第23話 落とし穴

 高さの低い物陰に、アルテを前にして二人共しゃがみながら思考する。不謹慎だと思いながらも、目の前にある赤ブラウスの背中を眺め、アロンは少し前の抱擁シーンを思い返していた。


「よし、これだな」


 そんな不埒ふらちなアロンをよそに、アルテは地面に転がっていた小さな石ころを手にする。

 それをアジトらしき建物入り口に向け、親指で軽くはじいた。


 だが、その石ころは猛スピードで扉へと進んでいく。ただはじいただけであれ程の速度になるはずがない。きっとアルテは細工をしたのだろう、とその小さな背中を見ていた。


 この場にも響くほど大きな音が鳴る。

 それに呼応するように扉を開けて先程のゴロツキ二人が出てきた。


「おい、見ろ」


 よく目を凝らして眺めると、扉の向こう――部屋の奥に大男のような肉質の男が立っていた。その男の前に、未だ封を切られずに南京袋なんきんぶくろが置かれている。


「一人は外で待機してたんじゃなくて、アジトに居たのか」

「好都合だな。後はもう少し情報が欲しい」


 そう言ったアルテが少し頬を染めて、首だけを回してアロンを見ている。


「ちょっと近い……離れろ」

「す、すまんっ」


 アジトの中をしっかり見るために前のめりになっていたアロンは、もうすんでの所で頬ずりをする程の近さであった。

 指摘されてすぐ、その身を引いた。


 ゴロツキ二人が扉を閉めたことを確認し、二人は接近する。

 耳を澄ませて中の話を聞いてみた。


「何だったんだ?」

「分かんねぇっす。鳥か何かがぶつかったんじゃないっすか?」

「そうか。ところで、今日は本以外に何ってきたんだ?」

「それがすげぇんすよ」


 男の言葉の後、紐をほどくような音がかすかに聞こえた。


「女か」

「ただの女じゃねぇっすよ。ほら?」

「うわっ!? でけぇ……しかも相当なつらだな」

「すげぇっしょ? 最近アイツらにこき使われっぱなしなんで、コイツで発散しましょーや」

「よしっ、起きる前に縛れ」

「うっす!」


 そこまで聞いた時、アロンが歯を食いしばり、出ていく素振りを見せる。それをアルテは必死に食い止めた。


 少しした後、ふたたび会話が始まる。


「にしても、こんな本何にいるんすかねぇ」

「さぁな。俺らは本なんて読まねぇし、分かんねぇよ」


 次の瞬間、アルテがアロンの背中を軽く叩き、合図を送ってきた。


 そして、アルテは扉をノックする。


「ぁあ? 何だ? てめぇら」


 扉を開けて応じてきた男が睨みを利かせる。

 二人は深々と帽子を被っているため、不思議とバレていないらしい。


「わたしたち、宿を探しているんだ。ここは宿か?」


 アルテが上手く演技をする。いつもより少し高い声を出していた。


「あっ! お前ら、さっきの……」


 もう一人の男が出てくると、抱き合う二人の記憶を辿たどったようで、指を差して驚いていた。


「何だ? お前、知ってんのか?」

「ほら、さっきつけられてんじゃねぇかっつって見に行ったろ。そん時、路地で乳繰ちちくり合ってたんだよ、こいつら」

「んだとっ!? 帰れっ、ここは逢引宿あいびきやどじゃねぇ!」


 もう一人から事情を聴いた男が態度を急変させて手で追い出す仕草を見せた。


「おいっ、何してんだ?」


 奥の方から声がする。扉の隙間から見ると、わざとサラを隠すように手を大きく広げて大男が歩いてきた。


「あぁ、こいつらが泊まりたいって。逢引宿あいびきやどと勘違いしてんすよ」

「入れてやれ」

「はあ!? 何で……」


 態度を見ていれば、大男がリーダー格だとすぐに分かる。細身な下っ端が不思議がると、大男がアルテの恰好を眺めて目で合図を部下に送っていた。そして、何かを悟った部下がまた態度を変える。


「良いぞ。お二人さん、どうぞ」

「すまない」


 下っ端が扉を閉め、二人は部屋の中央へと歩む。大男の図体ずうたいでサラは見えないばかりか、ちょうど三人の男たちが三角形になる配置で二人を取り囲んでいた。


「おい、お前、帽子を取れ」


 大男はアルテを指差して指示を出す。

 それを受け、深々と被られた帽子をアルテはゆっくりと脱いだ。


「やべぇな、お前。綺麗すぎる……」

「うわっ、ほんとっすね。さっきの――」

「しーっ」


 墓穴を掘りかけた下っ端を大男が止める。

 二人のゴロツキがアルテに見惚れる中、もう一人の下っ端だけが不安そうな面持ちだった。


「あっ、アニキっ、こいつ前言ってた銀髪野郎っすよ!」

「何っ!? じゃあ、お前、あん時の……」


 ようやく事の重大さに気付いた三人が、アロンを一点に見つめてきた。

 バレたという衝撃で、アロンは思わず懐に忍ばせたダガーを出した。


 それを握り締め、目の前の大男に向かおうと走りかけた時――。


「ストップ!」


 大男が冷静に手のひらを向けて制止を促す。


「お前、何か勘違いしてないか? あの時、俺らがお前に負けたのは手を抜いてたからだ。俺らには隠された力がある」

「くっ……」


 すべなく、アロンたちは窮地に立たされた。


「分かったら、そいつを寄越せ」


 言われるままに、床にダガーを寝かせ、滑らせて渡した。


「そうすると、コイツもお前らの仲間だな?」


 滑り渡したダガーを手に取り、大男は眠るサラの胸に突き付ける。


「やめろっ!」


 アロンが怒鳴ることで、焦っていることを相手にさらし、余計に三人衆はあざけり笑う。


 散々笑った後、大男が壁際に移動し、グレーの壁を撫でる。


「お前らは黙って見てろ……地下でな」


 大男がそう告げた次の瞬間、機械音が鳴り、立っている場の床が開いた。


「――ッ!」


 声をあげる間もなく、二人は随分下へ落下していく。


 地下には白のマットが敷かれ、その上に先にアロンが、後にアルテが着地した。

 開いた床の向こう――頭上から大男が言ってくる。


「良い眺めだっ。俺らはこの姉ちゃんと遊ぶから、そこで静かにしてろっ」

「おいっ! ここから出せっ!」


 アロンの叫びはむなしく、床は元の状態に戻された。

 ここから出せと言った理由には訳がある。落下中にも気付いたことだが、ここはちょうど牢屋の中のように周りを鉄格子で覆われた空間だったのだ。つまり、地下の部屋の中に鉄格子が包含ほうがんされている状態の造りだ。開閉扉にはお決まりの大きい南京錠が付けられ、出ることは叶わない。


 必死に鉄格子を引っ張るアロンの傍で、アルテは何の驚きも示さず、無表情で手に持つキャスケットを被り直す。


「なぁ、アルテ、何とかしてくれ! サラが危ないっ」

「お前がいた種じゃないのか? あんな場面で短剣など出すからだろ」

「仕方ないだろ! それ以外にどうしろってんだよっ。素性がバレたんだぞ?」

「まぁ、好都合だったがな」

「何だとっ!」


 裏切られたのかと感じたアロンはアルテを強く睨む。


「すぐに分かる」


 その意図を汲み取れないまま、しばらく過ぎた時、鉄格子の向こう側――部屋の扉が開かれ、下っ端のひとりが入ってきた。


「ったく、いっつもアニキが先かよ」


 愚痴を零しながら入り口近くの椅子に座った。細身の身体からだにしては太めな首元。そこへ太めの紐が巻き付けられ、銀色の鍵がぶら下がっていた。扉には鍵穴らしきものがないため、あれは恐らく南京錠の鍵なのだろう。


「お前が監視役か?」

「うっせぇ! 黙ってろ!」


 アルテがマットに座りながら尋ねると、男は怒りをあらわにさせた。遠く、椅子に座る男から鍵を奪うことなど無理だとアロンは諦めていた。


「今頃、あの男はお楽しみなのだろうな」

「黙れっつってんだろーが!」

「羨ましいのか?」

「当たり前だろっ。男はみんな胸が好きっ。それに俺は今まで触ったことねーんだ。てめぇらみてぇなバカップル見てっとムカつくんだよっ」


 素性がバレてしまったが、カップルであるとだけは未だ錯覚しているらしい。


「わたしたちの関係は少し違う」

「はあ!? カップルじゃねぇのかよ?」

「ああ。わたしは娼婦なのだ。ただ、男と遊びたいだけだ」

「マジっ!?」


 男が盛大に驚く。アロンも内心驚いていたが、ここは顔に出してはいけないと無表情を貫いた。まさかアルテがこんな手法を取るとは思ってもみなかった。


「だが、わたしはあの子のように大きくない。あまり魅力はない……」

「そ、そんなことねぇって。女は胸だけじゃねぇし。お前の顔は一級品だ。そんなヤツの胸なら小さくても触りてぇ」

「なら、触ってみるか?」


 自らの胸に両手を当ててアルテが誘う。


「えっ!? 良いのか!?」


 その言葉に高揚した男は椅子から勢いよく立ち上がった。


「ああ、こんな胸で良いのなら……」


 あまりの誘い方にアロンまでゾクゾクしていた。男のさがには逆らえず、男はゆっくりと歩み寄ってくる。首元の鍵を揺らしながら。

 鉄格子から少し距離を取ったアルテが座りながら待ち構える。その姿に見惚れた男は生唾を飲み、右腕を格子の中へ伸ばしてきた。


 その時だった――。


「――ッ!!」


 瞬時に腕を掴み、勢いよくアルテが後退すると、その勢いそのままに男は鉄格子に頭をぶつけた。当たり所が悪かったのか、先程まで頬を赤らめていた男は気絶し、うつ伏せになっていた。


「流石だな」

「まぁな。男はお前のように変態ばかりだからな」

「……」


 何も言い返すことはできなかった。

 けがらわしいと拒絶するアルテに代わり、アロンが男の首から鍵の付いた紐を抜き取った。

 その鍵を南京錠に差し込むと、想像していた通り、ゆっくりと回り、外れた。


 倒れた男を踏み越えて、二人は牢屋内から脱出することができた。

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