4/4(日) 晴れ

 清々しいほどの晴天である。これほど晴天という言葉が似つかわしい日は通年で見ても数える程しかないだろう。絶好のお花見日和である。

 事は昨日まで遡る。何らかの音がしていないと落ち着かない性格の妻は昼間からテレビを垂れ流していた。平日ですら不快な報道の仕方しかしないワイドショーは土日ともなると切れ味が増し、自分よりも更に一回り程上の老人が凝り固まった思考を舌足らずに披露する。僕は二階の元息子の部屋にして、現自室へと向かった。

 テレビの音を振り切るかのように読みかけの本を手に取り、想像の世界へと漕ぎ出した。若い頃は注意散漫のために集中力が続かず、小説などは休み休みにしか読めなかったものだが、不思議なことに年を重ねていく程に集中力が続くようになる。これが俗にいう視野が狭くなることへの前触れだとするならば、今しばらくは注意散漫なままでいい気もする。

 丁度一冊読み終え、時計を見ると昼飯時である。とけるように2時間が過ぎていた。妻の階段を上る足音が聞こえる。程なくして部屋のドアが鳴る。

 「お昼にしよう。」

 それだけ言って妻はまた階下へと下っていった。後を追うようにして階段を下り、今に入ると食卓には昨日の残り物の豚キムチと味噌汁が並べられていた。テレビはワイドショーの時間は過ぎたらしく、平日のバラエティー番組の再放送がやっている。

 昼食を食べだして暫くすると妻が口を開いた。

 「桜、そろそろ散っちゃうらしいわよ。」

 「ああ、もうそんな時期か。ついこの間咲いたばかりなのにな。」

 時間の流れは恐ろしく速い。何をそんなに急いでいるのだろうか、と問いたくなる。

 「明日、お花見行かない?小金井公園に。」

 

                  〇

 

 今朝は早かった。いつもは8時に起きるところを6時半に起こされた。いくら年を取ったからとはいえ、流石にまだ6時半に自然と目が覚める程ではない。

 まだ半分は眠っているような状態の体に、おはようの水を通し、顔を洗う。適当に朝食を済ませると、お花見の準備に取り掛かった。お花見とはいうものの、要は桜の木の下でするピクニックのことである。

 ピクニックはお弁当がなければ始まらないのは周知の事実であり、もちろんこれも僕の担当である。妻も言い出しっぺであるのに任せきりなことに引け目を感じたのだろうか、手伝ってくれるようだった。おにぎりとおかずを作ることにし、妻には飲み物の準備を頼んだ。

 おにぎりは妻と自分に2つずつ作る。茶碗にラップを気持ち大きめに敷き、そこに少量の塩を振っておく。ご飯を7分目くらいまでよそい、具を入れたら蓋をするようにご飯を乗せ、最後に塩を少し振って成型していく。熱さは気合で乗り切るしかない、と妻は語る。おにぎりの具は梅と紅生姜だ。

 「梅おにぎりを疎かにする者は日本人に非ず」というのは完全に個人の見解であるが、それほどまでに僕は梅おにぎりを好いている。そのため梅おにぎりに梅の果肉を使わないようなコンビニではおにぎりを買わないし、他のお弁当などにも一抹の不安を覚える。今回の梅おにぎりも、もちろん果肉を使っており、また食べやすさにも配慮して種はあらかじめ取除いてある。

 紅生姜おにぎりと聞くと、奇妙なものだと顔をしかめる人もいるかもしれない。しかし、その組み合わせは魅惑の爆発力を秘めている。お気づきかもしれないが、僕は牛丼の牛と紅しょうがの比率が逆転していても良いと感じる程に紅生姜が好きなのである。紅生姜は柚子胡椒と同じくらいどの料理にも合う万能食材であると考えている。今回も例外ではない。

 「中には何を入れたの?」

 「食べたときのお楽しみ。」

 まあ、大体は想像つくけど、と言いながら妻はお湯を沸かし始めた。春とは言え外は冷える。暖かい飲み物を持っていこうという配慮なのだろう。

 僕もおかず作りに取り掛かる。卵を2つ割り、塩昆布を入れる。そこに更に砂糖と白出汁を少しずつ入れ混ぜていく。油を引いたフライパンに溶いた卵の3分の1を入れ、フライパン全体に広げる。余談だが、我が家に卵焼き用のフライパンはない。卵が固まってきたら、奥から手前に向かって巻いていき、巻き終わったものはまた奥へ持っていく。残った卵の半分を入れ、固まるのを待ってからまた巻く。最後に残った分を入れ、巻けば卵焼きの完成だ。

 おかずを入れるタッパーにはまだまだ空きがある。しかし、時間とやる気が限界に近づいていた。

 「楽するべきところでは楽はしていいのよ。」

 妻はそう言うと冷凍庫からから揚げとブロッコリーを引き出した。冷凍食品のから揚げは4つ更に出しレンジで温め、ブロッコリーは自然解凍するからとそのまま詰め込んだ。それでも空いた隙間は、ミニトマトと葡萄で埋めていく。温め終わったから揚げを入れれば準備完了である。

 それぞれが荷物の他に弁当と飲み物を手に玄関へと向かう。自転車の鍵を手に取ろうとする私に妻は「何してるの?」と問う。

 「何って、小金井公園行くんだろ?距離的に自転車じゃない?車って程の距離でもないでしょ。」

 「何言ってるの。歩きに決まってるじゃない?良い運動になるし、お酒も飲めるわよ?」

 2㎞と少しあるが、たまには歩いてみるのもいいかもしれない。桜がひらひらと舞い落ちる中、小金井公園へと向かった。


                  〇


 桜シーズンの日曜日とあって、小金井公園は大混雑であった。到着したのは11時だったが、すでにほとんどの場所が埋まっていた。座れるような場所を探して歩くこと10分、親切な子連れの団体が少しばかりのスペースを空けてくれた。気持ち狭いような気もしたが二人座るくらいなら十分だし、何よりも折角のご好意を無下にするわけにもいくまい。妻と二人、レジャーシートを引き腰を下ろした。

 2㎞の道のりを歩いてきたことと朝食が早かったために既に空腹であった。弁当の包みを解き、妻とおにぎりを手に取る。

 「こっちが梅っていうことは、もう一個が紅生姜ってことか。」

 一口食べた妻が言う。

 「すごい、当たり。なんで分かったの?」

 「何年一緒にいると思ってるの?それくらいなんとなく分かるわよ。」

 卵焼きも確かに美味かったが、妻のそれとは味がまた違った。どう作ったのかを妻に説明すると、

 「砂糖と白出汁なんか入れてないよ。卵と塩昆布だけ。」

 「へぇ、それだけで作ってたんだ。意外。」

 「言ったでしょ?楽するべきところは楽するのよ。でも、こっちの方が少し手間な分美味しいわよ。時間に追われてるわけじゃないなら入れた方が良いかもね。」

 おにぎりの具を当てられたことと言い、これと言い、全く彼女には叶わない。

 妻が持ってきた柿ピーと桜をつまみに酒を飲む。目の前に広がる緑には父親や友だちと遊ぶ子どもたちで賑わっている。

 「もっと遊んでやれれば良かったなぁ。」

 「なに、そんなこと気にしてるの?」

 妻はあっけらかんと言う。

 「うん。なんかシャツに着いたシミみたいでさ、ふとした時に気になっちゃって、そうなると止まらないんだよね。」

 「気にすることないんじゃない?確かに外で遊んでやったことは数える程しかないかもだけど、あの子たちに本とか勉強を教えたり、絵を一緒に描いたりしてたじゃない。あの子たちは嬉しかったらしいわよ。」

 そう言われるとどこか救われたような気がして、目頭が熱くなった。

 「服についたシミもさ、落ちないかもしれないけど気にならなくなるものよ。それに、ほら、服の柄によってはいいアクセントになる…かも?」

 全く、妻には叶わないものである。


                  〇


 午後2時半頃、持ってきた食べ物たちも底をついた。十分桜も楽しめた気がする。僕らは場所を譲ってくれた家族連れの団体にお礼をして帰路に着いた。

 行きに比べて荷物も足取りも大分軽やかだ。妻の手を取り家へと向かう。

 「今日の夜は何が食べたい?」

 帰りがけにスーパーに寄って夕飯の材料を買う時の参考に妻に聞く。

 「うーん、今日はお惣菜買って帰ろうよ。今日は楽しよう。」

 「それは大変助かる。今日は歩くのに疲れるから気力がわかなんだ。」

 「じゃあ、恵方巻買って帰ろう。今年は忙しくて一緒に食べられなかったから。」

 「もう2か月も経っているよ?」

 「2か月くらい老人からしたら誤差よ、誤差。神様もそれくらいで怒ったりしないでしょ。」

 今年の恵方はたしか「南南東」だっただろうか。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る