第5話 下沢
〇 会社員
あぁ…………。ぐ……っ。
これは、どうするべきなのか。
そのままにした方がいい? 神経を傷つける恐れがある? 一生指が動かせない? はぁ……。
血が巡っている、その度に。心臓が脈を打つ、その度に、痛みが走るんです。まるで、手に心臓があるように。
心臓が貫かれているように、痛むんです。
このナイフを抜けば、栓のナイフが抜け、血が出る。今度は失血死ってわけですか。
これは、罰ですね。痴漢をした、罰。
渋谷駅で5両目からなんとか這い出たら、今度は改札が閉まって外に出られなくなりました。
早く逃げ出したかった。
このナイフを早く抜いて、関係の無いところに行きたかったのに……。もう、何もかも、無駄ですね。
痛みを我慢するために、少し話に付き合ってもらえませんか。何も考えないままに、この痛みに耐えられそうにありません。気を失って、しまいそうです。
そうです。私がやりました。
女性の太ももに手を這わせました。
魔が差したんです。
手を伸ばせばそこにありました。
軽い気持ちで、少し手を置くように、感触を確かめるように優しく触りました。
その後すぐに、私の手に今まで感じたことの無い感覚が襲いました。まるで、ナイフのような尖ったもので、手の甲を突き刺されたような、鋭い、熱い、目の覚めるような、全身を駆け巡る痛みです。
私の手は女性の脚に置かれていました。その突然の痛みに思わず女性の脚を掴みました。声を出さずにはいられませんでした。しかし、何かあったとバレる訳にはいきません。歯を食いしばって、なんとか小さく呻くだけで耐えました。しかし、その痛みの元はグリグリと少しずつ、私の手を絶え間なく攻撃しているようでした。
一度電車が大きく揺れて、女性が進行方向とは逆方向に倒れた時、少しスペースに余裕が出来ました。私は怯んでいた手を無理やり自分の元へ戻しました。もう一方の手で恐る恐る現状を確認しました。
恐ろしい、事実が……、私の手にナイフのようなものが突き刺さっていました。なんと、手のひらまで貫通しているようでした。あやうく卒倒しそうになりましたが、満員電車のおかげで、満員電車のせいで、倒れずに渋谷駅まで行くことが出来ました。
後のことは記憶にありません。私は手に宿った心臓が暴れ出すのを耐え、人の波に乗じて電車の外に出て、改札から出られずに、トイレの中で閉じこもっていたところを、あなたに見つかったんです。
血が垂れていた? それは……、見つかってもおかしくないですね。
これは、私を逃がさないための包囲網だったのですか?
違う? 殺人事件?
そうだったんですか。
運が悪かった。
そういうことじゃないですね。
私が悪かったんです。
女性に謝ります。この穴の空いた手をついて、謝らせてください。
一生消えない恐怖を刻みつけた。
私が、女性に、です。
痴漢とはそういうものでしょうから。
私が彼女を傷つけてしまった。ただ、触っただけとは言えません。
この身に恐怖を刻みつけられた、私が言うのだから間違いありません。
きっと、電車に乗る度に、女性を見る度に、思い出すでしょう。心臓に刻みつけられた傷が脈打ち、忘れられないでしょう。
私がやりました。
後のことは、任せていいですか?
探偵さん。
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