第33話 修道女
次の日の早朝。
まだ時計は六時を指し、外の
隣を見てもアルテの姿はない。王宮から帰った日、またもやサラからお誘いを受けたからだ。二度と寝ないと言っておきながら涙目のサラには観念していた。アルテの優しさが垣間見えた瞬間だった。
そんなアルテのことをふと考える。
自らが誘ったのだが、未だ種族すら知り得ない彼女と他種族領域に向かうことになるとは思いも寄らなかった。
アルテは取っ付き難いが、根は優しいと思う。だがそれは表向きなのかもしれない。本心は未だに分からず、そのことはつまり、いつ裏切られても
そんなことを考えていた時――。
部屋の扉がノックされる。
「はい」
急いでベッドから起き上がり、返事を送ってみると、扉は静かに開かれた。
「ちょっと良いか?」
そう言って入ってきたのはアルテだった。寝間着を嫌うのか、もう既にサラからの借り物を着用していた。
「ああ。アルテも早く目が覚めたのか?」
「まぁな」
そっと扉を閉め、ベッドの近くへ歩んでくる。
「サラの寝相は?」
「今日は大人しかったな。悩みが解決したからだろ」
「そっか。座るか?」
話の途中で、アロンは自分の横辺りのシーツをトンと手で叩き、気を遣ってみる。
「いや、良い。お前は変態だからな」
「だから、違うって!」
「そんな変態にひとつ質問だ」
「おい、言い直せ」
少し怒ってみるが、それを見て口元を緩めるアルテに見惚れてしまう。
「この服と以前の服、どっちが良い?」
「えっ!?」
その場で少し腕を広げて見せてくる。
「いや、その、何だ……あいつと戦った時、丈が短い分、動きやすかったのでな」
少し頬を染め、人差し指で頬を掻くアルテ。
「俺は今の方が好きだ」
そう言うと、少し目を見開いたアルテがくるりと回転し、背中を向けて言った。
「そうか……なら、以前の服にしよう」
「何でだよっ!」
「
「おいっ!」
「冗談はさておき、ひとつ良いか?」
急にアルテの
「何だ?」
「
依然として背中を向けているアルテが問う。
「どうって……悪いヤツじゃなさそうってとこかな。悩みがあって仕方なく物品集めしてるみたいだったし」
「そうか……もし、他種族に
「後者だ」
一切の迷いなく即答すると、アルテはゆっくりと振り向いた。
「今まで数十年も屈辱的な日々を強いられたのに、か?」
「ああ。そもそも俺はヒエラルキーってのが嫌いなんだ。他種族に打ち勝ちたいのはそういうルールを撤廃したいからだ」
「撤廃してどうする?」
「
「お前は……」
すっと視線を床に落とし、ふたたびアルテは背中を向けた。
「だが、そんな理想はすぐに崩れる。外を見て絶望すると良い」
「おい……っ」
そう言い残してアルテは部屋を出ていった。呼び止めに応じることはなかった。
それから一時間。今、五人は学校の正門前に集まっている。
「よし、ルーク先生から公欠の許可も下りたし、ゆっくり家族を説得しましょ」
腰に手を当ててサラが言う。
三家族ともそれぞれ仕事があって忙しい。そのため、朝七時というこの時間帯しか話し合う時間はなかった。特にニナの実家は酒場であり、深夜近くまで営業は続くため、尚更だ。
「まずどこからにする?」
「そうねぇ、修道院からで良いんじゃない? うちはそんなに早くないし」
尋ねてきたイスカにサラが返答する。
修道院に住まう修道女たちには日々の祈りがある。早朝から夕暮れまでそれは続き、就寝時間は早めである。
逆に、オリバー家の両親はシフト制であり、この日は昼食調理からの出勤であった。
酒場も夜が稼ぎ時であるため、営業開始時間は遅めである。
そんな都合を考えると、今の結論は自然だ。
「そうだね。じゃあ、僕からだね」
そうと決まり、五人は修道院へと移動を開始した。
茶の三角屋根に白壁の修道院が見えてきた。中央上部に取り付けられた丸窓を見ると、幼少の頃を思い出す。ちょうど二階のあの場所がイスカの部屋になっていて、遊びに行けばいつも窓を開放し、三人で風や自然の匂いを感じて楽しんでいた。あれからもう十年以上、月日が経つのは早い。
以前イスカを誘いに来た時には全開だった玄関扉は、早朝のためか閉まっている。その扉をノックせずにイスカがゆっくりと開けた。
「あら、イスカ」
修道院の奥、祭壇の前で手を合わせていた老婆が振り返る。全体が黒、首周りだけ白という修道服に身を包んでいた。
「こんな朝早くごめん。ちょっと話があるんだ」
イスカが入った後、四人が続いて入るとその様子に老婆は少し驚いているようだった。
「珍しいわね、こんなに沢山」
互いに歩み寄り、祭壇寄りの場所で合流する。アロンたちに比べ、老婆の足が遅かったからだ。
「シスター、お久しぶりです」
「ええ、学校の入学時以来ね。アロン君もサラちゃんも成長していくわね」
にこやかに微笑むシスターに、アロンがそう語り掛けた。
「おや? そちらは? ニナちゃんはトマさんのお店でお見掛けするけど」
不思議な銀髪少女に少し困惑した表情を見せるシスター。
「この子はアルテって言うんです。最近友人になりまして」
「あら、そうなの。美しいお顔ね。あのお方によく似てらっしゃる」
そう言って老婆は祭壇側に目を向ける。
祭壇奥には白の大理石で彫られた聖母マリア像が立っていた。その腕には小さな赤ん坊を抱いている。
皆が像に見惚れる中、ふと視線をアルテに向けると、眉間にしわを寄せて不機嫌さを
「あぁ、そう、お話だったわね。何かしら?」
イスカからの言葉を思い出し、視線をまたイスカに戻すシスター。
「うん。ちょっと言い辛いんだけど……僕、外の世界に行きたいんだ」
「外……」
その言葉は心なしか曇っていた。
「やっぱりダメ……かな?」
「いいえ、行ってらっしゃい」
「え!?」
その意外な返答に五人は驚きを隠せない。
「本当は嫌。だけど、いつも決断を他に
「ごめんね……本当はロラを手伝ってあげたいんだけど」
悲しそうにイスカは下を向く。
老婆――ロラの歩くスピードを見れば、三年前に会った頃より随分衰えているのだと分かる。井戸の水汲みをイスカがしていたことを思うと、恐らく大半の力仕事はイスカが引き受けていたのだと思われる。
「他の修道女は居ないのか?」
不意にアルテが言い出す。
「ええ。最近までは私の他にも居ましたが、
「つまりは神を捨て、現金に走った、と」
「おい、アルテ。やめろって」
「いえ、良いんです。生き方は人それぞれですから」
確かに祈りを捧げても収入は増えない。他からの恵みや自給自足によって生活を送らなければならず、余程の信念がなくては続かない。その頼みの綱である御布施も、今の
「そいつらの方が賢明だ。神など居ない。お前らは救われない」
「アルテ! お前っ!」
隣のアルテの腕を強く握り、アロンが怒鳴る。横を向いたアルテを見て真っ先に目に入ったのは、その険しい眉間のしわだった。マリア像を見た際のそれと同じ表情に、少し胸が詰まってしまう。
「怒らないであげて。アルテさん、どうしてそう思うのです?」
「さあな。像に魂などないから、か」
「それはそうかもしれません。でも、私は信じています。神は我々を常に見守り、最良の場へ導いてくださると」
ふたたびロラはマリア像の方を見て言った。アロンの手を振り
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