第21話 変装

 アルテはそっと最下段の引き出しを閉め、サラにしゃがんだまま尋ねる。


「寮に帰ったんじゃなかったのか?」

「帰ったわよ。で、ちゃんと着替えてきたの」


 そう言ってサラはミニスカートの裾を軽く持ち上げている。だが、変化したのは下着であって、その仕草に何の意味もない。


「また派手なヤツだろ?」

「うっさいわね! 良いのっ、あたしは年頃なの」


 アロンに指摘され、頬を染めるサラ。


「なら、男をナンパでもしていろ。わたしたちは忙しい」

「何でよっ! 三人でぶらつこうって言ってたじゃないの。だから、もしかしたらここかなと思って来てあげたのに」


 腰に手を当てて怒るサラ。その様子を見た後、気まずそうにアロンとアルテは顔を見合わせた。


「サラ、また今度にしよう、なっ?」

「アロンまで! 忙しいって、二人で何するつもり?」


 何を思ったのか、サラは部屋に置かれたベッドをちらりと見てそう言ってきた。


「いやいや、そういうことじゃないからな? 断じて違うぞ?」

「なら、何で忙しいのか教えてよ?」


 サラはジト目でアロンを見やる。


「ハッキリ言ってやる。お前は足手まといだ。付いてくるな」

「何でそんな言い方するのっ? あたしだって何か手伝えるかも――」

「死にたいのか?」


 アルテのその一言で、サラは顔色を変えた。


「それって、どういう……そんな危険なことなの……?」

「まぁ、そういうことだから、サラは詮索しないでくれ」

「だったら余計見過ごせないっ! アロンにもしものことがあったら……」


 すぐに近付いてきたサラがアロンの袖を強く引っ張る。


「心配するな。一応、剣術は上級者だぞ?」

「でも……っ」


 二人が言い争う中、アルテが立ちあがって言ってくる。


「全く……お前らは揃いも揃ってわたしをないがしろに……」


 恐らく、自分のことは一切心配されていないことが気にさわったのだろう。少し悲しみを目に浮かべるアルテ。


「『ら』ってどういうこと? というか、その本、ソフィのだよね? あたし部屋で見たことあるもん」


 クローゼットを調べるためにアルテが床に置いていた本を見て、サラが指摘する。


「はぁ……馬鹿な癖に何故こんな時だけ……」


 死に急いでいるかのように、サラの頭が妙にえる。


「ソフィからの頼み事なのね。ねぇ、答えてっ!」


 しばらくの沈黙。アロンとアルテは互いに見やり、何かを決断したかのように動き出す。


「扉を閉めて、そこへ座れ」


 アルテの指示通り、サラは部屋の扉を閉め、ベッドに腰掛ける。


「まぁ、こうなった以上隠し通すのは不可能だ。それに、わたしとお前だけじゃらちが明かなかったからな。その代わり、忠告しておく。絶対にわたしの指示に従え」

「分かった」


 真剣なサラのその眼差しを確認し、アルテは話し出す。


「アイツから頼まれた内容はこうだ。ちまたで発生している窃盗事件の元凶であるゴロツキ三人衆の始末」

「あっ、それって誕生日会の時のゴロツキね? けど、アロンが三人相手に勝ったんだから、また大丈夫でしょ?」

「それがそうでもない。アイツが言うには、その三人は巨人族タイタンらしい。つまり、あの時は手の内を明かさぬよう力を抜いていただけだろう」

「き、巨人!?」


 一階のマールに聞こえては、と二人はサラに静かにするようにさとす。すぐにサラは手を口に当てた。


「そいつらはこの種の本が欲しいらしい。だから、わたしが本を持って町中を散々歩いたのだが……」

「全然釣れないってわけなんだ」

「何で?」

「俺らさ、釈放日の夜に出会った後、アルテが歩けなかったから背負って町中歩いたんだよ。酒場に行くためにな。たぶん、その時に顔を覚えられたんだと思う」

「そう……」


 サラが不安そうに下を向く。


「そこで娼婦の出番だ。お前も酒場で顔を知られてはいる。だが、大人びたお前なら化粧を厚塗りすれば気付かれないだろう」

「はあ!? じゃあ、あんたが……」


 そう言い掛けてサラが途中で止めた。

 アロンもすぐに気付いた。アルテは美しいが幼い容姿。化粧をしても不自然極まりないはずだ。サラも無理だと分かったから最後まで言わなかったと思われる。


「わたしが、なんだ?」


 厳しいアルテの表情を察するに、恐らくその自覚がアルテにあるのだろう。


「いや……あたしがやる」

「よし。お前がおとりになり、本を渡した後、わたしたちがそいつらの行く先を追う。そこでお前はお役御免だ」

「ち、ちょっと最後まで手伝うって」

「言っただろ、危険だと。それに、お前の実力はコイツから聞いた。もし奴らが巨人化したら真っ先に死ぬのはお前だ」


 言い返せないサラは悔しそうに膝上の拳を握り締めていた。


「それは分かったけど、あんたたちもちょっとは変装した方が良くない? 二人ともずっと同じ服じゃない」

「確かにそうだな。俺、ちょっと着替えてくる」

「ちょっと待て! わたしは着替えんぞ」


 急に立場が逆転し、アルテが追い詰められる。


「良いから。あたしに任せて。コーディネートしてあげるから」

「要らんっ! ふざけるな!」


 アルテの腕をサラが抑えていた。後は女子二人で、という気持ちを込め、アロンはそそくさと部屋を出た。

 しっかりと扉を閉め、隣の部屋に移動した。




 自室に入るのは何ヵ月振りだろうか。扉の向こうには懐かしい光景が広がっていた。一番目立っているのは奥の壁に立てかけられた二本の刀。片方は細く、片方は太い。まだ指南学校に通っていなかった頃、強き剣士に憧れていたアロンへ両親からプレゼントされた物だ。

 近付いて見てみると、さやはとても綺麗に磨かれていた。マールが常に部屋の手入れをしてくれていることが良く分かる。

 その刀を手に取り、さやから抜く。当時は重く、バランスを取ることすら出来なかった代物だったが、今ではブレることなく携えられる。三年間の成長度を改めて確認することが出来た。


 刀を戻し、クローゼットに向かおうとした時、薄い壁の向こうから叫び声が聞こえてきた。


『ちょっとあんたっ、何でポケットにあたしの下着入ってんのよっ』


 着替える際にバレてしまったようだ。少し笑みを浮かべながらアロンはクローゼットを開ける。

 今着ている上下黒の服を脱ぎ、緑の上着と紺のズボンを合わせた。

 下の引き出しに入っていた黒のニット帽を手に取る。


「これ、被るか……」


 少し臭いのする帽子を被り、クローゼットに取り付けられた鏡で身だしなみを整える。


 そんな時、また隣の部屋から声がする。


『やめろ! そんな所を触るな!』

『良いじゃないのぉ、減るもんじゃなしぃ』


 サラの言動は、まるでマールの少女期を思わせるかのようである。遺伝子とは恐ろしいものである。


 部屋を出ようとしたアロンがある物に目を留める。それは、机の上に置かれた短剣。護身用に買ったそれを、念のため懐に忍ばせておいた。


 部屋を出ても二人の姿はまだない。女性は支度に時間がかかる。そのため、アロンは一人廊下で待つ他なかった。




 しばらく時間が経過した時、ようやく扉が開く。先に出てきた――いや、飛び出してきたのはサラだった。顔面蒼白のサラは床に座り込み、両手を突いて項垂うなだれる。


「おい、どうしたんだ?」

「酷い……あんまりよ」

「アルテに何かされたのか?」


 近寄り、サラの肩に手を乗せて聞いてみる。


「何で……あんな綺麗な身体からだ見たことない……反則よ」

「えっ!?」


 アルテの着替えを手伝った時、ついにその身体からだを見たのだろう。サラのスタイルは相当なはず。それなのにこれだけショックを受けるということは、とアロンが頭の中で妄想を膨らませる。鼻の下は伸び、鼻の穴も膨らませて。


「変態」

「ち、違う!」


 透視されたかのようにサラが皮肉る。

 そんな最中、ひとりの少女が部屋から出てきた。


「な……っ。アルテ……その恰好……っ」


 洋服のタイプから、恐らくサラが指南学校に入学する前――十四くらいに着ていた服だろう。首元にフリルが施された赤のブラウスと白のスカート。首元はあまり開いていないが、スカートの丈は膝少し上、と普段のアルテの恰好より短い。それ以上に目を引くのは頭に取り付けられた茶色のキャスケット。それにより知的さと愛らしさを同時に併せ持っていた。


「おい、下がすーすーするぞ」


 スカートの裾を手でまみ、無愛想にアルテは言う。


「すげぇ……綺麗」

「そうか?」


 思わず本音が漏れたアロンと、少し頬を染めるアルテ。その間で床に腰を下ろすサラが交互に見る。


「キィー! 何か腹立つぅー!」


 悔しさを露骨に顔に出し、サラは立ちあがる。そして、アルテを部屋から追い出し、自分の化粧支度のため一人部屋に戻っていった。


 廊下にアルテと二人きりになる。

 視線はすぐにアルテに釘付けになる。頭の先からつま先までめ回すように見ていた。


「なんだ?」


 それを悟られたアロンは慌てて視線を戻す。


「いや、何でもない……無事に成功すると良いな」

「そうだな」


 クールなアルテは、こんな状況ですら一切顔色を変えなかった。




 それから数十分が経過し、ようやく部屋の扉は開かれた。


「おい、遅いぞ」

「ごめん。念入りにしてきたから」

「――ッ!」


 出てきたサラを見て、二人が同時に声をあげ、そして固まる。


「お前……誰だ?」


 アルテがそう言うのは当然である。

 普段のサラよりも随分と地味な服装だった。首元まで閉まった白のブラウスにうぐいす色のロングスカートを合わせていた。丁寧に厚塗りされたチークやアイシャドーなども相まって二十代前半くらいに見える。


「その反応じゃあ大成功ね」

「何で派手な服にしなかったんだ?」


 男を誘い出すのなら、てっきり娼婦の様相かと思っていたアロンが疑問を投げかける。


「ああいう服装は若い子向けだから、こういう化粧には合わないの。それに、派手な恰好でこんな難しい本持ってるのも変でしょ?」

「なるほど」


 サラの思わぬ正論に二人は驚く。今の恰好なら、その知性的ゆえ、病理本を片手に町を歩いても不自然ではない。


「お前のことだから、てっきり丸出しで出てくるのかと思ったのだが」

「バカっ! 逮捕されるわよ」

「ふっ、笑えるな。病理本片手に裸健康法を試していた女が逮捕……」


 口に手を当ててクスクスとアルテが笑う。


「何ですってぇ!」

「ほひぃ、ひゃへほぉ(おい、やめろ)」


 その様子に怒りをしたサラはアルテの頬を両手で引っ張った。

 そのなごやかな様子に、アロンは腹を抱えて静かに笑っていた。

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