第5話 消えない謎
夕食を終えた二人は酒場を後にする。
「お前、よく三皿も食えるな」
案外気に入ったらしく、あの後エビグラタンを二つ追加して少女は見事に平らげた。その代償として、アロンの懐は少し寂しくなる。
「絶品ではないがな」
「よく言うな。最後の方、ほっぺに付けたホワイトソースを気にも留めずの食いっぷりだった癖に」
「……」
ほんの少しだけ恥ずかしそうな顔でアロンを横目で見た。少女が先に人の群れに入り、歩き始める。それを追うようにアロンが続いた。
「怒るなって」
「怒ってなどない。それより疲れた。寝床を用意しろ」
口ではそうは言っているが、踏み込む足には力が込められていた。それが言葉にも現れたのか、口の悪い言い方で寝床を要求している。可愛げがないと思いながらもアロンは提供する場を考える。
思いつくのは三ヵ所。実家、寮、宿屋だ。
実家は酒場に入る際にも言及したが、酷く問題になるのは母親の存在である。サラは寮に戻っているため不在であり、父親は厳格で無口だ。厳格と言っても異性交流に関しては無関心で放任主義。そのため、恋人らしき人物を前にしても軽く会釈をする程度だろう。だが、母親は違う。天然でお調子者のあの母親なら必ず根掘り葉掘り聞いてくる。アロンですら全く素性の知れない少女について語れるはずもなく、かと言って可愛いもの好きの母親のことだ、少女を触りまくることだろう。その結果、少女がキレる。目に見えた結末だ。
寮についても、現時刻では入学手続きなどできないだろう。当然生徒以外は寮を使用できないわけで、この候補も外れることになる。
ともすれば、消去法で宿屋ということになる。男女同部屋とはいかず、二部屋を取らなければならず、それはアロンの懐にさらなるダメージを負わすことを意味していた。下手をすると財布の中身はすべて消えそうである。
「どうした? ないのか?」
歩きながら顎に手を当てて考え込むアロンに、先に進んでいた少女が足を止めて振り向いて声を掛ける。
「いや、無くはないが……」
「なら、そこへ行くぞ」
さっきまで死ぬ寸前の様子だった少女は、意気揚々と歩みを進める。食物を胃に送るだけでこれほどまでに回復するとは。そのうしろを、人の気も知らないで、と言いたげなアロンが重い足取りで追いかけた。
しばらく歩くと目的の宿屋はあった。酒場と同じくらいに大きな平屋の建物。
その正面扉を少女が開けて勝手に入っていく。
「おいっ」
アロンが声をあげ、渋々、その後を追い、宿の中に入った。
遅い時間だからだろう、受付には若い女性店員がひとり立っているだけで、周りには誰ひとりとしていなかった。もうすでに客たちは部屋に戻っているのだろう。
その受付の脇で、アロンに任せようと黙って引いて立つ少女。その目力に押され、アロンは受付に向かう。
「今日、二部屋お願いできますか?」
「少々お待ちください」
若い女性は受付台に置かれたリストを確認し始める。上から下まで調べてから告げる。
「生憎、本日は一部屋しか空いておりません」
「えっ!? それってツインですか?」
「いえ、ダブルでございます」
非常に困った表情を浮かべ、アロンが少女を見やる。少女はその意図を汲み取れないようだ。
「なんだ? 空いてないのか?」
「いや、空いてるっちゃあ空いてるんだが」
「そうか。なら、そこにしよう」
受付に向けて一歩踏み込んできた少女をアロンは制止させる。
「やっぱ他を当たろう」
「なぜだ?」
「一部屋しか空きがないらしい。男女同部屋は流石に――」
「構わん」
「だけど、ツインじゃなくてダブルだぞ? 一つのベッドだぞ?」
「構わんと言っているだろっ」
アロンのことを異性として認めていないのか、余りの疲れで気が狂ったか。アロンに有無を言わせず、少女が受付で手続きを済ませた。笑顔で会釈をしながら女性店員が少女に部屋の鍵を手渡す。それをお辞儀もなく、無表情で受け取り、少女は通路へ歩いていった。
早歩きの少女を駆け足でアロンが追いかけて引き留める。
「ちょっと待て!」
「なんだ! しつこいぞ。気にしてなど――」
「そっちじゃなくて、こっちだ」
振り向いて威圧的だった少女が一瞬にして頬を染める。実は気にしているからなのか、単に方向音痴なのか。
「先に言え!」
「お前が勝手に歩いて行ったんだろーが」
今度はアロンが先に通路を歩き、下を向いた少女が後を追う形となる。
しばらく進むと目的の部屋があった。少女から鍵を受け取ったアロンが部屋の扉を開ける。
中は普通の広さであり、さほど綺麗でもない。いや、こんなものなのかもしれない。十五まで実家暮らし、それから現在まで寮暮らしをしてきたアロンにとっては、少女と同じくこの場は初めて触れる場であった。そのため、宿屋内の清掃具合が判断し得なくても無理はない。
ぼうっと立つアロンをよそに、その横を素通りして部屋奥へと少女が歩いていく。そして、左手に置かれたダブルベッドに飛び乗り、大の字を描くように仰向けになった。
「よっぽど疲れてたんだな」
「まぁな。あっ、二人で使うんだったな」
中央で仰向けになっていた少女は足を閉じ、よじよじと右半分に
「良いって。俺は床で寝るから」
扉を閉めて鍵を掛け、頭を掻きながらベッドに近付くアロンを、少女は
「さっきから気になってはいたが、そんなにわたしの隣が嫌か?」
「いや、そんなことは……」
そのままゴロンとアロンに背中を向け、少女は言う。
「安心しろ。殺したりなどしない」
「いや、そういう意味でもないんだが」
「なら、どういう意味だ?」
ふたたび
「いや、その、なんだ……俺も男だから」
「あぁ、そういう」
ようやく意味を理解したのか、またゴロンして背中をアロンに向けて言ってくる。
「手を出しても良いぞ?」
「えっ!?」
突拍子もない少女の言動にアロンの心臓は破裂寸前だ。だが、次の瞬間、すぐに我に返る。
「その手は失うだろうがな」
「やめておきます」
余りの覇気ある言葉が、教会地下での出来事を思い出させた。そのことを頭に描きながら少女の隣に横たわる。二人で一つの掛布団を使い、すぐに静寂が訪れた。
横には窓の方を向く少女。ただ、一瞬でもアロンを殺そうとした少女であることも事実である。もし、何か聞き出せたらという思いがアロンの口を開かせた。
「ちょっと聞いて良いか?」
「疲れてると言っただろ……なんだ?」
「あの時、なんで俺を殺そうとしたんだ?」
「さぁな。ムカついたからだろ」
「酷い理由だな。もう一つ、お前は何族だ?」
「心当たりを言ってみろ」
出会った時には、関係ないと拒んだ少女が問題提起という形で応答してくれている。ずばりの正解など当てられないだろうし、少女が真実を語るとも限らない。それでも、アロンは心当たりをぶつけてみた。
「あの瞬発力、
「わたしに耳と尻尾があったか?」
「なら
「わたしはそんなに硬かったか?」
そう言われてすぐ、胸や太ももの感触を思い出し、アロンは恥ずかしさを感じる。
「いや、柔らかかった。じゃあ……
「お前がそう思うなら、そうなのだろう」
最後の最後で語らない。悔しいが、これ以上は突っ込んで聞けそうにない。見た目は
「もう一つ良いか?」
「もうやめないか? 寝たいんだが」
「名前、教えてくれないか?」
その問いにだけ、返答までにしばらくの時間を有した。
「言いたくないのか?」
「そうでもない。名などどうでも良いと思っているだけだ」
「俺は知りたいっ、お前の名前」
「…………アルテだ。アルテ=カリスだ」
アロンの熱意に打たれたのか、しばしの静寂を切って少女は名を口にした。
「アルテ……可愛い名前だな」
「うるさいっ。もう寝ろ」
「俺の名前はどうだ?」
「……ムカつく名だ」
「はは、そっか」
そんなやり取りをして、二人は眠りに落ちるのだった。
※※※
深い眠りに落ちるアロンに話し掛ける声。
「おいっ」
その声で目を覚ましたアロンは声の主に目を送る。
「あぁ、アルテか。なんだ? まだ暗いじゃねぇか。今何時だ?」
「そんなことはどうでも良い。どこにあるのだ?」
「何が?」
仰向けになりながらアルテを見てみると、立ってはいるが、なぜか足元をそわそわさせている。何となく察したアロンが言ってみる。
「トイレか?」
「そうだ。どこだ?」
「お前、酒場で水飲みすぎなんだって」
「良いからっ。早くしろ」
その焦り様からアロンが少しだけ
「俺が教えなかったら漏らしたりして」
その言葉にアルテの何かが切れ、右手に白き光が集約し始める。
「待てっ。行きますっ、すぐ行きますっ」
アルテの怒りは鎮まり、二人で部屋を出て共同トイレに足を運ぶ。
「んじゃ、部屋に戻ってるから」
「待て! 先に行くな。戻れなくなる」
どうやら本当に方向音痴らしい。扉を閉めて用を足すアルテを廊下で待つ。夜中の冷えの影響か、アロンまで尿意を催してきた。ひとつしかない共同トイレが空くのをただひたすら待った。
「待たせたな。戻るぞ」
すっきりした顔で出てきたアルテにアロンが告げる。
「俺も行っとくから待っててくれ」
「な……っ。後にしろ」
なぜか
「なんで? 俺も漏れそうなんだ」
「チッ、早くしろ」
何かを諦めたアルテは腕組みをし、右足のつま先をトントンとさせている。それをよそにアロンがトイレの中に入る。
尿意が緊急だというのになぜか気持ちはよそに向く。その理由は、この空間の匂いだ。芳香などの類は一切置かれていないのに、とても可憐で華やいだ香り。その匂いだけで背筋はゾクゾクとしたが、アロンが放つ尿から発するピラフの香りが悲しみを沸き立てた。
トイレを出ると、睨みを利かせるアルテが見える。
「何か気になったか?」
その言葉ですぐ、自らのにおいを気にして咎めてきたのだと気付き、アロンが渾身のフォローを決める。
「凄く良い匂いだった」
「うるさいっ。戻るぞ」
怒り歩調なアルテを追いかけてアロンは告げる。
「アルテ」
「なんだ!」
「だから、こっち」
ふたたび道を間違えたアルテに反論の余地はなく、黙ってアロンの後をついて行くのだった。
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