第17話 浴場

 昼食と変わらぬほどに豪勢な夕食を三人で食べた後、部屋をメイドが訪ねてきた。


「失礼致します。皆さん、着替えを用意しましたので、浴場をご利用ください」


 手には三人分のローブ調の寝間着が持たれていた。それをアロンが受け取る。


「ありがとうございます」


 互いに会釈をし、メイドは去っていった。


「王族の寝間着は地味ねぇ」


 アロンの手に収められたローブを見て、乗り気ではない表情をサラが見せる。全て白の三着はどれも首元までしっかりと閉じられ、サラが今着ているような胸元にはならない。


「じゃあ、裸で寝ろ」

「バカっ! 出来るわけないでしょ!」


 すでにベッドに横たわっているアルテが、サラにジョークを浴びせる。


「ほら、浴場行くぞ?」

「わたしは行かん。勝手に行け」

「そうよねぇ。脱げないわよねぇ。盛ってるんだもんねぇ」

「は?」


 アロンにも理解不能な言葉を発するサラを、寝ながらアルテが睨んでいる。


「あたし気付いちゃったのよねぇ、あんたが着替えない理由」

「言っただろ。これしかない、と」

「いいえ、嘘よ。理由は別にあるわっ」


 一人で突っ走るサラを、アロンとアルテが気の狂った者を見るかのような残念な視線を送る。


「言ってみろ」

「あんたの体型にしてはちょっとだけ大っきくない?」

「何の話だ?」

「胸。あんた、パットで盛ってるでしょ?」

「な……っ」


 その一言にアルテは驚いているが、それと同じくらいに――いや、それ以上にアロンも驚いていた。確かに、ニナと同じくらいの体型にもかかわらず、ニナより少し大きく見える。サラやソフィよりは随分小さいが、気にはなっていた。ただ、パットと言っても固さを感じるはず。以前、教会地下でアルテを背負った時に感じた柔らかさは本物に思えたが、触ったことのないアロンは断言できない。


「図星でしょ?」

「はっ、見る目がないな。これは着痩せだ」

「嘘っ。もしそうなら結構スタイル良いじゃない。チビと貧乳はセットなはずよ?」

「お前……最低だな」


 そう言われ、我に返ったサラは頬を染める。アロンとアルテにじっと見られながら考えてみると、確かに相当酷い偏見だったと自覚したのだろう。


「怒らないってことは……本物、なの?」

「ああ」

「嘘……っ」


 事実を知り、サラは半端のないショックを受け、床にアヒル座りをし、がくりと項垂うなだれる。


「残念だったな。お前は胸だけ、だからな」

「じゃあ、見せてよ!」


 アヒル座りのまま、顔だけを起こしてサラが要求する。


「断る。わたしは風呂嫌いなのだ」

「へぇ、ずっと入ってないんだぁ。さぞ、臭うんでしょうねぇ」


 サラはアルテににじり寄る。


「なら、嗅いでみろ」

「言われなくても……えっ!?」


 横たわるアルテの髪や襟元などを嗅いだサラが、膝立ちの状態から後ろに尻もちをつく。それほどまでに驚いたらしい。


「どうだ?」

「何!?……この甘い香り」


 それは恐らく、アロンが宿屋のトイレで感じたものだろう。サラの様子を見ると、毎日風呂に入っているのに負けている、そう伝わってくる。


「ほらな? 気品あふれる者は臭いなどないのだ。差し詰め、わたしの前世は女神か何かなのだろうな」

「ぐっ……ぐすんっ……うっ、うっ」

「お、お前……泣いているのか?」

「うっさい!」


 そのまま着替えも持たずにサラは部屋を飛び出していった。床に照りを見つけた辺り、泣いていたのだろう。


「おい、行ってやれ」

「ああ」


 部屋にひとりアルテを置いて、アロンも部屋から飛び出した。二人分の着替えだけを持ち、ひとつはアルテのベッドの傍に置いておいた。

 何度か宿泊した経験のあるアロンとサラは、迷うことなく浴場を目指した。




 しばらく走ると、浴場の扉の前に立っているサラを発見する。


「おい、サラ。着替え、忘れてるぞ?」

「うっ、うっ……」


 泣いているサラの頭にポンとアロンが手を添えて慰める。


「泣くな。お前の方が可愛いし、良い匂いだ」

「……ありがと」


 どれほど歳を重ねても、泣き虫なサラに変わりはなかった。昔もこうやって何度も慰めたことをアロンは思い出していた。


 泣き止んだサラと別の浴場へ入っていく。

 だが、サラの方はすんなり入れたのに、アロンは全然入れない。男湯と書かれた方の扉が開かないからだ。


「な、なんで……!?」

「ちょっと、何してんのよ?」


 ガタガタと音を立てて格闘している兄を気にして、女湯の扉からサラが出てきた。


「開かねぇんだって」

「嘘でしょ!?」

「何でだよっ!?」


 必死に扉を引っ張っていると、後ろから声を掛けられる。


「当然です。沸かしていませんから」


 二人が振り返ると、そこにはソフィが手荷物を持って立っていた。


「ソフィ!? どういうことだ?」

「昔のように一緒に入ろうかと思いまして」

「えぇぇっ!!」


 兄妹が同時に叫ぶ。動じることなく、ソフィはニコリと微笑ほほえんでいた。


「ム、ム、ムリムリっ! 絶対ムリっ!」


 真っ赤な顔でぶんぶんとサラは顔を横に振る。


「裸で、なんて言ってませんよ? タオルを巻けば大丈夫です」

「そういう問題じゃないわよっ」


 ソフィとサラのやり取りを見て、この場から離れようとしたアロンがソフィに捕まえられる。


「ささ、お二人とも、行きましょう」

「いぃぃいいやぁぁあああ!」


 強制的にソフィに背中を押され、泣く泣く二人は女湯へと足を運んだ。

 先に入れとサラに言われ、二人に見られないようにコソコソと脱衣を済ませ、浴場にアロンが先に入る。

 急いでかけ湯をし、湯船にかった。

 かりながら辺りを見やると、その大きさにはいつも驚かされる。湯船の中には十人以上入れそうであり、洗い場も八ヵ所ほど存在していた。ここが風呂ではなく、業務用の大浴場だと言われても疑わないだろう。


 そんなことを考えていると、浴場入り口が開けられる。


 そこには白のタオルを身体からだに巻いた若き乙女二人が並んで立っていた。


「アロンっ。あっち向いて!」

「はいっ!」


 すぐに従い、アロンは壁の方を向く。ひたひたと二人の足音が近付いてくる。


「アロン、勇気を出しても良いのですよ?」

「ソフィ! 変なこと言わないで」

「ふふっ、サラったら、もうのぼせているような顔をして」

「もうっ」


 その後、ぽちゃんという音を立て、二人が入湯してくる。入ってきた勢いで発生した小さな波が、アロンの背中に当たる。


「こうして三人で入っていると、懐かしく感じますね」

「こんな風に入るのは十年振りくらいだな」

「皆、それぞれの人生を歩み、成長したのですね」


 ソフィの言葉に三人が頭の中を巡らす。


「それにしてもサラ、成長しましたね」

「ち、ちょっとソフィ、ツンツンしないで」


 案外ソフィはお調子者なのだ。普段は王女という身分のために気丈夫であることを演じているが、二人の前ではこの様子だ。


「けど、ソフィ、三人になった理由、あるんだろ?」


 壁を向きながらアロンが話題を振ると、ソフィが応じる。


「アロンにひとつ聞きたいのですが、アルテさんとはどこで知り合ったのです?」


 予想通りの話題。甲の口づけを通して誓い合ったように見えるが、心から信用などしているはずがない。ソフィはうたぐり深く、そして人類種サピエンスのためなら自らの生命いのちを投げ出す覚悟で王女をやってきた。生まれながらに叡智の結晶の如く才を持っていたソフィは、人類種サピエンスの希望になりたいとリーヴ王に誓ったと昔に聞いた。


「路地裏に倒れてたんだよ。空腹で動けないって言うから酒場に連れてったんだ」


 そんなソフィを裏切るかのように、この時のアロンは嘘をついた。何故嘘をついたのか、アロン自身にも分からなかった。


「そうですか」

「じゃあ、用事に行った帰りに出会ったのね」

「用事とは?」


 サラが実家の時の記憶を辿たどってソフィに言う。


「釈放日、アロン実家に居たのよ。心配で見に行ったら寝ててね。寮に帰ろうって言ったんだけど、夜に用事があるって」

「アロン、何の用事だったのです?」


 叡智に徐々に追い込まれるアロン。聡明なソフィを騙し続けられるだろうかとアロンの心は不安にまれそうだった。


「教会に礼拝をしに、な。夜五時過ぎてたから普通ダメなんだけど、牢屋に入れられた罪を懺悔ざんげしとこうと思って」

「しかし、あれは冤罪えんざいだったのでは?」

「そうだけど、一応、な」

「そう……ですか」


 少しソフィの声が曇る。


「そういえば、その日寮に帰ってこなかったよね? どこに居たの?」


 普段はピンと来ないサラだが、りにって確信ばかりを突いてくる。サラのことだ、故意ではないのだろうが。


「帰るとこがないって言うから宿屋に泊まったんだ」

「えっ、それって当然別々よね?」

「いや……同部屋」

「何ですってぇ!」


 事実を知り、サラが湯を叩く。


「いや、空いてなかったんだ、一部屋しか」

「ったく。寮と同じ言い訳して」


 いじけるような言い方をサラがする。


「アロンは……アルテさんが好き……なのですか?」

「い、いや、全然っ! これっぽっちも!」

「そうですか」


 静寂が訪れる。聞こえるのは湯口ゆぐちから流れるせせらぎのみ。


「二人共、私の目を見て」

「えっ!? けど、アロンが――」

「良いからっ。お願いっ」


 静寂をかき消すかのように強く放たれたソフィの言葉。そこには敬語などなく、当時の彼女を感じた。

 意を決したアロンが振り返ると、真剣な眼差しを向けるソフィが見える。隣のサラもソフィを見ていた。


「私は外界とは触れずに生きてきました。そのため、友人と呼べるのは二人だけ。私が心から信じられるのはアロンとサラ、あなたたちだけです。だから、約束して……私を裏切らない、と」

「当たり前じゃない、ソフィ」


 すぐに返答したサラとは違い、アロンは少し間を取った。その一瞬の最中、脳裏をよぎったのは、やはりアルテの姿だった。


「ああ、裏切らない」


 自らの二面性を悔いながら、アロンはソフィにそう告げた。

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