第8話 尽きない心配
「フン、フン、フフ~ン…………」
長く降り続いた雨が上がったあくる日、久しぶりの陽光を逃すまいと、レイラは鼻歌を歌いながらテキパキと大量の洗濯物を手際よく干していた。
リリィが生まれた翌年に冒険者である夫の死を知らされ、一時は落ち込んだ時もあったが、それでも母のローザと共に、二人の子供をしっかりと育て上げたレイラの顔は、四十代を迎えてもまだ見事な美貌を保っていた。
「レイラさ~ん!」
テキパキと洗濯物を干すレイラの背中に声がかかり、彼女は手を止めて声の方を振り返る。
そこには羽のついたベレー帽を被った大きな袋を背負った青年が、穏やかな笑みを浮かべて手を振っていた。
「あら?」
見知った顔を見つけたレイラは、身に付けたエプロンで手を拭きながら青年に優しく微笑みかける。
「こんにちは、郵便屋さん。今日はいい天気になって良かったですね」
「ええ、本当に……お蔭でレイラさんにも会えましたし」
「えっ?」
「い、いえいえ、何でもないです」
密かにレイラのファンであった郵便屋は、ベレー帽で赤くなった顔を隠しながら袋の中から封書を取り出す。
「あ、あの……これ、お嬢さんへのお届け物です」
「お嬢さん……リリィへ?」
リリィへの郵便物と聞いて、レイラは怪訝そうに眉を顰める。
一体何事だろうと思いながら、レイラは封書を裏返し、
「……いよいよ、この時が来たのね」
封書に押された封蝋の印を見て表情を硬くする。
「……レイラさん?」
「あっ、いえ……何でもないですよ」
怪訝そうに尋ねてくる郵便屋に、レイラは慌ててたように微笑を浮かべながら、深々と頭を下げる。
「お仕事、ご苦労様でした。また、何かありましたお願いしますね」
「あっ、はい……お任せください」
あわよくばレイラともっと話したいと思った郵便屋であったが、彼女の様子からそういう雰囲気ではないことを悟り、おずおずと帰っていった。
郵便屋が立ち去った後も、レイラは封書に押された封蝋を見つめ続けていた。
「……来たのかい?」
封書を持ったまま立ち尽くすレイラの下へ腰が曲がり、皺が以前より深くなったが、いまだに鋭い眼光は健在のローザが現れる。
「そんなもの、見なかったことにしとけばいいじゃないか」
「お母様……それは流石に無理がありますよ」
手を伸ばして封書を破り捨てようとするローザから苦笑して距離を取りながら、レイラは静かに息を吐く。
「それに、私たちが何も言わなくても、あの子は……リリィは自分のすべきことを既に知っていると思いますよ」
「フン……」
寂しそうな微笑を浮かべるレイラに、ローザは鼻を鳴らしながら吐き捨てるように言う。
「あの馬鹿が余計なことを吹き込んでいるからね……全く、成人しても就職もせずに可愛い孫娘に勇者、勇者と……ごくつぶしが」
「お母様!」
歯に衣着せぬ物言いをするローザに、レイラは珍しく怒りをあらわにする。
「ライルはリリィのことを想って言っているのですよ! それなのに、あの子にだけ少し厳し過ぎませんか?」
「あたしだって別に好き嫌いでこんな態度を取ってるんじゃないよ! でも、わかるだろう? あの子は…………変わっちまったんだよ」
感情を爆発させたローザは、顔を伏せて歯痒そうに顔をしかめる。
「魔法に没頭していた頃は、まだ可愛げがあった。だが、魔法使いなのに攻撃魔法の適正がないとわかってから……笑わなくなって死人のようになったと思ったら、馬鹿なことをして……」
ローザは苦虫を嚙み潰したような表情になると、ゆっくりとかぶりを振る。
「奇跡的に一命をとりとめ、生き返ったと思ったらまるで別人になっちまった。それどころか唯一の拠り所であった魔法を使うこともせず、碌に働きもせずに毎日フラフラして……今のあいつが何て呼ばれているかわかってるだろう?」
「……そんなこと、関係ありません!」
諦観するように俯くローザに、レイラは立ち向かうように声を荒げる。
「頭を打った後、あの子は確かに別人になってしまったように変わってしまいました。ですが、それでも本質の部分は……優しくて家族想いのところは何も変わっていないじゃないですか!?」
「だとしてもだよ……あの子の同い年の連中は、誰もが家のために働き、結婚して子供もいるという話じゃないか。あたしは他の連中からそういった自慢話を聞かされるたびに、肩身の狭い思いするのは御免なんだよ!」
「そ、それは……申し訳ないと思いますが、でも、ライルは必ず独り立ちしますから、もう少しだけ長い目で見てあげて下さい」
村人たちからライルが何と揶揄されているかを知っているレイラであったが、それでも母親である自分だけは、最後まで息子の味方であろうと思っていた。
「心配しなくても、ライルはリリィが勇者として旅立てば独り立ちしてくれますよ」
「……だといいけどね」
レイラよりは大分リアリストのローザは、成人してもリリィを立派な勇者にしてみせると、碌に就職もしない家の手伝いもしないライルのことを懐疑的に見ていた。
だが、ここでレイラと言い争っても何も解決しないし、母親が信じているというのなら、わざわざそれを阻害するようなことを言うべきではない。
そう判断したローザは大きく嘆息すると、苦笑しながらレイラに提案することにする。
「どちらにしても、今日はリリィを祝ってやらないとな。あの子の好きな物をたくさん作ってやらないとな」
「そう……ですね。すみません、少し感情的になってしまいました」
「あたしも悪かったよ。確かにライルのことは少し言い過ぎた……あの子は変だけど、悪い子じゃないし、家族想いなのは……リリィを大事にしているのは確かだからね」
「フフッ、リリィが旅に出ると知ったらライル、泣いてしまうかもですね」
すっかりいつもの調子を取り戻したレイラは、ローザと共にリリィを祝うための料理の献立は何にしようかと話しながら、家へと入って行った。
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