第27話 ファーストコンタクト

 下りた時と同様、ライトの光を頼りに上を目指す。


 しばらく上った時、グレーの天井が目に入る。


「よし、出口だ」


 報告する意味を込めて、アロンが二人を見下ろす。皆、緊張の面持ちに見えた。


 その天井を押し上げようと片手でやってみるが、びくともしない。


「くっ……開かないぞ……っ」

「何をしているっ。早くしろっ」


 もたつくアロンを、すぐ下のアルテがとがめる。


「そうよっ。あたし、アルテのスカートの中しか見えないんだからっ」

「キサマっ! どこを見ているっ、どこをっ」


 アロンが懸命に押す中、下の二人が言い争う。


「けど、本当に開かないんだって」

「押すのではなく、横にスライドするんじゃないのか? さっきのように」

「そうかっ、やってみる」


 アルテに言われ、やってみると、物の見事にグレーの天井が横滑りし始める。それと同時に、ライトとは別の光――月光が目に飛び込んできた。


「外だ」


 はっきりと認識した後、残りのスライドを行い、天井は全開となる。

 ゆっくりと頭だけを出し、外の様子をうかがってみた。


「どうだ? 何か居るか?」

「いや、何も……まだ予定時刻には少し早いからな」


 敵の存在はなく、アロンから順に三人は地上へと出た。

 全員が出てから、念のためその板を元に戻しておく。


「へぇ、これが外の世界……」


 サラが言うと、二人もその景色を眺めた。

 砂の大地が途方もなく広がり、地平線の向こうには凹凸もなく、終わりは見えない。今までリーヴ王国という閉鎖空間の中だけで生きてきたアロンとサラにとっては信じられない光景だった。

 思った通り、隣に立つアルテは平然とした表情だった。恐らく、外の世界を知っているのだろう。確証はないが、アロンはそんな気がしていた。


「そいつが来るまで、どこかに隠れたいところだな」

「それなら見てっ、外壁のところにくぼみがある」


 サラの指先を追うと、グレーの岩壁は平面ではなく、等間隔に窪地くぼちが存在する造りだった。何のために用意されたくぼみなのかはさだかではないが。


「よし、行くぞ」


 アルテを先頭に移動を開始する。


 地上へ出た場から二つ目の窪地くぼちに三人は身を潜めた。

 敵との接触時間までの五分間、話をする。


「アルテ、本出して。あたしが説得するから」

「本当にお前で大丈夫なのか?」


 スカートの右ポケットからビー玉状の物を取り出し、アルテは封印を解除する。すると、はじけたビー玉の中から病理本が飛び出した。

 それをサラは胸の中に抱きしめる。


「分かんないけど、アルテだったらすぐ喧嘩になりそうだし」

「チッ……だが、どんな奴か確認してからだ。もし、大丈夫そうなら合図する」

「うん」


 物陰に、前からアルテ、アロン、サラの順にしゃがんで待機する。

 それからは、もし獣族ウルフであった際の聴力を懸念し、無言でしばし待った。




 少しすると、隠れた場所とは、隠し通路を挟んで反対方向に一つの異質な存在を確認する。

 四足歩行で進んできた時点で、その存在が獣族ウルフであると分かった。遠目からでは鮮明には分からないが、茶髪ショートヘアに茶の耳、そして茶の尻尾がカボチャパンツのような茶の衣服から飛び出ていた。背はかなり低く見える。


 その物体は隠し通路を知っているようで、何の迷いもなく、その場所に到達し、グレーの板の目の前でしゃがんで待機し始めた。

 もし、少しでも予定時刻より遅れていたら、板をスライドさせてすぐ鉢合わせになるところだった、とアロンは思っていた。


 その小さな存在以外に敵が居ないと察知したアルテが、軽く右手を上げ、サラに合図を送る。

 親指を立てていることで問題なしということを汲み取り、サラは本を持って歩み始める。


 その一瞬の踏み込み音だけで小さき獣族ウルフは耳をピクリとさせてサラを見た。


「誰だっ!? です」


 夜の外世界は静けさに満ちあふれ、少しの会話もアロンとアルテに鮮明に届いた。その声の高さから少女なのだろうと推測される。


「コレ、持って来たの」


 サラはすぐに立ち止まり、両手で書物を持ち上げて合図を送る。

 警戒心が半端なく、相手はずっと四足前傾の威嚇時の体勢だ。


「いつもの汚ねぇオッサンはどうしたっ? です」

「今日は行けなくなったからって、頼まれたの」


 その言葉を受けた少女は辺りをうかがい始める。


「お前、ホントに一人なのか? です」

「うん。信じて」


 じっと見つめるサラに納得した素振りを見せた。


「こっち来やがれ、です」

「ありがと」


 その変な語尾を携えた台詞せりふでサラを招く。

 慎重に歩みを進めたサラが少女の隣に到着すると、それがすっと二足で立ちあがった。サラとの身長差を見比べると、へそ辺りまでしかない。


「本を寄越せ、です」

「あっ」


 勢いよくアルテの手から書物を奪う。


「……何て書いてある? です」

「『生態病理論』よ」

「……どんな本だ? です」


 少し妙だ。以前、植物図鑑を奪ったはずなのに字が読めないらしい。それに、その言葉の意味も理解できていない。まだ幼いからだろうか。


「病気についての本よ」

「えっ!? それなら……」


 語尾を忘れるくらいに尻尾を振っている。どうやら喜んでいるらしい。


「ねぇ、誰か病気なの?」

「お前には関係ねぇ! です」


 すぐに牙をむく少女。


「あたし、力になりたいのっ。もし、病気で苦しんでるんだったら治してあげたいのよっ」

「……お前……白服野郎か? です」

「白服?……あっ、お医者さんってこと? 違うけど、この本の字は読めるわよ?」

「…………」


 女神のような態度のサラを見て、少女が本を眺めて考えている。


「……スンスン。お前、乳の匂いがする、です」

「えっ!? そう?」


 アルテの予想通り、嗅覚の鋭い獣族ウルフにその匂いを感付かれた。


「ミルク出るか? です」

「えっ!? で、出ないよぉ」

「チッ……無駄な牛乳うしちちだっ、です」


 ここである結論に辿たどり着く。

 それは、他種族に対しての知識のなさは人類種サピエンス以外も同じということ。少女は人類種サピエンスなら常に母乳が出ると思っているようだ。


「もしかして、ミルクが必要なの?」

「うっせぇ! です。サルに情報なんか言うかっ、です」

「でも、困ってるんだよね? 信じてくれるなら、手を取って?」


 腕を落とされるかもしれないのに、サラは真っ直ぐに少女を見て腕を伸ばす。

 最初は身じろいだ少女だが、何かを考えているようだ。


 しばらくして、ゆっくりとした速度でサラの手に、手を伸ばしていた。


 そんな時だった――。


「あ……」

「誰だっ! です」


 何故かアルテが声を出してしまう。

 そのことで少女はサラの手を取らず、アロンたちの方を睨みつける。


 これ以上隠れることは不可能だと感じた二人はその場から姿を現した。


「サルが二匹……くっ……この牛サルっ、騙しやがったなっ、です」

「待って! 聞いてっ、お願いっ」

「うっせぇ! です。ウソツキ野郎を信じるもんかっ、です。上に報告してやるっ、です!」

「あっ」


 そう言い残し、口に書物を加えて猛スピードで走り去っていった。アルテと同じくらい速く感じるそれは、流石は獣族ウルフの身体能力だと思った。


 呆然と立ち尽くすサラに二人が駆け寄る。


「もうっ、アルテ! もうちょっとだったのに!」

「すまん……だが、わたしのせいじゃない」

「何? 花粉とでも言いたいの?」


 サラからお叱りを受けたアルテが振り返ってアロンを指差す。


「え!? 何で俺?」

「お前……耳に息を吹きかけるな」


 頬を少し染めたアルテは自らの右耳に手を添えた。

 その時、アロンは思い出す。二人隠れていた時、少女を目に焼き付けようと前のめりになりすぎ、アルテの右顔すれすれに自分が居たことを。


「す、すまんっ。獣族ウルフが見たくて、つい」

「あ~あ、もうちょっとだったのになぁ。けど、獣族ウルフを初めて見られたし、あんたの性感帯も知れたし、まっ、いっか」

「性感……っ。わたしにそんなものはないっ」

「あれぇ? ホントかなぁ?」


 そう言いながらサラは悪戯いたずらにアルテに歩みを進める。口をとがらせているのは耳を吹くためだろう。


「やめろっ! 近寄るなっ!」

「でも、楽観視できないぞ。最後あの子言ってただろ? 上に報告するって。もし、獣族ウルフが大勢で攻めてきたらマズいんじゃあ……」


 それを聞き、二人は争いをやめて考え込む。


「仕方ない。ゴロツキと交渉していた相手が獣族ウルフだと分かっただけでも良しとする。このことを今からアイツに伝えに行くぞ」

「そうだな。ソフィならこの先の策を考えてくれるだろうし」

「それよりお前、ああいう時は母乳が出ると言っておくべきだろ」

「バカっ! あの子が信じちゃって、出してみろって言われたらどうすんのよっ!」


 怒るサラをアルテは鼻で笑っていた。


 三人は地下通路の入り口プレートを外し、先程と同じ道程どうていを繰り返した。当然、入れ替わりのやり取りも繰り返すこととなった。

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