第7話 酒と路地裏
試合の直後。
フリードを伴いサミュエルは人気の無い路地裏を探し歩いていた。
大男から受けた傷は徐々に止まりかけてはいたものの、相変わらず出血している。
すると、都合良く人通りが無く、かつ日差しが差している路地裏を探し当てた。
慎重に周囲の様子を確認しながら、早足で路地裏へと入る。
荷物と武器を置き、盾を裏返した。
長年使い込んで傷だらけのその盾の裏側は、鏡面になるまで磨き込んであった。
戦場で仲間への合図と自身の身支度に使用するためである。
鏡代わりの盾の前にしゃがむと、傍らの荷物から針と糸を探し出す。
怪我をした飼い主が心配なのだろう、フリードは口を閉じて高い声で小さく鳴きながら手当の準備をするサミュエルを見つめる。
「・・・大丈夫じゃフリード、ほら、手伝ってくれ。」
兜を取り傍らに置くと微笑みながらフリードと目線を合わせ、自身の顔を指さすサミュエル。
飼い主の意図を察したフリードは、血で染まったサミュエルの顔面を一生懸命に舐め始める。
時折、乾いた綺麗な布で傷口を拭きながら、完全に血が止まるまでサミュエルはフリードに舐めさせた。
(よし、こんなものじゃろうて。)
血が止まりつつある事を確認すると、荷物の中から強い酒と軟膏を取りだし傷口に塗りたくった。
小さくうめき声を上げたサミュエルだったが、治療の手は止めない。
そして、鏡面になるまで磨いてあった盾の裏側を鏡にし、ザクザクと傷口を縫合した。
戦場と妻、その両方の手ほどきで身につけた技術である。
その後やや大げさに包帯を巻いた。
変装の一環も兼ねる為である。
すっかり治療が完了した事を盾の裏側を使って確認すると、荷物を仕舞い兜を再び被って、路地裏をフリードと共にあとにした。
一息つくために宿屋を探し歩くサミュエルとフリード。
この町は観光業も盛んな事も手伝ってか、すぐに見つける事ができた。
ウィンストの観光名所と言えば、自らが立ち去った王宮とその周辺、そして市場である。
その事実を再確認すると再び王宮が名残惜しく感じられたサミュエルだったが、気を取り直して宿屋の扉を開いた。
どうやら一階は酒場になっているようだ。
巡回の兵士や、先行きの見えない不安を晴らすためなのか町民の姿もみえる。
皆、杯を片手になにやら語り合っている。
「・・・おい、お客さん、犬は外に繋いで待たせておいてくれ、悪いね。」
酒場の奥から禿げ上がった頭の中年がサミュエルにはっきり聞こえる声量で言った。
両手には酒で溢れそうな杯を手にしている。
その言葉を受けて、大きく頷くとサミュエルは店内を後にする。
どこにフリードをつなぎ止めておくか思案していると、都合良く石畳から飛び出した路石を見つけた。
馬を繋いでおく為の物であろう、事実、遠くにはその路石を使い何頭か馬が繋いである。
「じゃあのフリード、馬と仲良くするんじゃぞ。」
フリードを撫でたあと、地面を平手で弱く叩くサミュエル。
その動作を受けて即座にフリードは地面に、伏せ、の体勢で腹を付けた。
宿屋に戻る途中で振り返り、確かにフリードが伏せの体勢を保ったままなのを確認すると再び宿屋の扉をくぐった。
すると、店主であろう先ほどの禿げ頭の男が今度は箒をてに扉の前を掃除していた。
サミュエルの足に土埃が飛ぶ。
「おっと、悪いねお客さん。」
慌てて謝る男性をよそに、サミュエルは尋ねる。
「部屋を取りたいんじゃが・・・。」
「ん?構わないよ、一晩12ルドエンだ、どの部屋も同じ値段、同じ間取りだよ。」
箒を片手に紙束を取り出す男性。
帳簿か何かのようだ。
「・・・犬を連れて泊まっても良ければ、20払おう。」
サミュエルは懐から銀貨二枚を取り出して、男性に手渡す。
手の平の銀貨を眺めながら、うーん、と難しい表情で唸る男性。
「本当は客と家内が怒るからダメなんだけど、大人しい犬かい?」
男性の質問を受けて大きくゆっくりと頷くサミュエル。
「よし、なら良いよ、二階に上がって右角の部屋だ。」
その言葉を聞いたサミュエルは笑顔で男性に部屋の鍵を渡された。
店主の男性に会釈すると自分が泊まる部屋へと向かった。
どうやら他の部屋には非常事態宣言を敷いた事を聞きつけてか他国の兵士が泊まっているようだ。
内容が判別出来ない言語で隣の部屋から会話が聞こえてくる。
長年、他国との会議に出席した経験もありサミュエルは一部の単語のみ聞き取る事ができた。
政治・・・武器・・・援助・・・兵士達・・・
どうやらあまり盗み聞きして良い内容ではなさそうだ、と分かると急いで部屋の扉を開けた。
非常に簡素な部屋である。
人が三人寝られる程度の広さに、ベッドと机が一つずつ。
しかし、扉は丈夫で鍵がちゃんと掛けられ、壁もそこそこ厚いようだ。
それだけ確認すると、荷物と武器を静かに机に置き、鎧と兜を脱いでベッドの上に置いた。
そして財布と部屋の鍵だけ持つと、一階の酒場に向かう。
鍵を掛け部屋をあとにし、一階の酒場のカウンター席で安いビールを注文した。
さりげなく周囲を確認したが、誰もサミュエルに気がついた様子はない。
「お待ち遠さん。」
木と金具で出来たジョッキを渡すと、店主は次の仕事へと戻るためその場を後にした。
一緒に酒を飲む相手が居ないこともあり、サミュエルは周囲の会話に聞き耳を立てる事にした。
広場で行われた闘技試合の話題で酒場は盛り上がっているようだ。
それで賑わっていたのか、と納得する。
町民たち曰く、あの大男は大道芸と武芸の達人で平時は大道芸人、戦時は傭兵として活躍する武人であると。
南国出身で、腐敗した政治体制の故郷を見限り、流浪の旅に出た真の強者である、と。
兵士たちは謎の老兵の話題で持ちきりだった。
あの身のこなしと剣と体が融合した戦闘技術は、先の大戦直後に解散したある騎士団にのみ伝わるもの。
あの老兵もその一人、おそらく傭兵として名の知れた古参兵でこの度の非常事態宣言を受けて故郷に帰還したのであろう、と。
ビールを啜りながら物思いにふけっていると、すっかり出来上がった陽気な町人に声を掛けられた。
「あの時の老兵じゃないか!今すぐあの大男を連れてきてやる、彼がアンタを血眼で探しているんだぜ!」
サミュエルの肩を握ると、有無を言わさずその町人は駆け出し、宿屋を後にしてしまった。
サミュエルは大男の行動を予測してみる。
お礼参りだろうか?しかし、直感ではそのような人物には思えない。
先ほど盗み聞きした話を鑑みればなおさらだ。
その内容が事実だとすれば、だが。
しばらくして剣と荷物を持っていない大男が酒場に現れた。
明らかにウィンスト成人男性の頭ひとつ分は背が高い。
しばらく見回したのち、サミュエルに気づくとゆっくりと近づいてきた。
「ここはマズイ、場所を変えよう。」
声を潜めてサミュエルに告げる。
訛りの無い大陸西部の標準語である。
「・・・犬同伴でも構わんかね?」
サミュエルは男に提案する。
そろそろフリードも待ちくたびれているだろう。
「ええ、もちろん。」
うなずきなが言う大男。
サミュエルは即座に懐から銀貨一枚を取り出すとカウンターに置いた。
「飲み切らないのか?」
「・・・あまり美味くなくてのう。」
サミュエルの言葉を受け、納得する男。
二人は店を後にした。
すると、久しぶりの飼い主の姿を見て嬉しくなったのだろう、立ち上がったフリードが尻尾をふり、こちらを見つめている。
「ちと、すまんの、犬を連れてくる。」
大男に断りを入れるとフリードを縁石の固定から解き放った。
「付いてきてくれ。飲み直しだ、俺に奢らせてくれ。」
笑顔を浮かべて男はサミュエルに言った。
怪しい様子は無いのを確認すると、渋々サミュエルは男の後を追う。
何度か大通りを曲がると、暗い店内の飲食店の前にたどり着いた。
「完全予約制な上にここは会員制だ。」
どうやら常連客のようで、店の説明をする大男。
「安心して話ができるし、料理も酒も絶品さ。」
大男の案内で、看板の無い店の扉をくぐるサミュエル達。
広い店内には大きなテーブルがいくつかと、カウンター席があるのみ。
非常に落ち着いた雰囲気で、兵士やその辺の町民の姿は見当たらない。
大きなテーブルを二人で独占して座る。
すると、大男がさて、と切り出した。
「俺の名はエルンスト、戦争孤児のため家名は分からない。」
名乗りを受け、互いに会釈する二人。
「今日まで戦場と町を行き来して生計を立ててきた、旅に生きる剣士さ。」
「傭兵として戦場に、芸人として町に、それで合っているかの?」
質問を受けて大きく頷くエルンスト。
「さて・・・貴殿は何者であるか?」
エルンストが単刀直入に尋ねてくる。
「儂は・・・えっと、そうじゃのう。」
サミュエルが言いよどんでいると、エルンストがサミュエルを制した。
「言いづらい身の上なら名乗らなくて構わない、一度完敗した身であるので俺は詮索する立場にない。」
そして腕を組みながらエルンストは自らの見解を謎の老兵に言う。
「何十年も前に解散した、ある騎士団の古参兵だろう?」
たまたま噂を聞いたのか、自力で答えを見いだしたのかサミュエルには分からない。
しかし敵意は無さそうである、という事は判断できた。
「・・・自分と同じ身の上で傭兵として生き、この度の魔族侵略を聞き故国に帰ったのであろう?」
「図星じゃよ。」
「やはりな・・・。」
どうやら彼の肩の荷は下り、サミュエルは信用を得たようだ。
微笑みながらエルンストは、側に寄ってきたフリードを撫でる。
「先に言った通り、奢らせて貰うよ、実は犬好きでね、この犬、鹿の生肉なら食べるかい?」
どうやら話の分かる男のようだ。
「儂はサミールと申す、どうかよろしく頼むよ。」
名乗りながら手を差し出した。
「よろしく、サミール。」
エルンスト力強くサミュエルの手を握り返した。
料理到着までの間、たわいもない話から始まり、お互いの戦闘技術を褒め、そして身の上話と続いた。
すると湯気を上げる料理が運ばれて来た。
二人分のジョッキも付いてきている。
シチュー、そして焼いた肉と野菜をパンで挟んだウィンスト伝統料理。
実は肉の厚さや焼き加減、中に何を挟むか細かく注文出来る。
「さ、食べようか。」
「フリードは既に食べてしまっておる、腹が空いていたんじゃろうて。」
エルンストの足下を指さして言うサミュエル。
骨の付いた生肉の前で、直立不動のフリードが居る。
手、というより歯を付けた様子は無い。
「冗談じゃよ、躾はちゃんとしておる。」
二人は笑うと、食事を食べ始めた。
エルンストの言うとおり、ここの料理は庶民的だが、絶品だった。
王宮に置いてきた料理上手の妻、メリンダの手作りのようだった。
彼女も王妃となってからはずいぶん長い間料理をしていない。
懐かしさのあまり夢中で食べていると、しかしな、とエルンストが切り出す。
「よもや飛び入り参加の老兵に負けるとは思わなかった。」
二人は吹き出して笑ってしまった。
「そりゃあ、そうじゃろうて。」
「天狗になりかけた鼻を折っていただき痛み入る、 慢心は剣士の最大の敵だからね。」
「儂も久方ぶりの強敵と戦い血が沸き踊った、礼を言う。」
無言で二人は乾杯した。
酒を飲み干すとサミールことサミュエルはエルンストに切り出した。
酒場に居たときに練ったカバーストーリーであるが半分以上は事実のため、騙す事にはならないはず。
「儂は王の特命を受けた身でのう、王といっても、前王サミュエルの使いじゃ。」
真剣な表情で耳を傾けるエルンスト。
腕の立つ老兵が帰郷する理由は一体何なのか、どうしても知りたいようだ。
「こたびの魔物の侵攻は事実なのか、強行偵察の任務に出たばかりで腕の立つ仲間を探している。」
「・・・それで俺を相手に?」
合点がいった様子のエルンストを見て頷きながらサミュエルは続ける。
「高額の礼金を直接手渡す準備が、サミュエルにはある。」
「・・・しばらく考えたい、だが、良い返事を期待していてくれ。」
エルンストのその言葉を受けて、二人は再び握手をした。
その後、酔いが回る前に二人は店を後にしようとしたが、店を出た瞬間に町民に囲まれてしまった。
どうやら、武器や防具、道具やその他有象無象を有名人の二人に売りつけようと集まったらしい
この国と来たらこれだ、とあきれる二人。
すると。
「あんたらこっちおいで!」
褐色の若い女性が、すぐそばの路地裏から手招きしていた。
どうやら抜け道があるようだ。
一刻も早く抜け出したかったため、渋々従う二人。
しばらく路地裏を歩いていたその時である。
その女性は走り出すといきなり指笛を吹いた。
すると、屈強で武装した男8人に取り囲まれてしまった。
ある者は物乞いに扮し、ある者は近くの扉を開けて出てきた。
両脇の建物、二階と一階から思い思いの武器を手にして。
唸るフリードと、しまった、と一瞬で酔いが醒める二人。
「身ぐるみ剝いだ上で首に掛かった賞金を頂くよ! やっちまいな、お前たち!」
女性は二人と一匹に向けて叫んだ。
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