第5話 プロブレマ

「ふーん、先走った行動、ねえ?」


会議から戻ったデガータの報告を受け、魔王姫ヒルダは思案していた。

傍らの飼育籠のアルビノ蛇を見つめながら。

腹が膨れて満足したのだろう、その蛇はとぐろを巻いてぐっすり寝ているようだ。


「・・・いかがいたしましょう?」

彼女の後ろに控えるデガータは、神妙な面持ちでひっそりと尋ねる。

丈の長いローブを纏い、将校に支給されるブーツを履いている。

それ以外に露出している箇所は少なく、顔を除く素肌は隠れている。


「まあ、好きにすれば良いんじゃない?」

少しいらついたような声色で正面を見据えたまま言い放つヒルダ。

「はっ、 そのように伝えます。」

立ち去ろうとしたデガータに、ただし、とヒルダ。


すると、立ち上がりながら傍らの飼育籠を思い切り蹴飛ばした。

いきなり目を醒めさせられ、不機嫌に威嚇する蛇。

ヒルダの心情も似通ったものの様子。

「もし失敗したら、屈強なオークと鬼のフルコースが私のお腹を満たす事になるでしょう、とはっきり伝えておきなさい。」

最高権力者からの申しつけを受け、お辞儀をして立ち去るデガータ。


(やはり、早すぎた・・・?)

城の暗く、長い廊下を歩きながらデガータは思案していた。

時折、すれ違う魔王軍の兵士達は皆、立ち止まると彼女に礼をする。

彼らを全く意に介する事無く、目的地へと歩く。


そして、自室の書斎にたどり着くと、ローブを着たまま背もたれの付いた大きな椅子に腰を下ろした。


深く長いため息をついたあと、書斎の扉を見つめながら物思いにふける。

思慮深い彼女の、幼い頃からの癖である。

そして、自らの過去と照らし合わせながら彼女の様子を分析する。


母親の死から立ち直った様子のヒルダだが、実情は異なる。

今回の開戦も、実際には幼い時に亡くした母親の弔い合戦だ。

(母上様はこのような行動をお許しになるのでしょうか?ヒルダ様・・・。)

彼女は過去のある一場面へと思いを馳せる。


幼い姫君に彼女は忠誠を誓い、同時に時には姉のように、時には母親のように接してきたつもりだ。

それが母であり魔王の妃、エルザの遺言だったからである。


思えば、ヒルダを身ごもった直後にエルザが夫であり魔王のサンゲルを亡くしたのが、そもそも困窮の始まりである。

母の愛情を一身に受けて育ったヒルダは天真爛漫だが聞き分けの良い少女だった。

そして休暇の際に少数の護衛と側近のみを連れて、二人の憩いの場所であったとある城に出かけた。


しかし、人間の騎士団長、サミュエルが決死の突撃を城に決行。

近衛部隊はあっという間に壊滅。

サミュエル側も多数の死傷者を出したが、彼らは構わずに突進し続けた。

狙いは明らかに、魔王一族の抹殺であった。

ヒルダを守るため、デガータをヒルダのそばに置き、二人の隠れ場所を確保した。

すると剣を手にしたエルザ自身は、捨て身でサミュエル騎士団に挑んだ。

人間との直接戦闘は長い間していなかったものの、常に研鑽は積んでいた。

数人の騎士達を相手に必死で戦う母エルザの姿を、デガータとヒルダは隠れて見ているしかなかった。

しかし、意外な展開となった。

魔王妃エルザの技の冴えは凄まじく、次々と相手を切り捨てたのだ。

人間達の返り血を全身に浴びながら、その事を全く意に介していないようだった。

歯ぎしりしながらその様子を見守っていたサミュエルを除いて、全員がエルザに倒された。


そして、サミュエルとエルザの一騎打ちとなった。


西の大陸すべての中でも特に精強、と伝わるサミュエル騎士団の団長にして切り込み隊長、サミュエル。


幼い時から武芸に秀で、美貌ではなく実力で王妃の座を勝ち取った魔王の妃エルザ。

不思議と長い沈黙の後、お互い同時に斬りかかった。


最初から、人外の力を誇る魔王妃がサミュエルを圧倒していた。

魔王一族はエルフ達と同じく、非常に長寿である。

加えて女性とはいえ人間の成人男性以上のスタミナを誇る。

更に一流の武芸を身につけた妃に、人間の男はよく耐えた。

が、遂に剣を弾き飛ばされ尻餅をついた。

兜の奥から覗く男の表情には、 諦めと驚きが見て取れた。

妃が剣を振り下ろし、サミュエルの首に触れた次の瞬間、まばゆい閃光が走り、妃は剣を落としてしまった。

それをすかさず拾い上げると、サミュエルは妃のみぞおちに深く剣を突き立てた。

口から血を吐き出し、崩れ落ちる魔王妃を驚きと困惑、そして達観した表情で見下ろすサミュエル。

「お母様!」

制止する間もなくヒルダは隠れ場所から飛び出し、倒れる母親を目指して駆けだしてしまった。

後を追うようにデガータも慌てて駆け出すと、エルザを仰向けにし、必死で傷口を押さえた。

母親の胸で泣きじゃくるヒルダを、サミュエルは後悔と哀れみの目で見つめていた。

「いいのです、大丈夫・・・大丈夫よ。」

消えるような声でヒルダに語りかける母エルザは泣きじゃくる愛娘の頭を抱きかかえていた。

デガータも涙を堪えて必死で、エルザの深い傷口を押さえた。

すると魔王妃から奪った剣を握りしめたまま立ち去ろうとするサミュエルに、エルザは語りかけた。

「見事でした、屈強なる人間の男・・・しかし、終わりではありません、終わりは来ません、必ず人類に最後が訪れるでしょう。」

それを聞き終えると兜を脱いで床にうち捨てたサミュエルは、双方の死体であふれた城を後にしたのだ。

デガータに最後の力を振り絞り、エルザは告げた。

「・・・ヒルダを頼みます、時に姉として、時に母として。」

そう伝えると、エルザは息を引き取った。

その後の記憶は非常に曖昧だ。

泣き疲れたヒルダを抱き、デガータは静かに涙を流したまま呆然と立ち尽くしていたのだ、と言う。

冷たくなったエルザの遺体を前にして。

襲撃の報を受けて慌てて現場に駆けつけた魔王軍の将校から、後ほど聞いた話である。

デガータにとってはその後の国葬が最も忘れがたい。

黒い石棺に収まり、まるで彫刻のように静かな表情をして横たわるエルザ。

幼いヒルダの手を握り、抱きかかえると、ヒルダは母の胸元に明るい色をした花を置いた。

そして彼女達が見守るその目の前で、静かに石棺の蓋が閉じられていった。

すっかり涙が涸れてしまった彼女達を見つめる民間人の魔族たち。

彼ら全員が暗い表情をしたまま、石棺の収まった馬車の後ろに付いて歩く彼女達を無言で見つめていた。

その様子がいかにエルザが魔物たちから慕われていたかが、身に染みて伝わってきたものだ。

数年前に作られたばかりの、大理石の墓石をした立派な魔王サンゲルの墓。

そのすぐ隣に魔王の妃であり、ヒルダの母、エルザは葬られた。

サミュエルの騎士団に荒らされた城は現場検証と後片付けが終わったのち、そのまま放置された。

今も献花に訪れるデガータと民間の魔物たち。

しかし、ここ数年、ヒルダはその城を訪れていない。

まるで母エルザの事を忘れてしまったかのようだ、とデガータは感じている。

あるいは、必死で忘れようとしているのであろうか。

すると、デガータの部屋にノックの音が響き渡った。

デガータは思案するのを止めると、忙しい彼女の執務へと戻っていった。

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