第34話 冒険家

 修道院を後にした五人は今、酒場を目指して歩いている。

 最後までロラを気に掛けていたイスカを、「多くの信者が支えてくれるから」という言葉で送り出していた。少し腰を曲げながら手を振る姿には切なさが感じられた。

 そんな人々のために、平和な世界を取り戻すことをより一層アロンは決意するのだった。


 そして、酒場前に着く。

 今度はニナの出番だ、と先頭に立って扉を開けるニナ。

 ガラガラと音を立てて開いた扉の向こう、マスターが朝の仕込みを行っていた。


「お父さん、ちょっと良い?」


 作業の手を止めて、ニナとその後ろの団体に目を向けるマスター。


「何だ? みんな揃って」

「大事な話」


 下ろした前髪から覗かせるニナの片方の目をマスターはしっかりと見て、カウンター奥から出てくる。


「まさか結婚の挨拶とかじゃないだろうな。それなら却下だぞ」

「……」


 何も言わずにニナがアロンを見るものだから、マスターはアロンを睨みつける。


「まさか、アロン! うちのニナに手を出したんじゃあ……」

「ち、違いますよっ。ニナも、何で俺を見るんだ!」

「何となく……」

「おいっ」


 ニナの仕草により、とんだとばっちりを受けてしまった。

 視線をアロンからマスターに移してニナが話し始める。


「お父さん……国の外に出たい」

「な……っ」


 大きな目を見開き、マスターは真っ青な顔をする。


「そんなのダメだっ! 絶対にダメだっ!」

「五人で……だから」

「関係ないっ。どんな理由があろうと絶対に許さんっ!」

「どうして?」

「分かるだろっ。危険だからだっ」


 どれ程ニナが食い下がろうと、マスターが降りる気配はない。上腕二頭筋が隆起するほどにそのこぶしは強く握られていた。


「大丈夫。わたし、強い」

「強さなんて無意味だっ。何で外に出なくちゃならん? 理由を言えっ」

「それは……言えない」


 修道院でもそうだったが、ソフィから公言することを止められているため、獣族ウルフとの一件は明るみに出せない。


「なら行かなくてよしっ。お前は俺の言う通りにすれば良い。俺はお前を裏切ったりしないからな」

「黙ってた癖に」

「ぁあ、何のことだ?」

「アロンの冤罪えんざい事件」

「うっ……」


 厳しい目を向けながらニナが言うと、マスターの額に汗が流れる。


「それはな、お前が気にするから。ほら、アロンも黙っててくれって言ってたから」

「グラタン代、取った」

「うっ……」


 目の鋭さそのままに、そしてマスターの汗はより一層ひどくなる。


「ケチ」

「しょうがねぇだろ! 生活費の上に学費だってかかんだから! このご時世だし、分かってくれよ、な?」

「…………」


 ニナは黙ったままだが、目つきは変わらない。その姿にマスターが声をあらげた。


「とにかく、出国は却下だ。親に逆らうなっ!」

「……わたし……出てく」

「何?」

「こんな家、出てく」

「バカ言ってんじゃねぇ! 俺がどんな気持ちでっ――」

「お父さんなんて……」


 ニナがそう言い出した瞬間、三人が青ざめる。以前の記憶がよみがえるからだ。


「ダメだっ、ニナ。それ以上言うな!」

「そうよっ、マスターが……っ」

「お父さんなんて、大キライっ!」


 離れた場所で地鳴りのような大音が聞こえた。

 そちらを見ると、巨漢のマスターがうつ伏せで倒れていた。アロンとサラがニナを止めたが、時すでに遅しだった。


「うっ……うっ……」


 マスターが床に顔を沈めたまま声を殺して泣いていた。以前、ニナのこの爆弾が炸裂さくれつした時、それから一週間マスターが寝込んでしまったことを思い出す。


「みんな、行こ」

「ダメだ、こんな説得じゃあ。マスター全然納得してないし」

「良い、放っとく」

「行かないでくれっ」


 前の時とは違い、爆弾の被害をこうむってもすぐマスターが復帰し、食い下がる。両腕で身体からだを起こし、訴えてくる。


「……」

「もし母さんみたいになったら……はっ」


 口を滑らせたとばかりにマスターは両手で口元を押さえていた。


「お父さん、それどういうこと?」

「マスター、外に出た事あるんですか?」

「何の事だ? 知らねぇなぁ」


 しらを切るようにカウンター奥へ戻ろうとするマスター。


「おいっ、グラタン親父。話せ」


 逃げるマスターを、ニナ以上の鋭さで睨むアルテ。その表情に観念したのか、溜息をついてからマスターは話し出す。


「お前には黙ってたけど、母さんは病死じゃないんだ」

「え!?」

「お前が生まれる前、俺は冒険家でな。何度も国の外に出たんだ。ちょっとした隠し通路を見つけてな。けど、何度外へ出ても他種族の連中には一向に会わず、本当に存在してるのか不思議に思ったよ。けど、お前が生まれてすぐ転機が訪れた。いつものように外に出たら、一匹の竜を見掛けたんだ。生まれて初めて見た他種族だった」


 マスターが話す内容はとても異質なものだった。隠し通路とは恐らく、修道院裏のあの石像だろう。

 ニナと知り合ってからだから、マスターとも三年の付き合いになるが、まさか外を知る人物だったとは想像もし得なかった。


「それって竜族ドラグニートですか?」

「ああ。それで帰ってその事を母さんに話したら、見たいって言われてな。危険だからダメだっつっても今のニナみたいに聞いてくれなかった。だから、その三日後、二人でその場所に行ったんだ。そしたら、偶然にも同じ場所でそいつが待機しててな。けど……」


 そこでマスターは険しくも切なそうな表情をして下を向く。


「隠れながら見てた時、俺が枝を踏んじまって。それに気付いたそいつが襲い掛かってきたんだ。二人で走ったんだが、尋常じゃないスピードで逃げ切れなかった。だけど、そいつは俺らをすぐに殺さず言ってきたんだ。女だけ渡せって。俺は必死に反対したさ。けど、母さんが了承して……」

「連れ去られたの?」

「ああ……」


 死因が病死ではなく、拉致らちだと知り、場の空気が重くなる。


「だけど、それだったら生きてることだって……」

「もう十八年だぞ。きっと殺されてる」

「……」


 サラはフォローしたが、マスターの推測に対して黙ってしまう。


「父さんが言ってる事、分かってくれるよな?」

「それじゃ、何も変わらない」

「ニナっ」

「誰かが変えなきゃ、犠牲ばかり増える」

「ニナっ!」


 ニナに駆け足で近付いたマスターは両手でニナの両肩を掴む。


「ルーク先生も言ってた。わたしは特別。絶対帰ってくるから」

「ニナ……っ。うっ、うっ」


 大泣きするマスターをそっとニナは抱きしめる。


「お父さんは、わたしの宝物。絶対に一人にさせない」

「ニナ……約束だからな」

「うん」


 マスターも力を込めてニナを抱きしめていた。

 ニナの冒険心は父親譲りなのだろう。そのことを理解して、マスターも泣く泣く承諾したようだった。




 酒場を出てから数分歩く。今度は最後の目的地であるオリバー家に向かっていた。

 先程の出来事が心に響き、五人に会話はなかった。


 そんな中、ニナが珍しく切り出す。


「エビグラタン、食べなくて良かったの?」

「ああ。どうせ帰ってくるだろうから、その時で良い」

「うん」


 一番の猛者もさであるアルテの『帰ってくる』という説得力あふれる言葉で四人に笑顔が戻っていた。


「お前らの親は許してくれそうなのか?」

「分かんねぇな。父さんはほとんどしゃべらないタイプだから、内心がなぁ……母さんは絶対反対すると思うけど」

「だろうな。あの過保護親のことだからな」

「大丈夫よ。あたしが説得してみせるって」


 サラがそう言うと、皆がサラを一点に見つめる。


「え!? 何?」

「お前が悩みの種なのだが?」

「え? どういうこと?」

「コイツよりお前の方が断然反対されるという意味だ。激弱げきよわなのだから」

「うっ……」


 アルテに指摘され、サラは顔を曇らせ、下を向く。


「まっ、敵へのおとりでは最強かもしれんがな。あのクソ犬もお前の胸のとりこだったしな」

「え!? 獣族ウルフが?」


 余りの事実にイスカが尋ねてくる。


「ああ。母乳を欲しがっていたな」

「えっ!?」


 あの現場に居なかったイスカとニナが同時にサラの胸に視線を送る。その様子に、すぐさま腕で胸を隠してサラが言う。


「いやいや、出ないからっ」

「今度の戦いに備えて出るように訓練しておけ」

「バカっ! 出来るわけないでしょ!」


 アルテとサラ、この二人の漫才に慣れ始める三人だった。

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