第7話 勇者のお兄ちゃんとして

 神の祝福を受けたとされるリリィであったが、ローザの働きかけもあり、勇者として特別扱いされることなく一人の少女として育てられた。


 勇者誕生の瞬間に現れた末っ子ベリアルと同レベルの脅威がリリィに襲いかかることはなく、少女は村の中で穏やかに、すくすくと育っていくことになる。


 ……だが、実際はそんなはずはなく、その裏には誰も知らないライルの密かな活躍があった。




 ――最初の襲撃者、末っ子ベリアルを倒した一週間後には次の刺客が現れた。


「ほう、ここが我が弟が姿を消したという勇者の生まれた地か……」


 ライルたちが暮らす山間の集落の近く、鬱葱と茂る森の中に音もなく現れたのは、末っ子ベリアルと同じ紫色の肌を持ち、頭に二本の角を生やした上級魔族……六十七男ベリアルだった。

 末っ子ベリアルと比べるとシュッ、とした細身で神経質そうな六十七男ベリアルは、藪の中から集落の様子を伺いながら呟く。


「……先ずは、問題の勇者を探すとするか」

「その必要はない」

「――っ!?」


 突然響いた声に、驚いた六十七男ベリアルが振り向くと同時に、


「様式美もわからぬ愚か者よ……死ぬがいい。鬱血する絵画コンジェスションドロー!」


 気配を消して近付いていたライルが、自身のオリジナル魔法で不意打ちを仕掛ける。


「な、何を…………うぽぷっ!?」


 白い衝撃波を頭に受けた六十七男ベリアルが戸惑いの表情を浮かべると同時に、魔法の効果が発動して頭がみるみるうちに大きくなっていく。

 頭が肥大化していくのと対照的に、首から下は、まるで吸血鬼に地を吸われたかのように生気を失い、やせ細っていく。


「ひ、ひっひゃひ、にゃ……に…………ががが…………」


 まるで決壊寸前の堤防のように、ミシミシと骨が軋む音を立てながら尚も肥大化し続けた六十七男ベリアルの頭は、


「おぴょ…………」


 パンッ! という乾いた破裂音と共に弾け、周囲に赤い血とピンク色の脳漿、そして何かの肉片の雨を降らしながら地面を赤く染めていく。



 ライルのオリジナル魔法『鬱血する絵画』とは、血の巡りを早くする回復魔法と、止血する魔法を融合させて発動する魔法で、この魔法を受けると頭に急激に血が溜まり、やがて破裂して地面や壁に血で絵を描くというものだった。

 この魔法で、ライルはかつて『感性が理解できない上司』というランキングに十年連続で一位に選ばれ、めでたく何度目かの殿堂入りを果たしたのだが、


「ふむ……やはりこの魔法で描かれる絵は美しいな」


 人とは違う独特の感性を持つライルは、六十七男ベリアルの血で描かれた絵画を見て、満足そうに頷いたのであった。




 その後、浄化魔法を使って六十七男ベリアルの死体を原子レベルにまで分解して処理したライルは、一息吐きながらあることを考えていた。


 それは、このままのペースで刺客が現れたら、流石に全員を守り切れないということだ。


 前回と今回は、単独行動での襲撃だったからどうにかなった。

 だが、もし相手が軍団となって攻めて来たら?

 強力な囮と共に、気配を殺すことに長けた暗殺者が忍び寄って来たら?


 赤ん坊であるリリィは当然、レイラやローザも無残に殺されてしまうだろう。

 そんな最悪な未来を防ぐためにはどうすればいいか。


 その答えを、ライルは既に用意していた。


「……仕方あるまい」


 ライルはある覚悟を決めると、大きく息を吐きながら自然体の姿勢を取る。


「魔王としての我であったら絶対にこんな手を使うことはなかったが、これも全てはリリィのためだ」


 そう言いながら両手を広げてありったけの魔力を集めたライルは、


神々の領域ホーリースフィア展開!!」


 自身のオリジナル外道魔法……ではなく、勇者が使う魔物を遠ざける魔法、神々の領域を発動させた。


 神々の領域は、本来は勇者だけが使える専用魔法であるのだが、勇者育成マニアとして数々の勇者を見守ってきたライルは、勇者が使う魔法の構造を隅々まで調べ上げ、ほぼほぼ同じ効果のある魔法を使えるようになったのだった。


 そうして発動した似非えせ神々の領域は、ライルを中心に不可視の壁となって広がっていく。

 本来であれば、魔法の効果範囲は、数十メートルから百メートル前後なのだが、


「むぅぅぅ……」


 ライルが全力を込めて発動した神々の領域は、本来の効果範囲を大きく越え、数十キロ範囲にまで及び、周囲にいた魔物たちを根こそぎ領域範囲外へと押しやった。


「はぁ……はぁ……これで後は、この魔法を維持すれば問題ないだろう」


 肩で大きく息をしながら、ライルは流れてきた汗を拭う。


 これだけの広範囲に及ぶ魔法を維持するとなると、他の魔法は碌に使えなくなるだろうし、激しい運動や戦闘もできそうになかった。

 だが、それでも絶対に成し遂げてみせるとライルは決めていた。


「……我は、勇者のお兄ちゃん、なのだからな」


 密かにレイラの一言がかなり嬉しかったライルの目は、既に勇者を育てることに執着していた魔王ではなく、一人の兄の目になっていた。




 それからライルは自身に誓った通り、神々の領域を何年にも渡り展開し続けた。

 たまに領域の境界線に赴いては、中に入ろうとする魔物たちを自身のオリジナル魔法で屠り、リリィへと迫る脅威を排除して回った。


 さらに、リリィに兄として可能な限りの愛情を注ぎ、ローザの反対を押し切って理想の勇者となるべく英才教育を施していった。




 ――そうして、リリィが誕生してから十五年の歳月が流れた。

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