を言われても頭を下げ続けるしかない。


家にも冷蔵庫などない。父親は、早朝に仕入れてきた魚を自転車に乗せて日暮れまで売り歩く。売れ残りは内臓を出して、塩漬けや干物にして翌日売り歩く。

現代からみたら、食中毒が心配になるが、太平洋戦争の後でも、山奥の村では、まだ、このような行商が行われていた。

川で獲れるアユやウナギなどは季節が限られ、農作業が忙しい人たちは釣りに時間を割くことなどできない。

村には魚を売る店はなかったので、山奥の家まで売りに来てくれる行商人の仕事も、細々とではあるが、成り立っていた。


 美沙の母親も、売れ残りの魚を塩浸けや干物にして、近場のお得意さんの家に、徒歩で届けていた。

小学生だった美沙は、母親の帰りを待ちながら、お母さんが戻ってこなかったらどうしようと心配していた。

父親は、機嫌が悪くなると大声で怒鳴るので、留守のほうがよかった。


美沙の母親は、夫がささいなことで怒りだすので、なるべく、口をきかないようにしていた。針仕事が得意だったので、知り合いの着物を縫って、お礼に米や卵、野菜などを受け取っていた。農村では、秋になって米が売れるまでは、まとまった現金収入はなかった。

母親は、お礼を受け取れないような貧しい暮らしぶりの人から受けた、お直し(おなおし)の仕事でも、新品を縫う時と同じように、喜んで仕上げていた。

お直しとは、まず、着古した着物を丁寧にほどき、その布を手洗いし、専用の長い張り板にシワを伸ばして貼り付けて乾かす。こうすると、古い着物は、衿(えり)、袖(そで)前後の身ごろ、という何枚かの布地に戻るので、それをもとの着物に縫い直す。布がすりきれて弱った部分は、目立たないように工夫して、補強する。

お直しは手間のかかる作業だが、美沙の母親は、丁寧に仕事をしていた。『好きでやっていることだから。手を動かしていると気持ちがなごむの』と、静かにほほえんでいた。美沙の母親は、針を持つことが芯から好きだった。


ある年の冬場に、行商に出た父親が何日か戻らない日があった。

すぐに怒鳴る父親がいなくて家の中が静かなのが、美沙には嬉しかった。いっそ、もう、帰ってこなければいいのに。

美沙の家には電話がないので、電報が来るのを待つしかない。

母親は、いつものように、静かに針仕事をしていた。


数日後、父親は、頭に包帯を巻き、壊れた自転車を押して帰ってきた。雪が降り、凍りついた山道で滑り、自転車ごと谷に落ちた。運良く通りかかった人がいて、病院に運ばれ、助かったということだった。林業をする人が、山の見回りに来ていたのが幸いしたのだ。


その事故で頭を打ったせいか、父親はさらに怒りっぽくなり、家の空気は重くなるばかりだった。

それでも、美沙より十歳も年上の姉が家計を助けてくれていたおかげで、美沙は飢えることもなく、無事中学校を卒業することができた。


 美沙の姉は、小学校の教師をしていた。晴れやかな顔立ちで、声も良く、よく笑う人だった。

盆踊りの季節になると、三日間、徹夜で踊った。朝帰りして、汗まみれになった浴衣を手洗いし、糊をつけて、庭の竹竿に干し、手で叩いてシワを伸ばす。夕方には、乾いてぱりっとした干物のような浴衣が仕上がる。夕食後は、また、踊りに行く。

美沙も踊りに行ってみると、姉は月明かりの下でゆらめく影のようだった。姉のそばには、もう一人、背の互い人影が見えた。


 美沙の姉が誰かと逃げたという噂は、たちまち、村中に広がった。相手は、盆踊りに来ていた街の男だろうということだった。


姉の援助がなくなったので、美沙は高校には進学できず、街に出た。親戚の家が定食屋をしていたので、住み込みで店の手伝いをすることになったのだ。

店主は、「戦争になる前のことだけど、美沙ちゃんのお父さんは、腕のいい板前さんだった」と話してくれた。

美沙には初耳である。

店主は、「あの人は魚が好きだから、今でも慣れない行商をして、苦労してるんだろ。癇癪(かんしゃく)を起すのも神経が細いからだよ。包丁の腕はいいのに、おしいなぁ」と、顔を曇らせながら話を続けた。

「お父さんが働いていた料理屋も戦災で焼けちゃって、再建のめども立たず、従業員は疎開先で別の仕事を見つけて生き延びるしかなかったんだよ」

美沙は終戦直前の生まれなので、戦争の記憶はなかった。

「田舎に疎開(そかい)して苦労したということは、母から聞いています」

「ん。戦後のどさくさに紛れて、うまく立ち回って金儲けした人もあるし、世の中いろいろでね」

「はい」

「戦争を始めた軍部や政治家が悪いとか、戦争を美化してあおった新聞の責任だとか、たいていの人は、自分は被害者だと言うんだけどねぇ」

「はい。父も、自分は貧乏くじを引いたのだと言っていました」

「ん……だけどさ、いつのまにか、みんなで、勢い込んで戦争して、負けちゃったんだから、被害者だとか加害者だとか、分けられない気もするんだよ」

「そうですか……」

「どこかで立ち止まらなきゃいけなかったんだろうけど、流されちゃったんだよねぇ。俺も」

「はい」

「ひどい負け方して、敗戦後は、毎日、食料を手に入れるために走り回ったもんだ。それでも、とにかく、なんとか生き延びてきたんだからさ、元気出そうよ。食い物屋は強いからね。葬式の日だって、飯は食うんだから」


 美沙は、掃除や洗い場の仕事をしながら、商売のコツを学んだ。定食屋なので凝った料理は出さないが、店主は、なじみの客の好みを心得ていて、サービスにつける小鉢が常連客の心をつかんでいた。

黙っていても、自分の好きなものが一品出てくると、客は喜ぶのだということを、美沙は肝に銘じた。

『好き』が一番。

父親も、魚が好きだから、商売は下手でも魚を売り歩いている。

母親も、針仕事が好きだから、気難しい夫とも、なんとか暮らしていける。

姉も、男と逃げた勝手な人だと反感を持っていたけれど、きっと大好きな人と暮らしているのだろう。


 美沙が好きなものは、お刺身である。

父親は、村に結婚式があると、注文を取り、上機嫌で仕入れに行った。帰ると、宴席に出される刺身の盛り合わせやタイの塩焼きなどを、いそいそと用意する。美しいお造りにした魚の残りの切れ端は、家族が大喜びでいただく。

結婚式で料理の腕前を褒められ、ご祝儀ももらって上機嫌で帰宅した父親は、故郷の漁村の話をする。

『冷たい海で獲れる魚は、身がしまっていて、味は天下一品。だけど、人の手に触れただけで火傷(やけど)するんだぞ。だから漁師は、釣り糸を上手にたぐって、針を抜くときも、手で魚にさわらないように、細かく神経を使うんだ』


子どもの頃は、すぐに怒鳴る父親が怖かった。

成長した美沙は、父親も鮮魚のように傷つきやすいから、癇癪をおこすのだろう、かわいそうな人なのかもしれないと思えるようになった。

でも、繊細な神経を持つ人の周りの者も、傷ついている。

被害者も加害者になるということを、父は知らないのだろう。


*    *     *


店主が言うように、敗戦後、生き延びることができた美沙は幸運だった。都会では、餓死した子どもたちもいたと聞いている。


美沙は、定食屋で10年近く働いた。

その後、知人に紹介された板前さんと結婚して、小さな和食の店を持った。定食屋で学んだこと、『個々のお客さんの好きな物、好きな味付け』を覚えて、小鉢をサービスでつけることも実行した。


夫の一番好きなところは、無口で静かなことである。

父親の癇癪については、理解したつもりだった。

それでも、長年、共に暮らしていく人は、やはり、おだやかな人がいいと、美沙はおもっている。     










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