第7話 十八歳クラス

 学長室と札が下がる扉の外、アロンとアルテが立つ。握手の後、深々と頭を下げるアロンを無視し、最後までアルテはルークに頭を下げず、媚びる仕草は微塵もなかった。


「おい、失礼だぞ。学長だぞ?」

「知らん。ただの眼鏡のおっさんだろ」

「しーっ! 聞こえるぞ」


 口の前に指を立て、アルテをさとすも素知らぬ顔で廊下を歩いていく。その背中を追ってアロンが呟く。


「今度は間違えなかったな」

「うるさい」


 極度の方向音痴なら、と少しばかり期待したが、三度目は生じなかった。二度あることは三度あると思ったのだが、アルテも学習したらしい。


「これで、ようやく寝られるな」

「バカかっ、今から座学っ。座学室に行くのっ」

「は? 聞いてないぞ」


 足取り軽く歩いていると思ったら、とんだ勘違いをしているようだ。校舎を出ようとしたアルテが足を止める。


「さっきサラが言ってたろ? 先に行ってるって」

「はぁ……どこだ?」


 肩を落としたアルテが、無愛想に足取り重く、アロンの後に付いていく。

 学長室があった通路とは反対に真っ直ぐ進んだ突き当たり、そこにアロンたちが常使用している座学室があった。

 その扉の前で二人が立つ。


「小汚い扉だな」

「仕方ないだろっ。由緒あるっつったろ。古くて当然だろ」

「直せないのか?」

「それも昨日言ったよな? 物資不足だって」

「すまんな。どうでも良いことは覚えん性分でな」


 余りの性悪に中身を清楚キャラに取り替えたいとアロンは本気で感じていた。容姿が清楚だから我慢していたが、度を越した毒舌家だ。


 アロンが部屋の扉に手を掛け、それをガラリという音を立てながら開ける。

 今の今まで廊下までざわついていた生徒の騒ぎ声は一瞬にして静まり、二人にスポットライトが向けられた。その様子を見ると、恐らく正門でのやり取りや廊下での噂などが瞬時に学内を駆け巡ったのだろうと推測できた。中途入学者はそれだけでも目立つ上に、アルテのこの美貌を以てすれば当然の結果だ。案の定、女生徒からは煙たい目で見られ、男生徒からは憧憬しょうけいの眼差しが向けられていた。鼻の下を伸ばす彼らを見て男のさがを情けなく感じていた。アロン自身にも心当たりはあるのだが。

 そんな生徒の中に、サラとイスカの姿があった。後列に座る二人に向かい、歩いていく。


「やっと来た。遅いのよ」

「悪いな。手続きに時間が掛かったんだ」


 机に向かい、頬杖を突きながらサラが怪訝けげんそうに言ってくる。

 次の瞬間、唐突に緑のローブを着た幼馴染が立ちあがり、アロンに深々と頭を下げる。


「ご、ごめん……アロン。僕のせいで……」


 その行為からは、アロンの冤罪えんざいの因果を悔いる謝罪の念がうかがい知れた。


「イスカのせいじゃない。気にすんな。書物は破けたりしてなかったか?」

「うん……大丈夫。ほんと、ごめん……」


 両手を胸の前で組み、モジモジとさせる黒のおかっぱ頭に眼鏡の男生徒は以前にも語ったイスカ=トリオレである。生まれてすぐ孤児となり、修道院で育ったイスカは、その境遇ゆえなのか極度の人見知りだ。修道院のしきたりとして通う教会でアロンとサラと出会ったのだが、その際も二人が話し掛けるまでずっと隅の方でしゃがんでいた。それからの付き合いになるため、ようやく心を許し合えるようになったのだが、依然として初対面の相手には気苦労しがちだ。


「なんだ? このチビは」

「――ッ!」


 そんな人見知りに非道な言葉をアルテが放つ。一瞬にして縮こまったイスカがアロンの背中に隠れた。


「やめろ、アルテ。イスカは気が弱いんだから」

「男の癖に情けないな」


 余りの暴言にうぅぅと情けなくイスカが呟く。その様子を見ていたサラが勢いよく立ち上がりさとす。


「あんたの方がチビじゃないのっ」


 確かにサラの言う通り、イスカは短身ではあるが、並べば少しばかりアルテの方が低かった。


「男の割に、という意味だ」

「言うけど、あんた、この部屋の中で一番小さいじゃない」


 友を馬鹿にされ、サラが切り返す。言われた意味を確認するため、アルテが室内を見渡す。静まり返る室内にアルテの視線だけが移動していく。


「チッ」


 全てをチェックし終えたアルテは腑に落ちないようだが、舌打ちを響かせた。


「納得したのね。あら、可哀想」

「やはりお前は嫌いだ」


 互いに、ふんっと一言浴びせてそっぽを向いた。指定席ではないため、後列に左からアルテ、アロン、サラ、そしてイスカの順に腰掛けた。

 腰掛けるとすぐ、ルークが前方扉から入室してきた。それを見て、立ち話をしている生徒たちは急いで席につく。


「えー、座学を始める前に一つお知らせが」


 この場に座る三十名ほどの生徒全員がそのお知らせ内容を把握していそうである。


「この十八歳クラスに新しい仲間が増えました。さあ、こちらへ」


 ルークが手を広げて言葉を発する。その後すぐにこの場が凍り付く。なぜなら、その掛け声にアルテが一切応じず、頬杖を突いて窓の外を見ていたからだ。その結果、仏の表情でルークが手を広げたままという滑稽なワンシーンが出来あがっていた。尊敬する師であるルークの指示に従わない者がいることに生徒全員が唖然としている。


「おいっ、アルテ。行けよ」

「そういうのは好かん」

「そういう問題じゃねぇ! ルーク先生が呼んでるんだぞ?」


 アロンが焦るのも無理はない。にこやかな表情だから勘違いされやすいが、ルークは誰もが認める、現リーヴ王国最高の魔術師だ。それは魔術だけに留まらず、剣術にしても相当なもの。そのため、ここで剣術魔術を志す者からすれば神のような存在なのだ。

 アロンの呼びかけに、全生徒がうなずいている。その様子を目にしたアルテは嫌々立ち上がる。

 ゆっくりと長机の間の通路を歩き、ルークに近付いていく。

 ようやくルークの真横に立ち、生徒側に顔を向けた。


「恥ずかしかったのでしょう。それでは自己紹介を」


 いつも通り怒ることは一切なく、アルテを促すルーク。その包容力に尊敬の念を皆が抱く。


「アルテ=カリスだ」


 余りの短さに再び空気が重くなる。


「え!? それだけですか?」

「そうだが?」


 珍しく二度見をするような焦りを見せたルークを物ともせず、何が悪いのかという具合に聞き返している。


「あの、他に何かありませんか? 好きなもの……そう、食べ物などは?」


 突然の質問に目をつむり、軽く顎を引いて考えている。そうやって目を開けて一言。


「……エビグラタン」


 ようやくアルテの口から普通の単語が聞けたことで生徒たちから声が漏れる。異常者かと思われていた少女から出たその一言は、可愛らしい食べ物を好む普通の女の子だと認知させるには十分だった。アロンだけは別のことを考えていた。やはりエビグラタンを気に入っていたのだな、と。


「良いですね、エビグラタン。この町の酒場のものがお薦めですよね。私もよく伺いますよ」


 上手くルークが話を合わせてくれている。そのため、特段問題は起こらず、アルテの自己紹介は幕を閉じた。

 前方からアルテが通路を進み、アロンの隣に戻ってくる。

 座ったアルテにアロンが声を掛けた。


「やっぱ、お前、昨日の気に入ってたんだな」

「うるさい」


 その会話を隣で聞いていたサラは見逃さなかった。


「昨日のって何よ? 二人で何してたのよ?」

「あぁ、昨日アルテが――」

「やめろ。その女には話すな」


 説明をしようとしたアロンの言葉を途中でアルテが遮る。


「何でよっ、あたしは妹よ。知る権利が――」

「我々だけの秘密だ」

「なによっ!」


 怒り心頭のサラは場の状況を忘れ、立ちあがって怒鳴った。

 少しの静けさの後、ルークが告げる。


「サラさん、座学中です。お座り願えますか?」

「す、すみません……っ」


 状況を把握したサラが一瞬にして頬を真っ赤にし、座り直す。


「ふっ」


 その一連のやり取りを見ていたアルテが吹いた。その音をサラは聞き逃さず、間に座るアロンを避けてアルテを見やる。


「あとで覚えてなさいよ」


 激昂げきこうするサラを全く気にもしないで、アルテは窓の外を眺めていた。

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