第4話 異質者

 目の前に倒れる少女から言葉はない。力を使い過ぎて絶命したのか。


「おい、大丈夫か?」


 自らを殺そうとした相手に対しても律儀に配慮するアロン。だが、その実、この少女に惚れていたからなのかもしれない。もし、違う相手であったのなら一目散に逃げていたのだろう。

 静寂を切り裂くように、ぐぅぅという間抜けな音が軽く鳴る。


「お前、腹減ってんのか?」

「……」


 その問いかけに返事はない。もう襲われることはないだろう、とアロンは立ちあがり、近くに転がる剣をさやに納めて少女に近付く。


「なぁ、どうなんだ?」

「触るな」


 少女の肩に手を伸ばしたが、触れる前に一蹴いっしゅうされる。うつ伏せになりながらも目だけはアロンをとらえていた。


「けど動けないんだろ? このままじゃ餓死するぞ?」


 埃をかぶった木床きどこに頬をつける少女に同情の念を抱く。


「放っとけ」


 それでも強情な少女に呆れたアロンはうさぎ跳びのような格好でその場にしゃがみ、背中を少女に向けた。


「ほら」

「何の真似だ?」


 突然のことに、少女は少しばかり手をついて身体からだを起こす。


「おぶってやる。乗れ」

「――ッ! ふざけるなっ」


 初めて冷静さを欠いた少女の返答にアロンが続ける。


「なら、お姫様抱っこの方が良いか?」

「……チッ」


 諦めたのか、最後の力を振り絞り、ふらふらになりながら立ち上がる少女。アロンの背中のすぐ傍まで来て一言。


「良いのか? 背中から心臓をぶち抜かれるかも知れんぞ?」

「構わない。さあ」

「……」


 そうは言ってもアロンの心情は穏やかではなかった。本当に殺されるかもしれない、そうは思った。ただ、少女を見捨てられない気持ちの方が大いに勝っただけだ。

 そのアロンの信念に心打たれたのか、いやに素直に少女は身体からだをアロンの背中に預けた。

 少女の太ももを支えて立ち上がったアロンはすぐに感じる。その異様な軽さに。華奢だとは思っていたが、想像以上の体重だった。それに、さっきの跳躍力や馬力から筋肉質を推測するも裏切られ、その太ももは餅のようにしなやかで柔らかかった。極めつけは背中の中央辺りに感じる丘だ。てっきり慎ましやかだと思われた少女の胸は意外にも大きく、着痩せするタイプなのだと分かった。その上、鼻を突く香しい少女の匂い。この歳まで恋人などいなかったアロンにとって、それは刺激が強すぎ、鼓動が高鳴る中、しばらく動けずにいた。


「おい、何をしている? 重いのか?」

「い、いや、違う。さあ、行こう」

「?」


 アロンが何に動揺しているのか理解し得ないと言った不思議そうな面持ちを少女は浮かべていた。


 来た時と同じように右手をかざしてライトを発動する。それを見ても別段少女は何も言ってこなかった。それより優れた能力を有している少女にとっては当然か。


 白扉を開けて、元来た道を戻る。そうやって行き着いた先には――。


「おい、行けるのか?」


 死闘の余韻で忘れていたアロンが目の前の強烈な階段を見て冷や汗をかく。そうだった、ここを下りてきたのだった、と。


「だ、大丈夫だ」


 行きしより明らかに重い足取りで一歩ずつ階段を上っていく。アロンの顔からは、キツイ、ムリだろ、と聞こえてくるようだ。

 中間地点まで上った所で少女が一言。


「男の癖に情けないな。汗だくだぞ?」

「くっ……大丈夫だ。鍛えてるからな」

「だと良いが」


 図星を指され、ムキになりながらアロンは残り半分を上っていく。

 そうやって繰り返し足を踏み込み続けると、ようやく上の方に光を感じ取れた。


「やった、ゴールだ……っ」


 感極まりそうなアロンの背中で少女が言う。


「もう一往復行くか?」

「バカかっ。ムリに決まってんだろーが!」

「ふっ」


 アロンのツッコミがツボに入ったのか、無表情のまま少女が息を吐く。だが、必死のアロンの耳には少女の吐息は聞こえてはいなかった。


 全ての段差を上り切り、スタート地点の聖母マリア像の前にたどり着く。そのまますぐに礼拝者用の椅子まで移動して、おぶる少女を下ろす。


「ここで食事か?」

「いや……違う。ちょっと休憩させてくれ」


 ふらふらの状態で少女の隣に腰を下ろす。足を投げ出し、天を見上げて目をつむるアロンを見て少女が一言。


「非力だな」

「く……っ。お前なっ」


 横を見てアロンが指摘した時には少女の視線はマリア像に向いていた。


「ここは残ったのか……」


 小さな声で告げた少女の言葉の意味は理解できない。


「大陸で一番古い教会らしい。毎日多くの聖者が拝みに来てるよ」

「多く? 人類種サピエンスはそんなにまだ居るのか?」


 少女の話からは人類種サピエンスのことを何も知らないと言った様子だ。絶対に違う種族だと分かる。このまま町をウロウロすれば、検問を突破した違法少女になるだろう。だが、外見はどう見ても人類種サピエンスであるため、墓穴を掘らなければ決してバレることはない。いや、そう信じるしかなかった。


「ああ、いっぱい居るぞ。見せてやる」


 少女を椅子に座らせたまま、出発前に祭壇へ向かう。半分ズレたままでは全国民に種明かしをしているようなもの。そうならないためにナンバーキーに誤入力させると、想像通り祭壇は音を立てて元の位置に戻り始めた。戻るまでの間、アロンがちらりと少女を見やると、少女は目を閉じて下を向いていた。強がっているが、体力の限界であることがうかがえる。

 祭壇が定位置についたことを確認し、傍らに落ちた木製板を拾い上げ、ナンバーキーに蓋をする。ふたたび少女の元へ戻り、おぶる姿勢を提示する。


「ほら」

「あぁ」


 寝ていたのか、アロンの声掛けで頭を上げた少女は何の躊躇ためらいもなく、アロンの背中に身を預けた。立ち上がり、入り口を目指す。


 一応、ゆっくりと扉を開けて外に気配がないかを確認してから出る。幸運にも誰の目に触れるでもなく、脱出できた。おぶっている以上、目立つのは致し方ない。だが、教会から出た者と思われなければ、後はどう想像されようと問題ない。

 人の多い通りに差し掛かると、案の定、視線は二人に向けられる。さながら異質な者を見るかのように。理由は少女が着ている服装なのだろう。こんな装飾品、この町ではあまりお目にかからないからだ。あとは、男が恋人を背負っている、はたまた兄が妹を背負っている、と言ったところだろう。

 そんな行き交う人々を、目を見開き、しかし少し悲しそうな目で少女は眺めていた。


 向かったのは誕生日会を開いた酒場だ。嫌な記憶が甦るため、乗り気ではなかったが仕方ない。ほかの食事処は遠いし、実家にも行きづらい。恋バナ好きの母親のことだ。「アロンに初めての恋人ができたぁ」などと言って大はしゃぎし、厄介事に巻き込まれるがオチだ。


「ここに入るぞ」


 少女は目をつむり、返事はなかった。


 扉を開けるとカランという鐘の音が響く。それと同時に陽気な客の声は静まり、瞬時に二人へと視線が集まった。つい最近揉め事を起こした犯罪者と得体の知れない美少女。注目を浴びて当然だ。

 静まり返る中、歩みを進め、空いている席に少女を座らせた。その後、アロンも腰掛ける。

 その様子を見ていた、緑のエプロン姿の筋肉質な長身中年マスターがカウンターを離れて近付いてくる。


「アロン。大丈夫だったのか?」

「まぁ、何とか」

「あれからゴロツキは一歩も入れてないからな。悪かったな」

「マスターのせいじゃないって。それよりこの子にお薦め頼めるかな?」


 気まずそうだったマスターが少女に視線を向ける。その頃には、周りの陽気な音が元に戻っていた。マスターが介入したことで客も納得したのだろう。


「お前のオンナか?」

「ち、違うって。偶然知り合っただけ」

「にしても、ベッピンさんだな。こんな子見たことないぞ。あっ、サラちゃんも目立つ方ではあるがな」

「アイツはダメっすよ。中身が腹黒なんで」

「言うねぇ。今度、報告しとこうか?」

「いえ、それだけはっ」


 焦り顔のアロンを見て、大きな笑い声を上げながらカウンター奥へと戻っていった。

 少女はそんなやり取りをただ黙って眺めているだけだった。


 しばらくしてマスターがお薦めを二つ運んできた。この店自慢の海鮮ピラフとエビグラタンだ。少女にニコリと笑みを送ってマスターは戻る。


「どっちでも良いぞ?」


 目の前の二品を少女の前へやって、選ばせる。しばらく二品を交互に見て少女は告げる。


「こっち」


 少女はピラフを指差し、それを見たアロンが少女の前に皿を置く。スプーンを手渡して言う。


「どうぞ」


 それを受け、挨拶もなく少女はスプーンで一口分を掬い取り、口に運んだ。その瞬間、目をピクリとさせて言ってきた。


「あまり旨くないな」

「えっ!?」


 少女の一言に場が凍る。二人が来店してきた時のような静寂が訪れ、マスターが呆然としていた。


「味が薄い」

「仕方ねぇだろ。調味料とかの物資が不足してんだから」


 確かに指摘の通り、塩分は控えめだろう。控えているのではなくて使えないのだ。そのことを知らない少女がもう一つの皿に目を向けている。


「こっちも食べたいのか?」


 スプーンを口に入れたまま、軽くうなずいたのを見て、アロンはグラタンを少女に差し出す。ピラフの皿を脇によけ、今度はグラタンにスプーンを伸ばした。先程と同じように掬い取ったそれを口に運ぼうとする。口に入るまで、他の客やマスターが食い入るように少女の顔を見ていた。次の評価が気になるのだろう。静寂の中、口に入れて少女が一言。


「……これは、まあまあだな」


 その一言に安堵した店内の人々が陽気な声を復活させる。マスターもカウンター奥から親指を立てる仕草をアロンに送っていた。

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