第4話 城下町へ
「・・・本当に旅立つのですね?」
王宮の片隅にある、サミュエルの書斎。
大きな本棚と窓があり、暗い色をした木製の家具が並んでいる。
最近の彼は食事を除いてほとんどこの部屋で物思いにふけるか、本を読むかのどちらかであった。
時折、思い出したかのような様子で近衛兵を相手に模擬戦闘も中庭でしていた。
長い間連れ添った妻として、その様子から感じ取る物が無かったと言えば嘘になってしまう。
残念そうな顔をしたメリンダが夫であるサミュエルに言った。
「・・・ああ、もちろんじゃ。」
雑兵の鎧兜を身につけ、盾と剣、そして大きな旅荷物を背負ったその姿は30年前と変わらず立派にメリンダの目には映った。
「他に何か出来ることがあれば・・・。」
サミュエルの手を取り、そう言ったメリンダに対して無言で首を振るサミュエル。
「・・・お義父さま、どうか気をつけてください。」
すっかり膨らんだお腹を抱え、義理の娘になった隣国の姫、カテリーナが涙ながらに声を絞り出した。
その肩をサミュエルの息子ミカエルがそっと抱いている。
今は柔らかな色合いの着心地の良さそうな洋服を来たカテリーナ妃だが、喪服を着てしまいたい心情であろう。
「・・・父様、本当に残念です。」
緊急会議を終えた息子にして現役の国王、ミカエルは眉をきつくひそめ、必死で涙を堪えている。
カテリーナの肩から手を離し、力強く父親の手を握った。
涙をこらえるミカエルとは対照的にサミュエルの表情は憑き物が落ちたかのように穏やかに微笑んでいる。
「参謀や大臣達には後で伝えます、国民のことは私と家族にお任せください。」
大切な父親の心情をくみ取り、心配させまいとするミカエル。
立派な王に育ったミカエルのそばに忠犬にして軍用犬のフリードが控えている。
「・・・いよいよじゃ、皆、息災でな。」
サミュエルは一同にお辞儀をすると、重い足取りをしながらも最初の一歩を踏み出した。
すると、手綱を外されたフリードは黙ってサミュエルの後をついて行く。
そう、サミュエルに気を許すフリードは今回の旅において唯一無二の相棒である。
雑兵の鎧と目深に被った兜が功を奏したのだろうか?
途中ですれ違う大臣や近衛兵達もあまり彼らを注視しない。
長い間、自宅として過ごしてきたウィンストの王宮。
もちろん、間取りは正確に覚えている。
着実に正面の門へと歩みを進めるサミュエルとフリード。
そして、遂に門のすぐ側にたどり着いた。
次にこの門を反対側からくぐれるのは、一体どれほど先のことになるのだろうか?
そう思うと非常に名残惜しく感じられてしまい、門の前で足を止めてしまうサミュエル。
フリードもサミュエルの側で静止すると、口を閉じて不安げな表情をし、じっと飼い主の顔を見上げる。
サミュエルはそれに気づくと、慌てて前へ進み出た。
そして、非常事態宣言の敷かれた城下町に出たサミュエル。
木造と石造りの立派な家々が立ち並ぶ。
道幅は広く、石畳が敷かれている。
しかし人はまばらで、慌てて店を戸締まりしている商人や、行進する兵士たちが目立つ。
雑兵の鎧に身を包んできて正解だった。
誰もサミュエルとフリードに気がつくことは無い。
善政を敷いたため年配の国民たちから支持を受け、かつ戦争では陣頭指揮を執る。
兵士たちの信頼も厚いサミュエルだが、傍目からは老ハンドラーと相棒犬のコンビにしか見えないようだ。
若い兵士達の中にはサミュエルの人相を知らない者も多いはずだ。
誰からの制止も受けず、歩を進めるサミュエルとフリード。
思えば、近衛兵なしで城下町を歩くなんて何十年ぶりだろうか。
あの頃は今と町並みはそこまで変わらないものの、町を取り巻く状況はまるで違っていた。
30年以上前、この町にはまるで活気が無かった。
遠く離れた戦場は魔王軍の襲撃に常にさらされていた。
大事な跡取りや主人を徴兵され、残るのは女子供のみ。
そのような現状を見ていられず、王族とは言うものの士官学校を優秀な成績で卒業したサミュエルは最前線を志願した。
渋る現場と学校側に対しサミュエルの父親で当時の王が圧力を掛けてくれた。
そしてサミュエルは前線へと出た。
自分の部隊を率いて異形の怪物たちとの戦いに明け暮れる日々。
自らも散々、危険な目に遭い沢山怪我をしてしまった。
いつしか率いる小隊が中隊に、そして大隊へと変わっていった。
それでもサミュエルの脳裏には活気のないウィンスト王国の光景が焼き付いて離れなかった。
幾度となく表彰され、仲間から稀代の名将と褒められても気持ちが晴れる事はなかった。
ただがむしゃらに、敵を最大効率で殲滅するのみ。
そのためには自分自身が戦闘に参加し、時には伝令や斥候も買ってでる。
自分より辛い境遇の戦友たちを少しでも救うためである。
そんなサミュエルを影で支えてきたのが先ほど別れを告げたばかりの妻、メリンダである。
30年以上前のある日、野戦病院と化した修道院で医療行為、そして死する兵士の看取りをしていた女性、メリンダ。
サミュエルも重傷を負い、担ぎ込まれた兵士の一人であった。
が、メリンダの目には他大多数の兵士とサミュエルは違って見えた。
多くの兵士が苦痛にもだえ、死にたくない、助けてくれと呻く、地獄絵図と化した修道院の暗い礼拝堂。
そんななかで、サミュエルだけはメリンダの手を握り、俺を今すぐ前線に戻してくれ、と目を見開いて訴えたのである。
もちろんメリンダは断ったが、見回りで彼のそばを通るたびに、サミュエルはメリンダに訴え続けた。
仕方なく、準備とサミュエルの回復を待った後に、メリンダはサミュエルを連れ修道院を抜け出した。
思えばお互いに一目惚れしていたのかもしれない。
戦い方しか知らないサミュエルの目にはメリンダは、戦場のかたわらに咲く花であった。
祈ることしか知らないメリンダにとってサミュエルは英雄だった。
互いを補完しあう存在。
それから二人は各地を転戦した。
戦場に赴くサミュエルと前線基地に留まり医療行為と看取りをするメリンダ。
二人を見ると兵士たちは鼓舞され、士気の高い人類の兵士を見て敵軍は攻める事を恐れた。
しかし、それももう、ずいぶんと昔の話だ。
この国の新しい世代の若者たちは金を稼ぐことしか頭に無く、礼儀を知らない。
年寄りたちは戦争の記憶を忘れ、社会的地位の確立と自分の安全のみを考えるようになってしまった。
この国を平和にしたのも、堕落させてしまったのもサミュエルその人である。
これで本当に正しかったのであろうか。
そう思いながら、ゆっくりと歩を進めるサミュエルを置いて、フリードが突然、駆けだしていってしまった。
見ると町の大広場で、なにやら人だかりが出来ている。
皆、歓声と声援を上げ、周囲には鋭い金属音が時折、響き渡る。
サミュエルはその音に聞き覚えがあった。
忘れるはずもない、剣と剣が交わる音色である。
周囲の様子を観察すると、なにやら闘技試合のようなものが行われているようであった。
察するに、いざ戦争となると居ても立ってもいられない人間がいたのであろう。
丁度、サミュエルのように。
時折、訓練を受けていたのでサミュエルはまだまだ腕には覚えがあった。
錆を落とすには丁度いいか。
試合の熱気に興奮する忠犬をなだめながらサミュエルは余計な荷物を置き、静かに参加を申し出る事にした。
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